現代版・枕草子 清少納言
千代越えて 逢ふふみにさへ 情けあり 君を妻(つま)とし 明かさむものを
(ちよこえて あうふみにさえ なさけあり きみをつまとし あかさんものを)
今の世は、私と其方が。生きた時代よりも一千年前。清少納言殿、私は其方を妻に迎えたい。
ブログ書く人、をかし
ブログ書く人、いとをかし。
誰に頼まれたわけでもないのに、夜更けに一人、光る板に向かひて、今日食べし饂飩のこと、猫の欠伸のこと、上司の理不尽のことなど、こまごまと書き連ぬる。あはれ、殊勝なるかな。昔、私が几帳の陰にて紙を広げ、筆をとりしときと、心の動き、寸分違はぬではないか。
人は皆、己の見しもの、思ひしことを、誰かに聞かせたくてたまらぬ生きものなのだ。それを「承認欲求」などと今めかしき名で呼び、恥づかしきものの如く扱ふ者あれど、笑止。かの藤原道長も、「この世をば我が世とぞ思ふ」と詠みて、しっかり後世に自慢投稿を残してをるではないか。千年前の望月の歌、あれこそ元祖バズツイートよ。
すさまじきもの
すさまじきもの。
心こめて書きたる記事の、閲覧数が三。しかもそのうち二つは自分。
「いいね」を押してくれると信じてゐた友の、他人の猫の写真にのみ千の「いいね」を押してゐたるを見つけたる時。
渾身の随筆を投稿したる直後、大臣の失言が世を騒がせ、我が文、時の流れの藻屑と消ゆるさま。
コメント欄に、文脈を全く読まぬ者が現れ、まったく別のことにて怒り出だしたる。「そんなことは書いてをらぬ」と返さんとして、いや、返さば負けかと筆を止むる、その瞬間の胸のざわめき。
いづれも、いとすさまじ。されど、また書く。人とはさういふものなり。
心ときめきするもの
心ときめきするもの。
夜半、書き上げし文を「投稿」と記されたる button に指を触るる、その一瞬。
翌朝、目覚めて枕元の光る板を覗けば、見知らぬ人より「読みました。泣きました」との一言添へられてある時。あはれ、この人は、いづくの、いかなる人ならむ。顔も知らず、名も知らず、されど確かに、我が心に触れて去りぬ。牛車の御簾の隙より、通りすがりの殿方と目が合うたる、あの心地に、いとよく似たり。
これぞ、いにしへの歌の贈答、文の遣り取りの、現代の姿ならむ。距離も身分も飛び越えて、心と心が一瞬触れ合ふ。器は変はれど、人の情の骨組みは、千年、少しも変はらぬ。
にげなきもの
にげなきもの。(似つかわしくないもの)
白髪の翁が、若き娘の口真似にて「〜みが深い」「〜すぎて草」などと書きたる。いや、悪しとは言はぬ。ただ、をかしみの種類が違ふのよ。翁には翁の言葉の趣あるを、なぜ自ら捨つるか。
真剣に世を憂ふる長文の末尾に、突如として自撮りの顔写真を添へたる者。文と顔と、どちらを見よと仰せか。
「炎上覚悟で申し上げます」と書き出だしながら、内容の毒にも薬にもならぬ時。覚悟が空回りしてをる様、いとあはれ。
あさましきもの
あさましきもの。
匿名なるを良きことに、面と向かひては決して言はぬ言葉を、平気にて他人へ投げつくる者。中宮様の御前にては小さくなりてをる公達が、局に戻りて陰口を叩くのと、寸分違はぬ。人の性根、千年経てど、これほど変はらぬものかと、ため息出づ。
されど、光る板の中には、また、いとやさしき人もあまた住まふ。会うたこともなき人の悲しみに、心より寄り添ふ者。誰も見てをらぬ深夜に、そっと励ましの言葉を置きて去る者。
闇の深きところには、必ず、それに応ずるほどの光もあり。これもまた、宮中と何ら変はらず。
をかしきもの
結局のところ、ブログもSNSも、我らが局にて交はしたる噂話、贈り合ひたる歌、書き散らしたる草子と、何ひとつ本質は違はぬのだ。
人は、書かずにはをられぬ。読まずにはをられぬ。誰かに見てほしく、また、誰かを覗きたい。
千年ののち、庶民の一人ひとりが己の草子を持ち、思ふさま書き散らせる世が来るとは、まこと夢のごとし。羨ましくもあり、また、少し、うるさくもあり。
――されど、をかし。いと、をかし。
この随筆、光る板に流し置く。誰か一人にでも届かば、それにて足りぬ。
「いいね」など、無くとも。(あれば、なほ嬉し)
