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「ないもの」ばかり見ていませんか? 人生が幸せになる人は「あるもの」を見ている

人は「ないもの」を見て生きるのか、「あるもの」を見て生きるのか

最近、ちょっと考えることがあります。

人って、今いる環境そのものよりも、「その環境の中で何を見ているか」で、人生の色が180度変わるんじゃないかと思うんです。

「お金がない」

「時間がない」

「いい上司に恵まれない」

「仕事が大変だ」

「もっと自由がほしい」

こうやって「ないもの」を数え始めると、人間というのは実に優秀です。

次から次へと出てきます。

「あれもない。これもない。そういえば、あれもない」

……もう、ないもの探しのプロです。

そのうち「そういえば、若さもない」とか言い出します。

これは私も危ないです(笑)。

でも、ちょっと視点を変えてみると、同じ人生の中に「あるもの」もたくさんあるんですよね。

お金はない。

でも健康がある。

時間はない。

でも、今日も目覚めた。

仕事は大変。

でも、帰る場所がある。

年齢は重ねた。

でも、その分だけ経験がある。

結局、「あるもの」と「ないもの」は、同じ人生の中に同時に存在しているんです。

違うのは、どちらを見ているか。

最近放送されている『ふつつかな悪女でございます』を見ていて、このことを強く感じました。

主人公の玲琳と慧月の対比が、とても象徴的なんです。

玲琳は病弱な身体で生きてきたからこそ、健康であることの価値を知っています。

ところが身体が入れ替わることで、今までとは違う身体を手にする。

そこで玲琳が見るのは、「失ったもの」ではなく、「今あるもの」なんですよね。

一方で慧月は、自分が望んで玲琳の身体に入ったにもかかわらず、病弱になったことで「ないもの」に目が向いてしまう。

ここが面白いんです。

同じ入れ替わりなのに、見ているものが違う。

だから、感じる人生まで違ってしまう。

これって、私たちの日常にも、そのまま当てはまるんじゃないでしょうか。

私は毎朝、柴犬と散歩しています。

だいたい朝5時から5時半くらいです。

我ながら、ずいぶん早起きです。

犬に起こされるならまだ分かります。

でも犬のほうは、たぶん「人間、今日も散歩よろしく」くらいにしか思っていません(笑)。

散歩の途中に神社があるので、私はそこで挨拶をします。

「今日も目覚めました」

と。

これ、言い方を変えれば、

「今日も生きています」

ということなんですよね。

朝起きた。

歩ける。

犬と散歩できる。

今日という日がある。

それだけです。

でも、それだけの中に、ものすごくたくさんの「ある」があります。

そして、この早朝の散歩が私は好きなんです。

朝5時くらいに歩いていると、毎朝のように同じ人と会います。

散歩をしている人。

ジョギングをしている人。

犬を連れている人。

この時間にわざわざ起きて外に出ている人たちです。

もちろん全員に聞いたわけではありません。

「あなた、今幸せですか?」

なんて聞いたら、朝5時から人生相談が始まってしまいます(笑)。

でも、少なくとも、その人たちはその時間を選んでいる。

眠っていてもいいのに、起きている。

布団という強敵に勝利して、外に出ているわけです。

だから私は、早朝には独特の「良い気」があるように感じるんです。

ところが、これが一時間、二時間遅くなると、街の空気が少し変わってきます。

「眠いなあ……」

「犬の散歩、面倒だなあ……」

「仕事行きたくないなあ……」

いよいよ人間社会が始まります(笑)。

もちろん、朝8時の人が全員どんよりしているわけではありません。

ただ、早朝にはまだ一日の雑音が少ないんです。

静かな時間の中で、前向きに動いている人たちとすれ違う。

それだけで、自分の気持ちまで整っていく。

私はこれを「良い気に触れる時間」だと思っています。

写真館の仕事をしていると、人の顔をたくさん見ます。

平塚市のスタジオサミットで撮影をしていると、本当にいろいろな表情に出会います。

同じ人でも、緊張しているときと、ふっと力が抜けたときでは、顔が全然違うんです。

写真って不思議です。

顔を撮っているようで、実はその人がその瞬間に何を感じているかまで写ってしまう。

だからこそ思うんです。

人の幸せって、持っているものの量だけでは決まらないんじゃないかと。

お金がある人が、時間がないことばかりを見ていたら、

「自分は忙しくて不幸だ」

と思うかもしれません。

お金がない人でも、健康で、今日も歩けて、大切な人がいて、朝日を見ることができたら、

「今日もいい一日だな」

と思えるかもしれない。

環境が違うのではありません。

見ているものが違うんです。

だから私は、朝、神社の前で、

「今日も目覚めました」

と挨拶します。

これは神様に何かお願いしているというより、自分自身に確認しているのかもしれません。

「おい、自分。今日も生きてるぞ」

と。

そして横を見ると、柴犬がいます。

たぶん本人はそんな深いことを考えていません。

「早く行こうぜ」

くらいでしょう(笑)。

でも、それでいいんです。

人生には、ないものが必ずあります。

でも同じように、あるものも必ずあります。

大切なのは、どちらを見るか。

「ないもの」を見続ければ、持っているものまで見えなくなる。

「あるもの」に気づけば、何も増えていないのに、人生が少し豊かに見えてくる。

もしかすると幸せというのは、

何かを手に入れたときだけやって来るものではなく、

「そういえば、もうこんなにあるじゃないか」

と気づいた瞬間に、静かに隣に座っているものなのかもしれません。

明日の朝も私は、柴犬と歩きます。

そして神社の前で、

「今日も目覚めました」

と言うつもりです。

……まあ、柴犬からすれば、

「毎日それ言ってるけど、早く散歩しようよ」

なんでしょうけどね(笑)。

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