現代アイドルのマーケティング戦略
▷ AI入門noteはこちら
はじめに
世界中で活躍する「現代アイドル」たちは、音楽性だけでなく巧みなマーケティング戦略によって巨大なファンベースと収益を築いている。日本のAKB48や嵐、韓国のBTSやBLACKPINK、アメリカのポップスター、中国や東南アジアの新興アイドルグループまで、それぞれの市場で独自の戦略を展開している。本稿では、マーケティングの主要理論である4PやSTP、ブランド・エクイティ、インフルエンサーマーケティング、ファンダムマーケティング、エクスペリエンスマーケティング、カスタマージャーニー、デジタルマーケティング、ブランドパーパス・ストーリーテリング、CRM(顧客関係管理)などを用い、現代アイドル産業を総合的に分析する。各理論ごとに、国・地域別の活用事例やそれがファン拡大・ブランド価値・収益化に与えた影響を考察し、成功例と失敗例を検討する。グローバルな視点でアイドルマーケティングの共通点と相違点を整理し、現代におけるアイドル産業のマーケティング潮流を明らかにする。
マーケティングミックス(4P)によるアイドル戦略の分析
マーケティングミックスの4P(Product, Price, Place, Promotion)はアイドルビジネスにおいて基本となる戦略枠組みである。Product(製品)としてのアイドルは、音楽・パフォーマンスだけでなく、ビジュアルコンセプトやキャラクター性、グループの世界観そのものが「商品」となる。例えばK-popでは各グループが明確なコンセプトや世界観を打ち出し、メンバーそれぞれに「メインダンサー」「ビジュアル担当」といった役割を与えて差別化している。これによりグループ全体と個々のメンバー双方の魅力を多面的に商品化し、ファンの様々なニーズに応えている。一方、日本のアイドルは「会いに行けるアイドル」というコンセプト(AKB48など)や成長物語を売りにするケースが多く、ファンが育成ゲームのようにアイドルの成長を追体験できる点が製品コンセプトとなっている。
Price(価格)戦略では、アイドル産業は独特の価格設定と収益モデルを持つ。音楽そのものの価格(CDや配信曲の価格)は低めに抑える一方で、握手券付きCDや豪華写真集付きアルバムなど付加価値商品を高頻度で販売し、ファン一人当たりの購入単価を引き上げている。日本のAKB48はシングルCDに握手会参加券や投票権を付与し、多くの熱心なファンが同じCDを何十枚も購入する現象を生んだ。韓国のK-popでも類似の手法が進化しており、ランダムにメンバーのトレーディングカード(フォトカード)を封入したアルバムを多数リリースしてコレクター心理を刺激し、フィジカルアルバムの売上を爆発的に伸ばしている。実際、グローバルでは音楽視聴がストリーミング中心に移行しCD販売が減少する中、韓国国内のアイドルCD売上は2019年~2022年に毎年増加しており、2022年には累計7711万枚に達した。この主因はアルバムに付随するフォトカードなど「ファンダム向けグッズ」を集めるためにファンが購入しているからだと分析されている。このようにアイドル市場では、音楽そのものより付加体験に価値を感じ高額支出する価格戦略が成功している。一方で過度な「課金」モデルはファンの経済負担や環境問題(不要なCD廃棄)も招きうるため、各国で議論の的にもなっている。
Place(流通)戦略では、アイドルの楽曲やコンテンツをどの市場・チャネルに届けるかが重要となる。韓国のK-popは初期からYouTubeやSpotifyなど国際プラットフォームでの配信に積極的で、グローバル展開を睨んだ流通戦略を取った。BTSは英語圏を含む海外市場を意識しSNSで直接ファンと繋がる戦略をとった結果、欧米のメインチャートで記録的成功を収めた。これに対し、日本のJ-popは長らく国内市場への依存が強く、YouTubeでミュージックビデオをフル公開しない、海外向け配信が限定的といった保守的戦略が続いたため、グローバルでの存在感に差がついたと指摘されている。しかし近年は日本勢も嵐が2019年に全楽曲のデジタル解禁を行うなど方針転換がみられ、YouTubeチャンネル「The First Take」のような新たな発信形態も人気となっている。流通面では他に、メディア露出の場(テレビ・ラジオ・配信番組・ライブ公演など)をどこに設定するかもポイントである。アメリカのポップスターは伝統的にラジオや大規模ツアー、スーパーボウルのようなイベント出演で認知拡大を図る。一方、韓国や日本のアイドルは音楽番組出演やバラエティ番組での露出、街頭広告やコラボカフェなど多面的チャネルを活用する。特に日本ではタイアップ文化が発達しており、ドラマやアニメの主題歌に起用することで曲とグループを売り込む手法(Tie-up戦略)が昔から多用されてきた。
Promotion(プロモーション)戦略では、各国のアプローチの違いが顕著である。K-popはSNS拡散やティーザー映像、ハッシュタグキャンペーンなどデジタル施策に加え、ワールドツアーや海外メディア出演によって世界規模の宣伝を行う。一例として、K-popでは新曲リリース(カムバック)の数ヶ月前からコンセプトフォトやトレーラー映像を小出しにする「カムバック・ハイプマシン」と呼ばれる戦略でファンの期待感を最大化する。そしてリリース直後にはファンが自発的にストリーミングや投票キャンペーンを展開し、まるでクラウドソーシングされた広告代理店のようにプロモーションが行われる。日本のアイドルは主に国内テレビや雑誌でのプロモーション、握手会イベント開催による口コミ拡大など従来型の手法が中心だったが、近年はSNSでの告知やYouTube生配信などデジタルプロモも増えている。アメリカのスターの場合、楽曲リリース前後にSNSでファンと直接交流したり、TikTokで楽曲チャレンジを仕掛けてバイラルヒットを狙う動きも一般化してきた。例えばサイ(PSY)の「江南スタイル」はYouTubeのバイラルで西洋にも瞬く間に拡散し、史上初の10億再生を達成したが、その成功は戦略的というより突発的な現象であった。対照的にBTSは綿密なSNS戦略でファンとのエコシステムを築き上げ、英語混じりの楽曲や親しみやすい自己発信で「橋を架けるように」世界各地のファンを獲得した。このようにプロモーション面の巧拙がグローバル成功の分かれ目となっている。
<成功例> 4P戦略の成功例としては、BTSのグローバル制覇が挙げられる。彼らは製品面で「自己啓発やユースカルチャーを代弁するアーティスト」という明確なブランドを打ち出し、価格面ではアルバムにフォトブックやトレカを付けつつ良心的価格を維持、流通面ではYouTube・SNSで全世界にリーチし、プロモーション面ではファンと直接コミュニケーションするデジタル戦略を駆使した。その結果、2010年代後半には欧米の人気歌手を次々と記録で塗り替え、2019年に米ビルボード200で1年に3作の1位獲得(ビートルズ以来約50年ぶり)、2020年には所属事務所が株式上場し時価総額が約500億ドルに達するなど空前の成功を収めている。この上場に際し投資家たちが注目したのは、BTSの圧倒的なファン忠誠度(=将来収益)であり、まさにマーケティングミックス戦略の結実と言える。またタイのBNK48は、日本のAKB48モデルを導入して現地化し、タイ語曲「恋するフォーチュンクッキー」の親しみやすさ(Product)とSNSバイラル戦略(Promotion)によって2018年に国民的ヒットを生んだ。偶然のバズに終わらず年間を通じて話題を継続させ、多人数グループならではの多彩な活動でファン層を拡大し続けたことも成功要因である。BNK48の運営会社は音楽CDや関連グッズで年収約7億5千万バーツ(約25億円)を上げたと報じられ、新興市場における4P戦略適用の好例となった。
<失敗例> 一方で4P戦略の不備がアイドル展開の失敗に繋がった例もある。日本のJ-popの国際競争力低下は、その典型とされる。製品面では国内志向のコンセプトに留まり、流通面で長年デジタル配信やYouTube活用が遅れたため、K-popほど海外ファンを獲得できなかった。たとえば、日本の人気グループが欧米でライブを行っても、現地ファンが曲をストリーミングで予習することさえ困難だったケースも多い。この結果、「もし日本勢がYouTube/ストリーミング活用にもっと早く乗り出していれば、K-popに匹敵する存在感を得ていたのではないか」との指摘もある。また韓国のガールズグループWonder Girlsは2009年前後に米国進出を試み英語曲をリリースしたが、当時はまだK-popへの認知が低くプロモーションも限定的で、大きな成果を残せずに帰国した。これは適切な市場セグメント設定や流通チャネル確保(STPとPlace)の不足による失敗といえる。このように4P各要素の戦略ミスマッチは、優れた才能を持つアイドルであっても成功を阻む要因となりうる。
セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング(STP)の活用
STP(Segmentation, Targeting, Positioning)は、どの市場セグメントに焦点を当て、どのようにターゲット層に訴求し、ブランドをポジショニングするかを定めるマーケティング手法である。アイドル産業でも、国やグループごとに明確なSTP戦略が敷かれている。
まず市場セグメンテーションとして、アイドルの主要顧客層(ファン層)は年代・性別・地域などで細分化できる。日本の女性アイドルグループ(AKB48や坂道シリーズなど)は主に10~40代男性の「アイドルオタク層」を狙った戦略をとってきた。彼らは熱心で経済力もあるため、握手会や投票イベントで高額なリピート購入をしてくれるセグメントである。一方、日本の男性アイドル(ジャニーズ事務所のグループなど)は10~30代女性を主なセグメントとし、甘いルックスや爽やかなイメージで彼女たちの支持を得ている。韓国のK-popは当初は国内の若年層を主眼に置いていたが、第2世代(2000年代後半)以降は日本や東南アジアの市場細分にも着目し、さらには「グローバル若者層」という広域なセグメントまで射程に入れた。例えばK-pop第3世代のTWICEは、韓国人5名・日本人3名・台湾人1名という多国籍メンバー編成でデビューし、韓国のみならず日本や中華圏の10~20代女性ファンを幅広く取り込むことに成功した。実際TWICEは日本語曲も積極的に発表して日本の音楽チャートでミリオンセールスを達成するなど、日本の女性アイドル市場にも食い込んでいる。さらにBTS以降の第4世代K-popでは、欧米のポップス市場(主にティーンから20代前半の男女)を明確にターゲティングし、英語曲の投入やワールドツアー開催を前提としたグループも登場している。アメリカや欧州のポップスターもまたSTPを行っており、たとえばアリアナ・グランデは若い女性層に憧れられる「強くキュートな女性像」を打ち出し、ハリー・スタイルズはファッションやライフスタイル面でもトレンドに敏感なZ世代を引き付けるポジショニングを行っている。
ターゲティングでは、上記の細分化したセグメントの中から自社(自グループ)が勝負する市場を選定する。韓国の大手事務所はグローバル市場での成功確率を高めるため、「韓国+東アジア+英語圏」のように複数地域セグメントを同時に狙うケースが多い。一方、日本のアイドル事務所は国内市場規模が大きいこともあり「日本国内の特定ファン層」に絞り込む傾向が強かった。しかし近年はジャニーズ事務所もYouTube開設や海外公演を行うグループ(例えばKing & Princeの海外進出試みなど)が出始め、従来ターゲット外だった海外ファン層にも目を向け始めている。米国のアーティストでは、テイラー・スウィフトがカントリー歌手からポップスターへとターゲット市場を変えた例が有名である。彼女はデビュー当初、米南部のカントリーミュージック愛好層(ティーン女子中心)を主戦場とし「等身大の歌詞で共感を呼ぶ田舎の少女」というポジショニングだったが、徐々に都会的なポップサウンドに舵を切り世界の若者全般をターゲットに据え直した。その結果、ブランドイメージも「世界的人気のシンガーソングライター」に再定義され、ファン層を飛躍的に拡大した。
ポジショニングでは、競合との差別化ポイントとブランドイメージを明確化する。アイドルの場合、楽曲ジャンル・ビジュアルコンセプト・メンバー構成・物語性など様々な要素でポジショニングを図る。韓国ではグループ乱立期に突入した2010年代、後発組は「他にないコンセプト」を掲げることが生き残りに必須となった。例えばガールズグループの場合、BLACKPINKは「ガールクラッシュ(女性が憧れるクールな女性像)」路線で、TWICEは「キュートで親しみやすいガールズネクストドア」路線で住み分け、共に成功している。またDreamcatcherはK-popでは異色のロック×ホラーコンセプトで欧米のニッチ層に刺さり、アルバムがビルボード入りするなど独自の地位を築いた。日本でも、AKB48系が「素人っぽさ」「会いに行ける身近さ」で差別化したのに対し、坂道グループは「清楚で正統派アイドル」のポジションをとるなど棲み分けが見られる。さらに近年は、単に「かわいい」「かっこいい」だけでなくストーリー性で差別化する動きもある。韓国のEXOは「超能力を持った異星人」という世界観設定でデビューし、MVや舞台でそれを表現した。また米国のマーベル映画の世界観を取り入れたようなトランスメディア・ストーリーを掲げるグループ(例えばKINGDOMなど)も登場しており、ファンに物語への没入体験を提供することで差別化を図っている。
<成功例> STP戦略の好例は、K-popの多国籍・多市場戦略である。前述のTWICEはまさに各国のファン層を細かく狙い分けて成功したケースだ。彼女たちは韓国語曲で本国の若者を掴みつつ、日本人メンバーによって日本10代にも感情移入されやすくなり、実際に日本で社会現象的ヒットを連発した。また中国系メンバーも含むことで中華圏にもアピールし、結果的に東アジア全域で人気を博している。他にも、NCTというK-popプロジェクトは「メンバー無制限」で世界中にローカライズユニットを展開する野心的ターゲティングを行っている(現にNCT 127は韓国、NCT Dreamはティーン向け、WayVは中国向け、さらに日本ユニットやアメリカユニット構想もある)。このような緻密なSTPにより、K-popは世界178か国・約1億8000万人のファン層を獲得するまでになったと報告されている。日本の成功例では、乃木坂46が「お嬢様的清楚さ」をコンセプトに掲げ、それまでAKB48になじめなかった層(女性やライト層)を開拓し大きな市場を生んだことが挙げられる。米国では、BTSが「アジア人グループ」というハンデを逆手に取り、「多様性と自己受容」をメッセージに据えて他の西洋アーティストとの差別化に成功した。これにより人種や国籍を超えたグローバルZ世代の支持を得るポジショニングを確立している。
<失敗例> STPが不明瞭・不適切だった例として、米国市場への性急な参入の失敗がある。例えば先述のWonder Girlsは当時の米ティーンポップ市場(ジャスティン・ビーバーやマイリー・サイラスが人気)の状況を十分分析しないまま進出し、本来狙うべきティーン女子層にリーチできるプロモーションを打てず埋もれてしまった。また中国のアイドル市場では、韓国式のトレーニングを受けたグループが多数デビューしたが、過度に韓流色が強く中国本土の文化にフィットしなかった例も見られる。かつてSNH48(AKB48の中国版)は現地化に成功したものの、運営方針の違いから日本本部と決裂し独自路線に走った結果、一部ファンの離反を招いた。これはターゲット層(中国ファン)の嗜好を巡る認識ズレや、提供価値のポジショニング共有に失敗したケースといえる。また国内市場に安住しすぎた結果としての失敗もある。韓国の一部アイドルは国内での成功に満足し海外展開を軽視した結果、後発グループに世界的人気で追い抜かれた例がある(本国では先輩でも世界知名度ではBTSに及ばないグループなど)。このようにSTP戦略の誤りは、機会損失や競争敗北につながりやすい。
アイドルにおけるブランド・エクイティの構築
アイドルにとってブランド・エクイティ(ブランド資産)の構築は、長期的な成功に不可欠だ。ここでいうブランド・エクイティとは、グループ名やメンバーの名前そのものが持つ認知度・好意度・信頼感といった無形の価値であり、熱心なファンによる高いロイヤルティや強力なブランドイメージに支えられている。ブランド・エクイティが高いアイドルは、音楽売上だけでなくグッズ展開・チケット販売・スポンサー契約などあらゆる面で有利になり、事務所にとっては安定収益源となる。
アイドルがブランド・エクイティを高める方法の一つに、一貫したコンセプトとストーリーによるイメージ醸成がある。たとえば、嵐は20年以上にわたり「親しみやすく仲の良い国民的グループ」というブランドイメージを守り抜き、日本国内で圧倒的な信頼と知名度を築いた。同様に、BTSは初期から「若者の等身大の叫びを歌う真摯なアーティスト」という物語をアルバムごとに発展させ、ファンにブランドの物語を共有させることで強い情緒的結びつきを生んだ。このようなストーリー性と一貫性はブランドへの愛着(ロイヤリティ)を高め、多少音楽性が変化してもファンが離れにくくなる効果がある。
またブランド拡張もエクイティ構築に寄与する。人気アイドルはしばしばファッション・コスメとのコラボや、メンバー個人の俳優・モデル活動を通じて新たなブランド接点を作る。BLACKPINKのメンバーはそれぞれ高級ブランド(リサはセリーヌ、ジスはディオール等)のグローバルアンバサダーとなり、音楽ファン以外にも名前が知れ渡った。これにより「洗練されたトレンドリーダー」というグループのブランドイメージが一層強化され、エクイティ価値が上昇している。韓国ではアイドルのブランド評価指数が毎月発表されるほどで、メンバー個人のイメージも「ブランド」とみなされ管理されている。例えば2023年にある韓国男性アイドルが飲酒運転スキャンダルを起こした際、彼が所属するグループ全体の好感度が低下しCM契約が打ち切られるなど、ブランド価値毀損の具体的ダメージが発生した。これはブランド・エクイティ維持の難しさも示す。日本でも、アイドルは私生活のスキャンダルが命取りになりやすい。ファンは偶像(アイドル)に「清廉なイメージ」を求めるため、恋愛発覚や不品行は信頼の崩壊に直結する。実際、ある女性アイドルが恋愛報道後にファン離れが起きCD売上が激減した例もあり、事務所はブランドイメージを守るため恋愛禁止など厳しい規律を設ける。
さらに、企業コラボやタイアップを通じ外部ブランドと相乗効果を上げることもエクイティ強化につながる。BTSはマクドナルドと提携した「BTS Meal」を全世界で展開し、ファンがパッケージを記念保存するほどの話題を呼んだ。これによりBTSのブランドが飲食店など異業種の消費者にも浸透し、新規ファン獲得にもつながったとされる。同時にマクドナルド側も若年層へのブランド好感度を高める成果を得ており、まさにウィンウィンのブランドエクイティ活用例である。
<成功例> ブランド・エクイティの構築成功例として、再度BTSを挙げたい。BTSは音楽性とメッセージ性で強固なブランドを築いただけでなく、そのロゴや名称自体が巨大な経済効果を持つようになった。2017年、BTSは米国の人気投票「トップソーシャルアーティスト賞」でジャスティン・ビーバーを抑えて受賞し以降常連となったが、これはファン主導の投票でブランド力が証明された一例である。また韓国の研究では「BTSが今後10年間にもたらす韓国GDPへの寄与は2018年平昌五輪を上回る」と予測された。事実、彼らの活躍により訪韓観光客や関連商品の消費が大幅に増えたという。これらはBTSというブランドが単なる音楽グループの枠を超え、一種の文化現象・信頼ブランドとして経済価値を持っていることを意味する。また日本では嵐が「国民的アイドルグループ」として企業CM起用数No.1を長年誇り、テレビで彼らの姿を見ない日はないほどだった。彼らの名前は安心・高品質のシンボルのように受け取られ、CMで嵐を起用した企業の商品は売上増が見込めるというブランディング効果を生んでいた。このように、一度確立したブランド・エクイティはメンバーが年齢を重ねてもファン世代を超えて支持され続け、高い収益を維持できる。
<失敗例> ブランド・エクイティの失敗や喪失の例としては、不祥事によるブランド崩壊が挙げられる。中国出身の元アイドル、クリス・ウー(呉亦凡)はEXO脱退後もソロ歌手・俳優として中国で絶大な人気を誇り、多数の大手ブランド(ルイ・ヴィトン、ポルシェ等)のアンバサダーを務めていた。しかし2021年に深刻なスキャンダル(強姦疑惑)で逮捕されると、関係ブランドは即座に契約を打ち切り、彼自身のブランド価値は地に落ちた。このケースでは本人の違法行為という特殊事情だが、一夜にして築いてきたエクイティが無に帰す典型例である。また、日本のジャニーズ事務所は2023年、創業者による長年のタレントへの性的虐待疑惑が公に認められ、大きな社会問題となった。これにより同事務所所属アイドル全体のブランドイメージが低下し、スポンサー企業がCM起用を取り止めたり、ファン離れが起きる事態となっている。組織として築いた信頼ブランドも、不祥事で崩れると再建は容易ではないことを示す事例といえる。そのほか、ブランド・エクイティを活かしきれなかった失敗として、一発屋で終わったケースもある。PSYの「江南スタイル」は世界的知名度を獲得したものの、彼自身のブランドを「コミカルなおじさん」のイメージ以上に高めることは難しく、次作以降はブームを維持できなかった。一方BTSは前述の通りブランド戦略を徹底して「世界的アーティスト」の地位を確立した。この違いは、ヒット後のポジショニングとブランド管理の成否によるところが大きい。
インフルエンサーマーケティングの活用
インフルエンサーマーケティングとは、影響力のある個人(インフルエンサー)を起用して商品やサービスを宣伝する手法だが、現代アイドルはまさに強力なインフルエンサーとして各業界から引っ張りだこである。アイドルが持つ数百万~数千万規模のフォロワーや熱狂的ファンコミュニティは、企業にとって極めて魅力的な広告チャネルとなっている。
たとえばBTSは現在、世界的ブランドのキャンペーンに次々と起用されている。衣料品のカルバン・クライン、携帯メーカーのサムスン、清涼飲料のコカ・コーラ、ファストフードのマクドナルドなど、業種を問わずBTSを広告塔に据える企業が続出している。BTSメンバー個人においても、2023年には長兄のJinがアメリカのヨガウェアブランド「Alo Yoga」のグローバルアンバサダーに就任した。Alo Yoga社はInstagramに「#WorldwideHandsome(世界で一番ハンサム)」と彼の愛称を織り交ぜた投稿を行い、わずか8単語の告知で42万6千件以上の「いいね」を獲得した。このようにファンしか知らないニックネームまで活用する細やかなマーケティングで、ブランド側はアイドルファンの心を掴んでいる。インフルエンサーマーケティングの効果はデータでも裏付けられており、研究によればアイドルとのコラボは企業ブランドのエクイティ向上とファン消費者への訴求に非常に有効である。アイドルに熱狂するファンは、彼らのお墨付きブランドに対し心理的な付加価値を感じ、購買意欲が高まる傾向がある。とりわけ「推しが勧めるなら買いたい」「推しと同じ物を持ちたい」という感情が強く、結果としてブランド側は新規顧客を獲得したり若年層市場での地位を向上させたりできる。
国や地域によっても若干様相が異なる。中国のファン経済では、「偶像(アイドル)がCM出演しているから買う」というより「偶像の売上に貢献したいから買う」という動機が顕著だとの分析がある。つまり中国の若いファンは、推しが宣伝する商品そのものへの信頼よりも、推しの人気指標を上げる手段として商品購入を行う傾向がある。極端な例では、2021年に中国のオーディション番組で投票権付き飲料(乳酸菌飲料のヨーグルト)が販売された際、ファンが投票目的で大量購入し中身を大量廃棄するという事件も起きた。これを受け中国当局はアイドルファン消費への規制を強化した経緯がある。このように度を超えた現象もあるものの、企業から見れば中国のアイドルファンは非常に購買力の高い消費者集団であり、トップアイドル(たとえばTFBOYSのメンバーや人気俳優に転身した元アイドル)が広告に出る製品は売上急増するケースが多い。一方、日本では昔からテレビCMに人気アイドルを起用するのが定石となっている。女性アイドルが化粧品や清涼飲料のCMに出演したり、男性アイドルが自動車や通信会社のイメージキャラクターになる例は数えきれない。ファンだけでなくお茶の間全体に親しまれている国民的アイドルは、「商品=好感度が高い=安心できる」という連想を消費者に抱かせやすく、ブランド側にとっては企業イメージ向上にも繋がる。実際、嵐が出演する日立の家電CMシリーズは10年以上続き売上にも貢献したとされる。
<成功例> インフルエンサーマーケティング成功例の代表は、マクドナルドのBTSコラボだ。このキャンペーンではメンバー考案のセットメニューを期間限定販売し、BTSのロゴ入りパッケージはファンが記念に保管するほどの人気となった。世界50か国以上で展開され各国のマクドナルド店舗に長蛇の列ができ、売上とSNS上の話題性双方で大成功を収めた。また前述のAlo Yogaの事例も、BTSメンバーを起用するにあたりファン文化への深い理解を示したことが成功につながった。Instagram投稿文で「#worldwidehandsome(世界一ハンサム)」というJinのニックネームを使ったのは、一見企業公式としては異例だが、これにファンは大いに沸き拡散に協力した。Dive StudiosのCEOは「この言葉はBTSファンしか知らない。それをブランドが使ったことでファン心理を見事に突いた」と評している。つまり、アイドルを広告に使うだけでなくファン目線に立った演出をすることで、より深いエンゲージメントと宣伝効果を生んだのである。さらに韓国では、コスメブランドがK-popアイドルとコラボして特別パッケージ商品を売り出す手法がよく見られる。VT Cosmetics社はBTSと組んだ化粧品ラインを発売し海外でもヒット、Nature Republic社はEXOを起用してアジア各国の売上を飛躍的に伸ばした。これらはアイドルのブランド力を製品に付与した好例と言える。
<失敗例> インフルエンサーマーケティングの落とし穴としては、偶像頼みの安易な宣伝やスキャンダルリスクがある。前者の例として、中国のある飲料メーカーが有名アイドルを広告塔に起用したものの、製品自体の魅力や品質訴求を怠り、一時的な売上増には繋がったがリピート購買が定着せずキャンペーン後に失速したケースがある(人気だけに頼った「Lazy Marketing(安易なマーケ)」との批判を受けた)。ファンも賢明であり、単に推しの顔が出ているだけの商品には一度飛びついても長続きしない。ブランディングの整合性が取れていない起用も逆効果だ。例えば高級路線のブランドがアイドルの中でもカジュアルなイメージの人物を起用すると、ブランドの格調が下がったように受け取られる恐れがある。また後者のリスク、スキャンダルについては既に触れたが、企業イメージへの波及は深刻だ。韓国や中国では人気アイドルが不祥事を起こした際、スポンサー企業が消費者から不買運動を受けることすらある(前述クリス・ウーのケースでは、起用ブランド側も「見る目がなかった」と批判された)。このため各ブランドは起用契約に厳しい道徳条項を盛り込み、万一の場合には違約金を請求するなどリスク管理を行っている。それでも偶像の素行まで完全にはコントロールできないため、インフルエンサーマーケティングは諸刃の剣とも言われる。それでも効果の大きさから企業はこぞってアイドル起用を続けており、重要なのは起用後も含めた綿密なブランド管理とファン対応である。
ファンダムマーケティング:ファンコミュニティの力
AKB48の握手会イベントに数千人規模のファンが列を作る様子。熱狂的ファンコミュニティ(オタク)の存在が、日本のアイドルビジネスの原動力となってきた。
アイドルビジネス最大の特徴は、熱狂的ファン(=ファンダム)の存在である。ファンダムマーケティングとは、この組織化されたファンコミュニティをマーケティングに活用し、ファン自身が宣伝・購買促進の一翼を担うよう仕向ける手法である。現代のアイドルはファンダムを単なる顧客集団ではなく共同プロモーター兼共同創造者と位置付け、その情熱と行動力をマーケティングエンジンに組み込んでいる。
K-popにおけるファンダムマーケティングは特に体系化されている。各グループには公式ファンクラブ名とカラーが与えられ(例:BTSなら「ARMY」、BLACKPINKなら「BLINK」)、ファンは自らをその名称で誇りをもって名乗る。事務所はファン向けに専用コミュニティサイトやアプリを用意し、定期的にメッセージや限定コンテンツを提供して結束を高めている(後述のCRMも参照)。ファンは新曲リリース時に自主的に「ストリーミング○回達成しよう!」「Twitterトレンド入りさせよう!」といったキャンペーンをSNS上で組織し、一種のゲーミフィケーションのように楽しみながらプロモーションに加担する。例えばBTSのARMYは、米国のラジオ局にメンバー出演のお礼に花束を送ったり、新曲が出れば家族総出でスマホを動員してストリーミング再生するなど、その献身ぶりが度々ニュースになっている。事務所側も「ファンがアーティストの成長に貢献するアクティブサポーターになった」と認めるように、もはやファンは受け手ではなく能動的な協力者なのだ。
日本のアイドルファン文化(オタク文化)もまた強力である。AKB48は「会いに行けるアイドル」の理念の下で劇場公演や握手会を開催し、ファンは頻繁に足を運んでは直接応援とフィードバックを送っていた。この双方向接触によりファンは自分も育成に関わっているという高いエンゲージメントを感じ、結果としてCDを積み増し購入して推しメン(お気に入りメンバー)を支えることに喜びを見出していた。いわばファンを消費者であり投資者でもある存在に昇華させたのである。中国でもファンはアイドルを「養成」すると表現することがあるが、まさにその感覚だろう。中国のファン経済では、ファン同士が資金を出し合って巨大広告看板を出したり、テレビ番組に推しを出演させるための組織票を投じたりと、ファン側がマーケティング活動を自主的に行う規模が凄まじい。企業もこれに乗じ、ファンがアイドルに貢ぐための仕組み(投票には商品購入が必要等)を設計している場合がある。
ファンダムマーケティングの効果は絶大だ。熱心なファンによる複数購入・拡散により、音楽チャートや興行成績が底上げされる。韓国ではファン主導のアルバム爆買いによりフィジカルアルバム市場が近年異例の成長を遂げており、これはファンダムパワーなしには起こり得なかった現象である。日本でもAKB48が全盛期に「シングル百万枚売上」を連発したのは、ファン一人ひとりの購入数が桁違いだったからだ。さらにファンは自発的にUGC(User Generated Content)を生み出し宣伝してくれる。コンサート参戦レポートや踊ってみた動画、ファンアートなどがSNSで拡散すれば、未ファン層への訴求となり新規ファン獲得につながる。例えばBTSファンは楽曲のカバーダンス動画を世界中で投稿し合い、それが逆にBTSの知名度を各国で高める循環が生まれた。K-popファンは新曲が出るとTikTokでダンスチャレンジを流行らせることも多い。これらはマーケティング費用ゼロで達成されるプロモーションであり、企業にとってこれほどありがたいものはない。
ファンダムマーケティングは収益面でも効果を発揮する。熱狂的ファンはチケットやグッズにも惜しみなく財布を開くため、ARPPU(1ユーザーあたり平均売上)は一般層より格段に高い。韓国消費者院の調査では、K-popファンの約52.7%が「特典グッズ集め」を主目的にアルバムを購入すると答えており、市場を支えているのはこうしたコアファン層である。ファン心理につけ込んだ売り方との批判もあるが、その熱意が業界を潤しているのは事実だ。またファンダムの存在はブランドエクイティにも寄与する。大規模で組織だったファン集団は、それ自体がひとつの宣伝媒体であり、企業価値評価にも影響する。実際、BTSの事務所(現HYBE)のIPO時、ARMYという狂信的ファンベースが将来キャッシュフローを生む源泉として重視された。言い換えれば「ファン」という資産を持っていることが企業の株価を押し上げたのだ。
<成功例> BTSとARMYの共創関係はファンダムマーケティングの理想形だろう。BTSはソーシャルメディアでの双方向コミュニケーションを重視し、ファンが企画したイベント(例:メンバー誕生日に世界各地で慈善活動)にもリアクションを示すなど、ファンを公式に巻き込んでいった。ARMYたちは自主的に草の根宣伝を展開し、BTSが米国の音楽賞にノミネートされれば組織投票で受賞に導き、YouTubeの24時間再生回数記録を更新し、ついには「世界で最も影響力のあるファンダム」と称される存在となった。ARMYの団結がなければBTSの世界制覇もなかったとすら言われ、ファンとアーティストが二人三脚でブランドを大きくした好例である。またAKB48とそのオタク層も、日本におけるファンダムマーケティングの金字塔だ。彼らは総選挙投票や握手券欲しさに膨大な購入を行い、その売上はAKBを単一アーティスト史上最高のCD累計売上に押し上げた。ファン同士もSNSやイベントで交流し、コミュニティ文化を形成していた。中国のファン経済でも、TFBOYSなどの人気アイドルには数百万人規模のファン組織が存在し、彼らは偶像のためなら年に数千元(数万円)を費やすことも厭わないとされる。2019年時点で中国のファン経済市場規模は3.5兆元(約70兆円)に達し、2023年には6兆元超に拡大すると予測された。これら数字は、ファンダムマーケティングが経済全体にまで影響するレベルに成長していることを示している。
<失敗例> ファンダムマーケティングには負の側面もある。中国で問題化したように、一部の狂熱ファンは理性を欠いた行動に走り社会問題となった。前述の牛乳投票事件では大量の食品ロスが発生し、当局は番組打ち切り・関連商品の販売停止など厳しい措置を取った。さらに2021年には中国政府が「飯圈(ファンダム)乱象」の是正を目的に、大規模なファン活動規制に乗り出した。具体的には未成年の過度な消費参加を禁じ、ファン投票の商業化を禁止し、ネット上の誹謗中傷合戦(ファン同士の抗争)を取り締まった。これはファンダムマーケティングにとって一種の“失敗”とも言え、行き過ぎた熱狂が業界全体の統制強化を招いた。韓国や日本でも、ファンの暴走は時折問題になる。いわゆるサセン(私生)ファンによるストーカー行為や、対立グループのファン同士の誹謗中傷は、健全なファン活動の範囲を逸脱している。これらはアイドルのイメージを損ないかねず、事務所はSNSでファンマナー向上を呼びかけたりブラックリスト制度を導入したりしている。また、ファンダムマーケティングに頼りすぎることで一般層との乖離が生まれるリスクもある。極端なファン向け商法ばかりだとライト層はついていけず、市場が内向きになってしまう。AKB商法はピーク時には有効だったが、その反動で音楽ファンから「握手券商法」と揶揄され、コンテンツそのものの評価が下がった面も否めない。今後はファンダム熱を維持しつつ、いかに一般層にも開かれた施策を打てるかが課題であろう。
エクスペリエンスマーケティング:体験価値の提供
韓国ボーイズグループStray Kidsのキャラクター「SKZOO」をテーマにした期間限定ポップアップストアの内観。アイドルの世界観を体験できる空間設計と限定グッズで2万1千人以上を集客した。
エクスペリエンスマーケティングとは、商品そのものではなく顧客体験を重視し、ブランドとの特別な体験を提供する手法である。アイドル産業では、ファンに「推しと同じ空間・時間を共有する」体験を提供することで、強い感情的な結び付きと思い出を創出する戦略が取られている。単に音楽を聴かせるだけでなく、ライブ・イベント・展示会・オンライン交流など多彩な体験機会を設けることで、ファンのロイヤリティとエンゲージメントを飛躍的に高めている。
代表的なものがコンサートやファンミーティングだ。ライブはアイドルとファンが直接対面し、一体感を味わえる究極の体験である。韓国や日本のアイドルは全国・世界ツアーを行い、各地で数万~数十万人規模の観客を動員する。これ自体が大きな収益源であると同時に、参加したファンにとって一生の思い出となり、その後もファンであり続ける動機づけとなる。さらに、最近は期間限定のポップアップストアや展示イベントがマーケティング戦略として定着している。K-popではカムバックごとにソウル市内の百貨店やギャラリーにポップアップを開き、新作コンセプトに合わせたフォトスポットや限定グッズを用意してファンを招致する例が増えている。Stray Kidsの事例では17日間の開催で21,700人を集め、開催場所の記録的売上を達成した。これらポップアップは「短期間」で「今しか体験できない」希少性がファン心理を刺激し、遠方からわざわざ訪れる熱心なファンも多い。また会場での体験はそのままSNS映えするコンテンツとなるため、訪れたファンが写真や動画を投稿し、更なる話題拡散と二次集客を生む。専門家は「ポップアップストアはファンとアイドルの親密な関係を維持しコミュニティを強化する枠組みであり、低コストでバズを生み出せる」と評価している。実際、SMエンタテインメントが開いたポップアップを訪れたファンは「EXOやRed Velvetだから商品を手に取った。愛着があるから買いたくなる」と語っており、ファンダムマーケティングが成功した例だと分析されている。
日本でも類似の試みはある。AKB48は秋葉原に専用劇場を構え、ほぼ毎日公演を行うことでファンに日常的なライブ体験を提供してきた。これは従来の年数回の大規模コンサートとは異なる、小規模で密接な体験であり「劇場で成長を見守る」というプロセスをファンに楽しませた。また乃木坂46は過去に美術館風の展示イベント「真夏の全国雑誌展」を開催し、メンバーの写真パネルや衣装展示、来場者への音声ガイド(メンバー肉声)などファンを没入させる仕掛けを用意した。さらに握手会やチェキ会といった交流イベントも、ファンにとっては「推しと数秒でも触れ合える」貴重な体験であり、強烈なロイヤリティを生む。これら日本型の接触イベントは海外にも輸出され、JKT48(インドネシア)やBNK48(タイ)でも握手会が実施されファン熱狂を呼んでいる。
デジタル時代にはオンライン体験も重要になった。コロナ禍では各国で大規模ライブの代替としてオンラインコンサートが開催された。BTSの「Bang Bang Con」は全世界75万人超の視聴者を集め、オンライン有料イベントの記録を打ち立てた。XR技術を駆使したバーチャル公演や、メンバーが自宅から参加する双方向配信など、新たな体験価値の創出が模索された。SMエンタは「Beyond Live」というプラットフォームで3D技術を駆使したオンラインライブを商業化し成功させている。またフォトカードARアプリやバーチャルファンミーティングなど、テクノロジーを活用した疑似体験も増えている。これらは物理的制約を超えて多くのファンに体験を提供できる点で優れている。
エクスペリエンスマーケティングの効果は、ファンの心理面に現れる。実際に足を運んだり直に交流したファンは、そうでないファンに比べて幸福感や愛着が増し、結果としてグッズ購入や継続応援へのモチベーションが高まる傾向がある。心理学的にも、「体験から得られた喜びはモノの所有による喜びより長続きする」と言われる。ファンにとって推しとの思い出は何物にも代えがたい価値であり、それを提供できるアイドルは圧倒的なブランド忠誠を勝ち取る。
<成功例> BTSの「House of BTS」ポップアップや展示会ツアーは大成功を収めた。2019年にはソウルに期間限定でオープンし、メンバーゆかりの品やフォトスポットを配置した体験型施設は連日満員となった。その後東京やシカゴなど世界各地でも類似の展示イベントが開催され、ファンが“BTSの世界”を五感で体験できる場となった。さらに各地限定のグッズが販売され、ファンは記念品を手に入れる喜びも得た。Hawke Mediaの分析によれば、「五感を通じてグループの世界観を体験できることがファンとブランドの親密さを生み、さらなるエンゲージメントと売上をもたらす」という。また韓国ではSMエンタテインメント・ミュージアムが設立され、所属アーティストの歴代衣装やトロフィー展示、ホログラムとの写真撮影などが楽しめる。これもファンの“聖地巡礼”となり、連日多くの観光客が訪れている。さらに遊園地とコラボしたアイドルテーマパークイベント(BTSがロッテワールドで期間限定コラボ、ジェットコースターにメンバーの声アナウンス導入等)も話題となった。日本でもハロープロジェクトのバスツアー(ファンクラブ会員がアイドルと行く旅行企画)など、深い体験価値を提供するイベントが根強い人気を持つ。
<失敗例> エクスペリエンスマーケティングは成功が多い反面、いくつか注意点も浮上している。一つは体験の質の担保である。ファンは高い期待を持ってイベントに臨むため、運営がずさんだと大きな不満が噴出する。過去にはあるK-popグループのハイタッチ会で運営側が時間短縮のためファンを雑に扱い、ファンコミュニティで炎上した例がある。またチケット販売の不手際によるトラブルも顧客体験を損ねる。最近ではテイラー・スウィフトの北米ツアーでチケットマスターの販売システムがパンクし、購入希望者に多大なストレスを与えたことが問題になった。せっかくアーティストへの好意があっても、周辺体験で嫌な思いをするとファン離れにつながりかねない。さらに過剰商業主義への警戒もある。ファン体験イベントが増えすぎると、「また搾取イベントか」「全部行けるわけない」と一部ファンが冷めてしまう恐れがある。特に経済的・地理的に参加できないファンにとっては疎外感を感じる要因にもなる。従って、オンライン配信との併用や地域巡回開催など、できるだけ多くのファンに体験の機会を届ける工夫が必要だ。
ファンのカスタマージャーニー最適化
マーケティングにおけるカスタマージャーニーとは、見込み客が商品やブランドを認知してから熱心なリピーターになるまでの一連のプロセス(旅路)を指す。アイドル産業でも、一人の人間が「一般人」から「ファン」、さらには「狂信的オタク」へと転じていく過程が存在し、これを段階ごとにデザインし最適化することでファン層の拡大と定着を図っている。
一般的に、ファンになるプロセスは次のような段階を辿ると考えられる:
認知(Awareness):人々がそのアイドルの存在を知る段階。テレビ出演や口コミ、SNS上のバズ(例:YouTubeのMVが関連動画で流れてきた、TikTokのダンスチャレンジで曲を知ったなど)がきっかけとなる。例えば、PSYの「江南スタイル」は世界中の一般人にK-popを認知させる役割を果たしたし、近年ではNetflixの韓国ドラマやYouTubeのリアクション動画で初めてK-popアイドルを知る海外視聴者も多い。
興味・関心(Interest):認知した人が、「もっと知りたい」と興味を持つ段階。ここで公式YouTubeチャンネルの充実やSNSでの情報発信が役立つ。BTSはデビュー当初からTwitterやYouTubeで日常の様子や舞台裏を積極発信し、興味を持った人々をさらに惹きつけた。日本のアイドルも、メンバー個人のブログやテレビでの素顔のトークなどで関心を高める。バーチャルコンテンツ(MV、バラエティ番組出演、Web配信番組など)を豊富に用意しておけば、新規ファン予備軍が深堀りする際の受け皿となる。
評価・比較(Evaluation):興味を持った人が、そのアイドルを好きになるか判断する段階。他の類似アーティストと比べて魅力があるか、自分の好みに合うかを見極める。ここで差別化されたポジショニングや独自の物語が効いてくる。例えば、「他のグループにはないメッセージ性がある」「◯◯ちゃんの人柄が推せる」と感じさせられればファン転向は目前である。ファンダムの評判も影響する。ファンコミュニティが閉鎖的・攻撃的だと新規参入のハードルになるし、逆に「新人さんいらっしゃい」とウェルカムな文化なら新規も入りやすい。
初回購入・行動(Purchase/Action):実際にCDを買ったりサブスク登録したり、コンサートに行くなど行動に移す段階。ここをスムーズに促すために、事務所は購入特典(初回限定フォト、シリアルコード応募券など)を付けたり、お試し機会(格安のファンミーティングや無料配信ライブ)を提供する。K-popではライト層向けにアルバム廉価版を出したり、英語曲をリリースして洋楽リスナーに「試聴」してもらう戦略もとられる。日本ではデビューシングル購入者対象イベントなどが典型だ。例えば乃木坂46はデビュー曲購入者を招待して握手会を開き、大量の新規ファンを固定ファン化することに成功した。
リピート・ロイヤルティ(Loyalty):一度ファンになった人が継続的にコンテンツ購入・消費し、熱心なファン(リピーター)になる段階。ここではファンクラブやSNSでの継続エンゲージメントが重要だ。公式ファンクラブに入会すれば先行チケットや限定グッズといったベネフィットが得られるため、多くのファンが入会する。ファン同士のコミュニティも人を繋ぎ留める要因だ。「推し仲間」ができるとファン活動自体が生活の一部となり、簡単には離れなくなる。BTSは2014年に公式ファンクラブARMYを組織し、会員にカードを発行して限定コンテンツを提供した。これによりファンは「公式に認められたARMY」としての帰属意識を持ち、一層深みにハマっていった。
エンゲージメント・伝道(Advocacy):熱狂的ファンが自発的に宣伝し始める最終段階。他の人に布教(おすすめ)したり、SNSで情報発信したり、時には前述のように広告を自腹で出すほどになる。ここまで来ればファンダムマーケティングの一部となり、新たな認知者を生み出す側に回る。このレベルのファンは極めてLTV(顧客生涯価値)が高く、チケットやグッズはすべて購入、遠征も厭わず、友人も巻き込んでくれる。アイドル側もその情熱に報いるため、ファン感謝イベントを開いたり、SNSでファンの企画に言及したりと双方向の関係を築く。
このジャーニーをいかに途切れさせずスムーズに進ませるかがマーケティング担当者の腕の見せ所だ。K-pop事務所は特にこの導線設計が巧みだと言われる。新人グループの場合、デビュー前からリアリティ番組でメンバーの人柄を売り込み(興味喚起)、デビュー時にはMVを大量露出して音楽ファンを比較検討段階に誘導する。その後、すぐにファン向けのVライブ配信を始めて親近感を与え、アルバム購入者向けサイン会で初回体験を提供する。一連の流れが途切れないよう計画され、新規ファンは一気にロイヤルティ形成まで駆け上がる。BTSも初期は無名だったが、K-CON出演で認知を広げ(2014年LAで初めて大観衆の前でパフォーマンスし米国ファンを獲得)、その直後にファンクラブARMYを組織して囲い込み、ファン制作動画を公式SNSで紹介するなど共創姿勢を示してエンゲージメントを飛躍的に高めた。結果としてファンがファンを呼ぶ好循環が生まれたのである。
<成功例> LOONA(今月の少女)というK-popグループはデビュー前から毎月新メンバーを一人ずつ公開し、各自ソロ曲を出すという独特のプロモーションを行った。これにより最初は「一人の新人アイドル」を認知した層が、毎月新しい個性に興味を持ち、徐々に「グループ全体のコンセプトは何だ?」と評価・比較を始め、全12人が揃う頃にはすでに濃いファンコミュニティが形成されていた。デビュー前から世界中にコアファンを抱えたLOONAは、正式デビューアルバムが米ビルボードワールドチャートで2位になるなど異例の成果を上げた。これはファンのカスタマージャーニーをデビュー前から段階的に演出し、デビュー時点で忠誠度の高いファンを大量創出できた例と言える。またTWICEの海外ファン獲得も巧みだった。彼女たちは日本デビューの際、日本向けリアリティ番組でメンバーの奮闘ストーリーを放映(認知・興味)、日本語曲で親しみやすさを提供(比較段階で優位に)、ファンミーティングで交流体験を即提供(初回行動)、以降は毎年のように日本ツアー開催&ファンクラブ設立(ロイヤリティ強化)と矢継ぎ早に打ち手を講じた。その結果、日本で最も成功したK-popガールズグループとなり定着している。
<失敗例> カスタマージャーニーの失敗は、各段階でのつまずきとして現れる。認知段階の失敗としては、せっかく才能ある新人がデビューしてもプロモーション不足で存在自体が知られないケースだ。事務所の規模が小さいと起こりがちで、埋もれたまま解散してしまう不運なグループも多い。また興味段階の失敗では、コンテンツ不足が致命傷となる。最近まで多くのJ-popアイドルがYouTubeに公式コンテンツをほとんど持たず、海外の潜在ファンが調べても断片的な映像しか得られない状況があった。これでは興味を持っても深掘りできず、ファン転化しない。評価段階の失敗としては、他との差別化に失敗し「よくある量産型だな」と思われてしまうケースだ。K-pop第4世代は競争が激しく、楽曲やメンバーに特徴を欠くグループは早々に話題から消えてしまう。購入段階の失敗では、例えばデビュー後しばらくイベントがないと熱が冷めてしまう。特に欧米ファンはリアルイベントへのハードルが高いため、オンライン施策を打たないとせっかく興味を持ってもらってもそこまでで終わってしまう。または、最初のコンサートでパフォーマンスが期待外れだったり対応が悪かったりすると「もうこのグループには投資しない」となってしまう。ロイヤリティ段階の失敗では、ファンクラブ運営やコミュニティ管理が悪い例がある。年会費を取っているのにコンテンツが少ない、運営からの発信がない等で不満が溜まると、せっかくファンになった人が離脱してしまう。韓国でも公式ファンクラブ会員数を公表しなくなった事務所があり、コンテンツ過多の中で有料会員の価値が薄れたとの指摘が出ている。エンゲージメント段階の失敗では、ファンとの双方向性を軽視した結果、熱量が冷めてしまうケースがある。例えば一方通行の宣伝ばかりでファンの声に耳を傾けないと、「この運営はファンを大事にしない」とネガティブな評判が広まりやすい。総じて、カスタマージャーニーのどこか一つでも欠けると、ファン獲得・維持のロスに直結する。逆にいえば、全ての段階をシームレスにつなぐことができれば強固なファン基盤が築ける。
デジタルマーケティングとSNS戦略
現代アイドルの成功において、デジタルマーケティングは不可欠の要素となっている。SNSや動画配信プラットフォームを活用した宣伝・ファンコミュニケーションは、地理的境界を超えてファンを獲得・維持する原動力だ。特にK-popは「デジタルファースト・常時オンライン戦略」とも言えるアプローチで、24時間365日どこかで話題を提供し続けている。
まず、主要なSNS(Twitter, Instagram, Facebook, TikTok等)や動画プラットフォーム(YouTube)がアイドルとファンを直接結ぶ場となっている。BTSはTwitterでファンと直接対話しエコシステムを築いたと評されるし、BLACKPINKはYouTube登録者がグループ世界一(2023年時点で8000万人以上)となり、動画公開のたびに再生数記録を更新している。SNS上でフォロワー数が多いほどブランド価値が上がり、話題作りの機会も増える。K-pop勢はグループ公式だけでなくメンバー個人SNSも積極活用しており、ファンに日常の一コマやセルフショットを届けることで常に身近に感じてもらう工夫をしている。これにより、ファンは推しを「画面越しの友人」のように錯覚するパラソーシャル関係を深めていく。
YouTubeは楽曲のミュージックビデオ公開の場として最重要だ。かつて日本の多くのMVはフルサイズ公開されず海外から視聴しづらかったが、K-popは2000年代からすべて公式チャンネルに公開して国際ファン獲得に努めた。その結果、「YouTubeでK-popに出会った」という海外ファンが大量に生まれた。Psyの江南スタイルはYouTube発のバイラルヒットであり、BTSの「Boy With Luv」は公開24時間で7400万再生を記録して世界を驚かせた。YouTubeはまたコンテンツマーケティングの場でもある。K-popはMV以外にも練習動画、バラエティ企画動画、ライブ映像、メイキング映像など多様なコンテンツを公式に無料提供し、ファンの興味を引き続けている。Westernのアーティストも最近はVevoや個人チャンネルで舞台裏映像を出すが、その量や頻度はK-popほど多くない。K-popグループはカムバックがない期間でも週1ペースでコンテンツを公開し、ファンのエンゲージメントを維持している。
TikTokやInstagramリールといったショート動画プラットフォームも重要だ。TikTokでは特定の楽曲に振付チャレンジを設定し、メンバー自身が踊る動画を投稿してバイラルを狙う。これはStray Kidsの「神メニュー」やIVEの「After LIKE」など多くの曲で功を奏し、世界中のユーザーが真似する流行を生んだ。インドネシアやフィリピンなどではTikTok経由でK-popを知る若者も非常に多い。また、Twitter(現X)はファンダムの情報交換と拡散の場だ。カムバックのたびに世界中のファンが統一ハッシュタグでツイートし、全世界トレンドの上位を占領するのは今やお約束である。この自発的拡散力は企業広告では得難いもので、デジタル時代ならではのマーケティング現象である。
アーティスト自身のデジタル活用も顕著である。K-popアイドルはVLIVE(現在はWeverse Liveに統合)という配信プラットフォームで頻繁に生放送を行い、ファンとリアルタイムで交流してきた。メンバーが夜食を食べる様子を配信するだけで数十万人が視聴しコメントが殺到する。日本のアイドルもSHOWROOMなどで配信を行う例が増え、ファンとの距離を縮めている。また、Twitterでのメンバー自身による投稿(セルカ=自撮り写真や手書きメッセージ)はファンへのサプライズプレゼントとなり、一瞬で何十万という「いいね」が付く。こうした常時オンライン状態を保つことが、現代ではファンダム維持の秘訣となっている。
デジタルマーケティングにおけるデータ分析も重要だ。SNSのフォロワーや再生数、クリック率などのデータを分析し、どの国・層で人気が伸びているか把握することで、次のツアー開催地やプロモーション内容を決める参考にしているとされる。HYBE(BTSの事務所)は統合プラットフォームWeverseでグローバルファンの行動データを収集・分析し、マーケ戦略に活かしていると言われる。Spotify再生データなどもリアルタイムでフィードバックが得られるため、楽曲選びやプレイリスト工作(ファンによるストリーミングパーティなど)に反映される。
<成功例> K-pop全体のSNS活用がまず成功例と言える。2017年にBTSがビルボード「トップソーシャルアーティスト」を受賞したのは、彼らのSNS戦略とファンエンゲージメントが当時世界最高水準だった証である。BTSはデビュー当初からTwitterやYouTubeを駆使し、ファンが英文字幕を付けるなどして国境を越えて広まった。SNS人気が先行して世界的人気につながった初のグループとして、ハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディにも取り上げられている。またBLACKPINKのYouTube戦略も成功例だ。彼女たちはMVの映像美・中毒性ある曲で世界中から再生され、YouTube再生回数は女性グループで史上最多レベルに達している。これがそのまま世界的ヒットに繋がり、米コーチェラ出演や各国チャート1位など実績を積んだ。JYPエンターテインメント創業者のパク・ジニョン氏は「K-popのユニークな戦略はファンダムマーケティングとソーシャルメディアの活用だ」と語っており、まさにデジタルマーケティングがヒットの原動力になっている。西洋でも、ジャスティン・ビーバーはYouTube発掘の先駆例であり、リル・ナズ・XはTikTokで「Old Town Road」をバズらせビルボードNo.1に導いた。これらはデジタル時代だからこその成り上がりであり、偶像(アイドル)の作られ方が大きく変わったことを示す。
<失敗例> デジタルマーケティングの失敗例としては、オンライン上の不適切発信や炎上が挙げられる。アイドル本人がSNSで失言し炎上してしまうと、それまでのイメージが崩壊しファン離れを招く。韓国のあるアイドルは私的アカウントでの発言が流出し、ファンへの陰口と取られる内容だったため大炎上し脱退に追い込まれた。またサイバー攻撃やヘイトの問題もある。デジタル上では人気者ほどアンチからの攻撃も受けやすく、炎上商法的に話題にされて疲弊するケースも見られる。さらに、日本の事例ではYouTubeでの出遅れが大きな機会損失となった。安室奈美恵や宇多田ヒカルといった90年代のJ-popスターは世界的ポテンシャルがあったが、当時まだYouTubeがなく海外ファンと繋がる術が限られていたため世界進出は限定的だった。もし彼女たちが全盛期に今のようなSNS環境を持っていれば、K-popに匹敵するブームを起こしていたかもしれない。これは時代の制約とも言えるが、一部日本勢のデジタル軽視(例えば2010年代までジャニーズ事務所はネット写真掲載NG、MVフル尺公開も最近まで皆無)は自らチャンスを逃した面もある。現在は改善しつつあるものの、K-popとのグローバル認知度格差はその間に開いてしまった。またデジタルコンテンツの質も課題となる。コンテンツ過多の中で粗製濫造に陥るとファンの満足度が下がる。あるグループは毎日のように動画を投稿したが企画がマンネリで視聴数が低迷し、せっかくの努力が実を結ばなかった。適切な頻度と質の維持が大切で、ただ量を増やせば良いわけではない。
ブランドパーパスとストーリーテリング
現代のマーケティングでは、単なる商品・サービスの提供に留まらずブランドパーパス(存在意義)を打ち出し、消費者の共感を得ることが重要視される。アイドルにおいても「このグループは何のために活動し、どんなメッセージを伝えたいのか」という軸がファンとの強い絆を生むケースが増えている。またストーリーテリング(物語性)もブランド構築の鍵となっており、アイドル自身の物語やコンセプト上の物語を巧みに紡ぐことで、ファンはただ音楽を聴くだけでなく物語の追体験者となる。
ブランドパーパスの面で特筆すべきは、BTSが掲げた自己肯定と共感のメッセージである。彼らは「LOVE YOURSELF」(自分自身を愛せ)というシリーズアルバムを発表し、若者に向けて自己愛と他者理解を訴えた。さらにユニセフと組んで「ENDviolence(暴力根絶)」キャンペーンの一環としてLove Myselfプロジェクトを立ち上げ、世界的な社会貢献活動にも取り組んだ。これらにより「BTSは若者の心の代弁者であり、社会に良い影響を与える存在」というブランドパーパスが確立された。ファンはその理念に共感し、彼らを応援すること自体が意義ある行動だと感じている。実際、BTSファン(ARMY)はグループ名義で世界中で慈善活動や寄付を行っており、アイドルのブランドパーパスがファンコミュニティ全体の指針にもなっている。一方、日本のアイドルは政治的・社会的メッセージを前面に出すことは稀で、「ファンに笑顔と元気を届ける」というエンタメ純粋主義的な目的が多い。しかしそれも一種のパーパスであり、たとえば嵐は震災復興支援などで「日本を元気に」という使命感を打ち出してファンに支持された。近年はジェンダーや多様性に言及するアイドルも現れており(韓国の女性アイドルがフェミニズムに言及して話題になる等)、社会とリンクしたブランドパーパスを持つ動きが出ている。
ストーリーテリングでは、アイドルの歩んできた軌跡や世界観が物語として共有される。ファンはデビュー前からの苦労話や下積み、メンバー間の友情エピソードなどに触れることで、単なる顔や歌だけでない人間ドラマに引き込まれる。韓国ではサバイバルオーディション番組が隆盛だが、これもデビュー前のストーリーを可視化する手法だ。I.O.IやWanna Oneなどは番組内での成長物語がファンの共感を呼び、期間限定グループにもかかわらず熱狂的支持を得た。また既述の通り、世界観コンセプトを物語化する手法もある。たとえばEXOは「EXO PLANETから来た超能力者たちが地球で...」というSF設定を持ち、その物語は楽曲やMVに散りばめられた暗号としてファンに提供された。ファンは考察を巡らせながら作品世界に没入し、次の展開を待ち望むという能動的な楽しみ方をしていた。さらに、メタ物語として「アイドルとファンが共に成長する物語」もある。AKB48はまさに「未完成な少女たちがファンに支えられてスターになっていく」という自己言及的な物語をブランド化したし、BTSも下積み時代から世界的成功までの過程自体が大きなサクセスストーリーとなってファンを熱狂させた。ハイライト(元BEAST)は事務所独立や改名といった苦難を乗り越えた物語でファンが結束し直した例もある。
エンゲージメントマーケティングとも関連するが、ブランドパーパスやストーリーを打ち出すことでファンとの双方向の対話が生まれる。ファンはSNSで自分なりの解釈や感想を発信し、アイドル側もそれを汲み取って次の作品に反映したり、ライブMCで触れたりする。これにより物語がファンと共有のものになっていく。たとえばBTSはアルバムごとにファンからのメッセージを受け取り進化していると語られ、最新作ではファンへの感謝をテーマにした曲を入れるなど物語が循環している。
<成功例> BTSのストーリーテリングとパーパスブランディングは音楽業界の教科書的成功だ。彼らは「7人組の無名少年たちが努力と友情で世界的アーティストになる」というリアルストーリーを成し遂げ、それをファンと共有することで神話化した。さらに「Love Yourself」という普遍的メッセージで世界中の若者の心を掴み、実際に国連でスピーチを行うまでになった。ファンはこの物語の登場人物の一部となったかのような帰属意識を持ち、「自分もBTSと共に歩んでいる」と感じている。これほど強固なブランドパーパスと物語性を持ったアイドルは他になく、マーケティングの観点からも極めてユニークなケースである。また女性アイドルのエンパワーメントの例では、Little Mix(英国のガールズグループ)が「女性の自立と友情」を一貫したテーマに掲げ、歌詞やMVでボディポジティブや女性同士の連帯を描いた。これにより欧米の若い女性から絶大な共感を得て、長年トップガールズグループとして活躍した。日本ではPerfumeが「テクノロジーとポップカルチャーの融合」をグループパーパスに近い形で体現し、近未来的世界観のライブ演出や発言で一貫性を保っている。結果、海外のテクノロジーイベントに招かれるなど音楽の枠を超えた評価を得ている。こうした例はいずれも、明確な理念や物語がアイドルを単なる消費財でなく文化的存在へと高めている。
<失敗例> ブランドパーパスやストーリーの失敗は、上辺だけで中身が伴わない場合や方向性のブレとして現れる。例えばあるアイドルグループが急にSDGs(持続可能な開発目標)を意識した曲を出したが、日頃の行い(過剰なプラ素材グッズ販売など)との整合性が取れておらず「偽善的だ」と一部で批判された。ブランドパーパスはファンが厳しく見ており、不誠実だと感じればかえって反感を買う。また、ストーリーの整合性も大事で、コンセプトをコロコロ変えるグループはファンが物語を追えず離脱してしまう。コンセプト路線変更自体は珍しくないが、世界観がリセットされて前の要素が一切継承されないと、一度作った物語資産が無駄になる。さらに、メンバー脱退や不仲説など負の物語が前面に出てしまうとイメージ低下を招く。例えばあるボーイズグループはメンバー同士の不和がSNSで露呈し、「絆」の物語が崩壊してファンが大量離脱したケースがある。加えて、ファンの期待する物語展開を無視し続けることも危険だ。長年所属していた人気メンバーの卒業(脱退)をドラマチックに描かず淡白に処理した結果、ファンが不満を募らせた例もある。要するに、ブランドパーパスやストーリーは両刃の剣で、巧く扱えば強力だが一度綻びが生じると信頼を失いかねない繊細な要素と言える。
エンゲージメントマーケティングと現代的CRM
最後に、エンゲージメントマーケティングと現代的なCRM(顧客関係管理)について考察する。エンゲージメントマーケティングとは、顧客との双方向の関係構築に重きを置き、継続的な関与(エンゲージメント)を高める手法である。CRMは従来からある概念だが、アイドル業界ではファン向けの独自プラットフォームやデータ分析手法を取り入れたFan Relationship Managementとも呼ぶべき進化形が現れている。
アイドルとファンのエンゲージメントを高める施策は様々だが、SNSでリプライに反応したり配信でコメントを拾ったりといった小さなコミュニケーションが積み重ねとして大きい。特に近年注目すべきは、K-pop業界が生み出した専用ファンプラットフォームである。先述のWeverse(HYBE社)、Universe(NCSoft社)、Lysn/Bubble(SM社)といったプラットフォームは、ファンが集いアイドルと交流できる一種のSNS兼ECサイトになっている。Weverseではアーティストが直接ファン投稿に返信したり、Bubbleではアイドルからプライベートメッセージが届く(擬似的1対1のDM形式)。これらはファンに「本当に自分に話しかけてくれている」と感じさせる巧妙な仕組みで、強い親密感を醸成する。またアプリ内で音声通話風のボイスメッセージ(AI音声を用いる場合もある)機能まであり、ファンは擬似的に推しとの会話を体験できる。これらサービスは月額課金やコンテンツ課金モデルになっており、ファンとの関係を深めると同時に新たな収益源ともなっている。Parasocial(疑似対人)関係の収益化と指摘されるが、ファンにとっては公式に認められた安心安全な交流の場であり、喜んで参加する人が多い。
現代CRMでは、こうしたプラットフォーム上でファンごとのデータ(年齢層、居住国、活動頻度、購買履歴など)が収集され、マーケティングに役立てられている。例えばWeverseではグッズやコンサートチケットの販売も行うため、一人一人のファンがどの商品に興味を示し、どのコンテンツに反応したか詳細に把握できる。そのデータを基に、セグメント別にプッシュ通知やメールで情報を発信したり、地域ごとの需要を測ってツアー日程を決めたりとデータ駆動型マーケティングが可能になっている。これはAmazonやNetflixが培ってきたCRMと同様の発想で、ファンも一種の「顧客」として管理されているわけだ。
また、エンゲージメントを高めるゲーミフィケーションも導入されている。Universeアプリでは、アーティストと疑似通話できるAI電話券を「ガチャ」のように提供したり、アプリ内イベントで上位に入ると本人からご褒美メッセージが貰えたりと、ゲーム的な要素でファンを熱中させている。さらにファン同士で応援を競い合う仕掛け(投票ランキングなど)もあり、楽しみながらエンゲージメントが向上する設計だ。ただしこれには課金競争の側面もあり、行き過ぎると問題となる(中国で問題視されたように)。
CRMの伝統的手法である会員ランク制度も用いられる。多くの公式ファンクラブでは継続年数や活動量に応じて優先特典(良席当選確率アップ、サイン会抽選応募権など)を与える。これによりファンはロイヤルティを維持するインセンティブを感じる。日本のジャニーズ事務所はFC会員数が数十万人規模に及ぶが、チケット抽選時に過去の落選回数を考慮するなど独自のアルゴリズムでなるべく公平かつ継続意欲を損なわない工夫をしているとされる。
<成功例> K-popの専用プラットフォーム戦略はCRMの新機軸として大成功している。BTSのWeverseコミュニティには全世界から数百万人のファンが参加し、毎日のようにメンバーやファン同士が投稿を行っている。そこで新商品告知をすれば瞬時にグローバル拡散し売上につながるし、ファンの要望もダイレクトに吸い上げられる。ある意味「自社EC+SNS」を持つことで、TwitterやInstagramといった第三者プラットフォームに依存しない独立したマーケティング生態系を築いた点が革新的だ。The Vergeも「K-popのファンプラットフォームは単機能SNSに進化し、アイドルとファンの関係を変えている」と報じている。またNCT127のCRM活用も例示できる。彼らは2020年に米国ツアー予定だったがコロナで中止となった際、SNSデータ分析から海外ファン向けのオンラインイベントを企画し、タイムゾーン別に配信時間を調整して多数の海外FC会員を維持できた。これもファンデータ分析と直接コミュニケーション基盤があったからこその施策だ。日本では坂道グループのメッセージアプリ(日向坂46の「日向坂46メッセージ」等)が成功している。お気に入りメンバーを選んで有料登録すると、本人から日々メールや写真が届く仕組みで、疑似的にやり取りしている感覚が得られる。これは韓国Bubbleの日本版とも言えるが、多くのファンが複数メンバー分を購読し収益に貢献している。さらに声優アイドルの分野でも、ファンクラブサイトで会員限定ラジオ配信やチャットイベントを行い、ファンとの距離を縮めている例がある。これらは規模は小さくともコアファンを逃がさないCRM戦略と言える。
<失敗例> CRMの失敗や課題としては、ファン疲れや不公平感の問題がある。エンゲージメントを高めようとするあまり、通知や課金誘導が多すぎてファンが疲弊したり辟易したりする可能性がある。例えば一部のファンは「公式アプリからの通知が多すぎて追いきれない」「すべてに付き合うのは仕事のようだ」と感じているという声もある。また、お金や時間を多く費やすファンほど優遇される仕組みは、一部のライト層を遠ざける恐れがある。これまで平等だったファンクラブ内に階層が生まれると、「自分は熱心ではないから…」とファン熱が冷めてしまう人もいよう。中国では極端な例だが、ファングループ内で金を出す者がリーダー的地位を持ち、出せない者は肩身が狭いという状況が問題視された。さらに、専用プラットフォーム乱立によるコンテンツ分散も課題だ。今やグループごとに別アプリが必要な状況で、複数グループを掛け持ちするファンは全部を管理するのが大変だという声もある。実際、韓国で近年一部の事務所がUniverseなど共通プラットフォームから離脱し、自前アプリに移行する動きがあり、ファン側からは「また新しいアプリを入れなければならないのか」と不満も出た。これはアプリ疲れ・プラットフォーム疲れとも言える。加えて、データ管理の問題(個人情報流出リスクなど)や、ファン心理のさらなる商業化への懸念もある。アイドルから届くメッセージが実はスタッフ代筆やAI生成だった場合、ファンの信頼が揺らぐ可能性もある(BubbleのAI音声通話機能は「偽物っぽい」と議論になった)。総じて、現代CRMは強力な武器だが、ファンの信頼と熱意を扱う繊細な作業でもあり、やり過ぎや不誠実さは禁物だ。
おわりに
現代アイドルのマーケティング戦略を主要理論の観点から包括的に見てきた。4Pでは製品コンセプトと収益モデルの巧拙が市場規模を左右し、STPではグローバル視点のセグメント戦略がK-popとJ-popの明暗を分けた。ブランド・エクイティの構築はアイドルを単なる一過性ヒットではなく長寿ブランドに育て、インフルエンサーマーケティングではアイドルの影響力が他産業にも波及した。ファンダムマーケティングはファン自身をマーケターに変え、エクスペリエンスマーケティングはモノ消費からコト消費への流れに乗ってファンの心を掴んだ。さらにカスタマージャーニー最適化によって効率的に新規ファンを囲い込み、デジタルマーケティングとSNS活用で地理的障壁を打ち破り、ブランドパーパスとストーリーテリングで文化的・精神的価値を付与し、エンゲージメント施策とCRMでファン一人一人との関係を深耕している。
地域ごとの違いも整理できた。日本は従来の手法を磨き上げ国内市場を極大化したが、グローバル拡張では韓国に後れを取った。韓国は日本から学んだアイドル制度に独自の磨きをかけ、世界を視野に入れたマーケティング総力戦で成功を収めた。アメリカをはじめ西洋のポップスターもSNS時代に適応しつつあるが、ファンダム形成や双方向性ではアジア勢の戦略から学ぶべき点がある。中国や東南アジアは韓流・日流の影響下で独自のアイドル経済圏を育みつつあるが、行き過ぎたファン行動への社会的制御も始まり、持続可能なマーケティングの模索に入っている。
現代アイドルマーケティングの潮流として浮かび上がるのは、「ファンを中心に据えた包括的戦略」である。マーケティング理論の各要素が相互に絡み合い、ファンとの関係性を起点にPDCAサイクルが回っている。プロダクト開発もプロモーションも体験設計も、すべてはファンの熱量をいかに高め維持するかに収斂する。で触れられたように、「ファンはもはや受け手ではなくアーティストの成長に寄与する能動的存在」なのだ。この共創的な関係こそが現代アイドルビジネスの革新であり、他産業のマーケティングにも示唆を与えるものとなっている。
今後もテクノロジーや社会環境の変化に伴い、アイドルマーケティングは進化を続けるだろう。メタバースライブやAIバーチャルアイドルの登場は、新たな体験価値と課題をもたらすに違いない。しかし根底にある「人々は物語と絆を求める」という本質は不変である。リアルでもバーチャルでも、ファンの共感と情熱を如何に引き出すか――その鍵はここまで見てきたマーケティング理論の巧みな応用にある。現代アイドルたちの成功と失敗の蓄積は、マーケターにとって貴重な知見の宝庫であり、今後もグローバル市場で注視すべきテーマである。
▷ AI入門noteはこちら
