「あなたに感動しました」を伝えたい
人の光を見つけると、伝えたくなる
私には、自分でも半ば呆れてしまうような癖がある。
私は昔から、人の素敵なところに心から感動すると、どうしても本人に直接伝えずにはおれなくなるのだ。
本を読んで心を動かされたら、著者に手紙を書く。
お店で感動的なサービスを受けたら、お礼を伝える。
誰かの仕事に感銘を受けたら、言葉を尽くして伝える。
それは昔から、ほとんど脊髄反射のようなものだ。
先日も、公立中学校の学校公開に行ってきた。
息子が再来年にそこの支援学級に入る予定だからだ。
教室に入ると、一人の男の子の笑顔が真っ先に飛び込んできた。
遅れて入ってきた私に、わざわざ椅子を出してくれた。
そして、私の目を見て、にこーっとしてくれた。
授業中も、自分のお母さんを振り返ったり、私を見たりしながら、ニコニコが止まらなかった。
なんて魅力的な笑顔なんだろう、と、私は心から感動した。
思わずお母さんに、「素敵な笑顔のお子さんですね。」
と伝えたくなった。
でも、その場では言えなかった。
他のお子さんと、そのお母さんの手前、憚られた。
一人だけに声をかけるのは違う気がしたのだ。
だから私は、その感動の言葉を、なんとか胸の中にしまい込んだ。
帰り道、なんとも言えない気持ち悪さが残った。
「あの感動を伝えられなかった……」
と、ずっと後悔した。
相手は何も知らないまま。
私がこんなに感動したなんて、知る由もないのだけれど。
でも、私はその笑顔を、ちゃんと見ていた。
そしてずっと、私の目に焼き付いている。
息子が入学する年にはもう卒業している子だけど、「この学校に行かせたいな」と私に思わせてくれた、素敵な笑顔だった。
「褒めたい」のではなかった
以前の私は、こう思っていた。
「私は人を褒めるのが好きなんだ。」
でも最近、それは少し違う気がしている。
私がやりたいのは、「褒めること」ではない。
「すごいですね!」
「優秀ですね!」
そう評価したいわけではないのである。
私が本当に伝えたいのは、
「あなたがやってきたことは、ちゃんと誰かに届いていますよ。」
ということだ。
あなたの価値観が、私に新しい視点をくれた。
あなたの言葉が、私の背中を押してくれた。
あなたの笑顔に、救われた。
私は、それを本人に返したいのだ。
星読みやキャリアコンサルも同じだった
考えてみれば、星読みもキャリアコンサルティングも、同じだった。
私は相談者を励ましたいわけではない。
あなたはすごいですよ、と言いたいわけでもない。
その人の話を聴きながら、本人は当たり前だと思っている行動や考え方が、実は誰かの役に立っていたことに気づく瞬間がある。
私は、その事実を、本人に返したいのだ。
「あなたはこんなふうに、人に影響を与えていたんですね。」
そうお伝えすると、涙ぐまれる方も少なくない。
私に褒められたからではない。
自分の存在が、誰かにつながっていたことを、初めて知るからだ。
「勇気づけ」という言葉に出会って
最近、『嫌われる勇気』を久しぶりに読み返していた。
アドラー心理学では「褒める」のではなく「勇気づけ」が大切だと書かれている。
その説明を読んだとき、不思議なくらい腑に落ちた。
私は、相手を褒めたかったわけでも、評価したかったのでもなかったのだ。
その人が誰かにもたらしていた価値を、その人自身に返して、「勇気づけたかった」のだ。
「褒める」は報酬のようなものだけれど、「勇気づけ」はそうじゃない。
本人の中に生き続ける力になる。
この癖は、一生治らない
もちろん、私の言葉をどう受け取るかは相手の自由だ。
照れくさい人もいる。
戸惑う人もいる。
さらりと受け流す人もいる。
中には、聞こえないふりをする人だっている。
それでいい。
それでいいのだ。
ドン引きされることにも、もう慣れた。
それでも私は、たぶんこれからも伝える。
なぜなら、心が動かされるほどの光を見つけたとき、それをなかったことにはできないからだ。
「あなたに感動しました。」
その一言を伝えずに通り過ぎる方が、私にはずっと不自然なのである。
人は誰でも、自分では気づいていない光を持っている。
私は星読み師として、その光を言葉にしてきた。
キャリアコンサルタントとして、その光を一緒に見つけてきた。
そして一人の人間として、その光を見つけると、本人に返さずにはいられない。
この癖は、たぶん一生治らない。
それならもう、治すのではなく、大切に育てていこう。
誰かの光を見つけたら、その人に返す。
それが、私なりの仕事なのだと思う。
私は、人の未来を当てたいわけではない。
その人自身もまだ気づいていない光を見つけて、返したいだけなのだ。
