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古寺社を巡る ②上色見熊野座神社

私はこれといって神社仏閣に詳しい方ではない。
ただいろんな土地を旅していると、
「何気なく訪れた寺社のスケールがあまりに大きく、圧倒されてしまった」
といった経験が何度かある。

例えば宮崎の鵜戸神宮。参道から少しそれて山を越えると、海に面した洞窟があり、その波打ち際にひっそりと鳥居が佇んでいる。そこには、自分が住む世界とは、また別の世界が広がるような、神秘的な空気が漂っていた。

鵜戸神宮

ほかには長野の戸隠神社。巨大な山門をくぐった先の参道は、両側に天を衝くような背の高い杉並木が永遠と続いている。終わりの見えない、長い長い参道を歩いていると、異空間に誘われているような気持ちになった。

戸隠神社

正直に言うと、こうしたスピリチュアルな話には、なにか胡散臭い気配を感じ、あまり信用できない。しかし実際にその地を訪れてみると、その土地がもつ独特の「神秘的な空気感」を体感し、心に強い共鳴を呼び覚ましてしまう。昔の人々が「神の住む場所」と感じたことがよく理解できる。

熊本阿蘇の旅で訪れた上色見熊野座神社も、まさにこんな場所だった。


神社の所在地は阿蘇郡高森町。場所は国道沿いで、大きな駐車場もある。平日の夕方ということもあり、人影はまばらだ。入口の階段は石畳で、両脇に狛犬が鎮座している。狛犬は随分いかつい顔をしている。
これらの風景自体は、日本中によくある神社に過ぎない。しかし少し目を凝らして、並べられた石をよく見ると、これらがかなり古いものであることがわかる。

入口の狛犬

この神社のことをすこし調べてみると、創建年は不明で、鎌倉時代末期~室町時代と推測されている。もともと磐信仰(いわくらしんこう)と呼ばれる日本古来の自然崇拝(アニミズム)が、この土地では根強く信じられていたようだ。磐信仰では、山などを神聖な場所と崇め、そこに神々が降臨すると信じる。自然そのものを信仰するため、神社のような建造物を持たないのが普通である。しかしこの地では、修行に来た修験者が神社を建築したようだ。

少し階段を登っていくと、弓なりに曲がった山道がどこまでも続いている。苔むした灯篭、その背後にはものすごく背の高い杉の木。まるで異世界へと誘っているような不思議な回廊である。

灯篭、背の高い杉並木、そして参道はどこまでも続く、、、

灯篭が等間隔にどこまでも続いている。全部で97基もあるらしい。電気もない時代に、真っ暗な闇の中に、これらの灯篭すべてに明かりを灯すと、そこはどんな光景だったのだろう。登っていくうちに、完全にこの世界観に取り込まれていく。

灯篭

20分近く階段を登り続け、ようやく鳥居にたどり着いた。鳥居には熊野宮と書かれている。これはいわゆる熊野信仰のことで、世界遺産にもなった熊野古道の流れを組むものだ。前述の修験者とはこの熊野信仰を修行していたようだ。
熊野信仰では自然崇拝と仏教が融合している。こうした神聖な場所を訪れることで、一人一人の魂から俗世の汚れを洗い流され、生まれ変わることができると信じられる。この鳥居をくぐることで、魂がよみがえるということだろうか。

鳥居

さらに階段を登ると、ようやく本殿に到着した。左右対称のシンプルさが美しい。大きな瓦葺き屋根は柱だけで支えられており、壁がないため向こうの景色が筒抜けになっている。まさに自然と一体となったような建物である。

本殿

本殿をお参りし、そろそろ帰ろうと思っていたら、ボランティアのような地元の方が、神社の掃除に現れた。少し挨拶をすると、本殿の裏手を登っていくと、崖にとても大きなが穴をあいていると教えてくれた。

「その穴をくぐると、どんな困難も乗り越えられる」

そうした古くからの言い伝えがあるらしい。なんとなく気になり、実物を確かめたくなった。脇に入ってしばらく坂を登っていくと、たしかにその大穴は現れた。

崖の中に大きな穴が見える

山の頂のすぐ下の壁に、縦横10m位の大きな穴がぽっかりとあいている。穿戸岩(うげといわ)と呼ばれるそうだ。

穿戸岩(うげといわ)

言い伝えによると、
太古の昔、健磐龍命(たけついわつのみこと)という神様が、この辺りで弓で遊んでいた。放った弓を集めていた従者の鬼八(きはち)は、弓拾いに飽きてしまい、落ちた矢を足で蹴り返してしまった。健磐龍命はそのことに大激怒し、鬼八を追い回し、この崖まで追い詰めた。恐れおののいた鬼八は、崖を蹴飛ばし、大きな穴を作って、そこから逃げてしまった。

なんとも人間味のある寓話で、その光景が目に映るようである。

しばらく穿戸岩を見ていると、ちょうど夕暮れにさしかかった。たまたま穴を通った一筋の光芒が、薄暗がりの中で一本の杉を照らし出す。
ここに神がいると言われれば、たしかにそんな気がする。

光芒に照らされる杉

信仰とはそんなものだろう。厳しい大自然の中で、慎ましやかな暮らしを営んでいた当時の人々にとって、こうした光景にこそ、神の存在を感じるのだろう。

日本は自然環境が多様である。様々な環境の中で、人々は長い時間にわたって暮らしを営んみつつけてきた。この神社のような奇跡に近い自然現象も数多く発見され、それらは大事に保存されている。こうした遺産に触れることは、旅のかけがいのない喜びの一つでもある。


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