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短編:華のないふたり

◉【アマノ文筆クラブ】参加作品

 夜のバス停に、冷たい雨が降っていた。
 傘を持たない女と、壊れかけた傘を持つ男が、屋根の下で並んで立っている。
「今日も、残業ですか?」
「うん。君も?」
「ええ、まあ」
 それだけの会話で、二人の間に沈黙が舞い戻る。互いの名前は知っている。職場が近いだけの顔見知り。
 時折、同じ時間、同じ場所で雨に打たれていることがある。その偶然だけが、二人をつなぐ唯一の細い糸だった。
 女はいつも地味なスーツに化粧っ気のない顔で、男はヨレたコートの襟を直すこともしない。

 華のない二人。

 それを本人たちもよくわかっていた。だからこそ、互いに飾らずにいられた。
 ある晩、男がポケットから古びた切符を取り出した。
「昔ね、電車の旅が好きだったんだ。窓の外を見ているだけで、広い世界のどこへでも行けそうな気がして」
 女は微笑んだ。
「いいですね。私も、どこか遠くに行ってみたいな」
 それきり、また沈黙。雨の音だけが二人を包む。だが、この夜だけは二人とも、帰り道の灯りがいつもより柔らかく見えた。

 翌週から、男はバス停に現れなくなった。聞けば、地方へ転勤になったらしい。女はその知らせを誰から聞いたのかも覚えていない。
 ただ、雨の夜になると、ふとあの切符の話を思い出す。行き先のない、片道の切符。それはまるで、彼の人生のようで、そして彼女自身のようでもあった。
 華のない二人が、誰にも知られず、同じ雨音を聴いていた時間。それだけが確かにあった。

 今でも女は、降りしきる夜の雨に、あの沈黙の温度を探してしまいそうになる。

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