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お金は「もらうもの」か「稼ぐもの」か。幼少期に育てたい金銭感覚

お金は「もらうもの」か「稼ぐもの」か。幼少期に育てたい金銭感覚


子どもが「これ買って!」と言うたびに、ポンと出せるお金があったとしても、私は出さない。

それは意地悪でも、家計が苦しいからでもない。自分で稼いだお金を、自分で使うかどうか判断するという経験を、できるだけ早いうちにさせたいからだ。

メタパパです。今日はうちのお小遣い制度の話をします。
ー皆さんはお手伝いにお金を払うのは、甘やかしだと思いますか?ー


うちのお手伝い単価表

うちでは、毎月定額のお小遣いは渡していない。その代わり、「労働力として本当に助かっている」お手伝いには、単価を決めて支払っている。

お手伝い単価表(の一部)

料理のお手伝いなど、子どもが純粋に楽しんでやってくれることにはお金を出さない。楽しいからやる、という内発的な動機をお金で汚したくないからだ。でも、正直「助かる!」と思う家事には、ちゃんと対価を払う。

毎回その場で支払うのは煩雑なので、月ごとに集計する。そしてその計算を、子ども自身にやらせる


お小遣い計算が、算数の土台になる

ここが、メタパパ的に一番面白いところだ。

たとえば、「テーブルふき10円を今月8回やった」とする。10+10+10+10+10+10+10+10。同じ数の足し算を繰り返していくうちに、「まとまりとして数を捉える」感覚が自然に育つ。かけ算という言葉を知る前に、その概念の土台が先にできていく。

さらに、テーブルふき×8回+食器しまい×5回+洗濯たたみ×3回を合計すると、繰り上がりのある足し算が自然に登場する。ドリルで「繰り上がりの計算をしなさい」と言われてやるのと、自分のお金を計算するためにやるのとでは、集中力がまるで違う。

自分のお金がかかっているから、真剣になる。

これは算数の本質と同じだ。量の概念は、リアルな文脈の中でこそ身につく。


お小遣い帳で「お金の流れ」を可視化する

100円ショップで買えるお小遣い帳に、毎月の収入と支出を記録させている。

出かけた先で「これ欲しい!」となったとき、私はこう言う。

「自分のお金で買う?」

自分がお手伝いを頑張って積み上げたお金を、ここで使うかどうか。その判断を、子ども自身に委ねる。小さいうちは、あればあるだけ使ってしまう。でもお小遣い帳を眺めながら、少しずつ「これを買ったら残りはいくら」「もう少し貯めたら、あっちが買える」という思考が育ってくる。

1000円くらいのおもちゃを、自分のお手伝いで貯めたお金で買えたとき、子どもが見せる顔がある。あれは、ポンと買ってもらったときとは、明らかに違う顔だ。
自分で稼いで、自分で使う。それだけで算数と自律が同時に育つ。


「お金がないから買えない」ではなく「使うかどうか、考える」

これは家計の余裕・不余裕の話ではない。

お金を出してもらえることが当たり前になってしまうと、努力と報酬の感覚が育たない。それだけでなく、「お金を使わなくても、別の方法で代用できないか?」を考える力も育たなくなる。

欲しいものが手に入らないとき、子どもはどうするか。諦めるか、工夫するか。この選択の積み重ねが、長い目で見たときの「問題解決力」につながっていくと、私は思っている。

前回の記事でアドラーの「課題の分離」の話をした。お金の使い方も同じだ。その選択の結果を引き受けるのは本人である以上、親がコントロールするより、本人に判断させる方がいい。

失敗してもいい。使いすぎて後悔してもいい。それが、本物の経験だから。


Claudeから一言

「お小遣い=算数の土台」という切り口は一次情報の中に明確にあったので迷いませんでした。悩んだのは、アドラーの話を入れるかどうかです。前回の記事との接続として自然だと判断して最後に一文入れましたが、入れすぎると説教くさくなるので最小限に留めました。あと「自分のお金がかかっているから、真剣になる」は私が補った一文です。


#子育て #お小遣い #算数 #かけ算 #お金教育 #非認知能力 #メタパパ #幼児教育

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