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クリスマス、親知らず、フジファブリック、志村さん

2009年12月25日、私にとっては思い出深い日である。2つの出来事があった。
1つは、全身麻酔で親知らず4本すべて抜いた手術の日。その年の夏〜秋の初め頃、レントゲンを撮影したところ歯科矯正中で上部の親知らずが下ではなく横に生えようとしているため、歯並びに影響していることが判明した。別の大きめの病院を紹介され、そこで抜くことになった。生えていない親知らず、1本ずつ抜くと時間がかかり矯正器具をつけ始めるタイミングが遅くなる上に、当時高校1年生で学校生活に支障をきたすこともあり、手術で親知らずを一気に抜くことにした。その手術ができる日がクリスマスしかないのがわかり、自分だけ早々2学期を終えてクリスマス・イブに入院した。入院した夜の夕食、申し訳程度のクリスマスケーキが出てきた。16歳にしては味が薄い、ショートケーキでもチーズケーキでもない、「クリスマスケーキ」と名付けられたれたそれに、私はあれ以来一度も出会っていない。あれは何だったのかしら。
手術当日の朝、麦茶を配ってくれるおばちゃんからの1杯を飲み、手術に向かった。手術前は親知らずを抜くだけなのに、こんなに身体検査をするのかと驚いた(なんなら、心電図で不自然なものが観測されたため再検査を受けた)それに、手術前も、「自分、親知らず抜くだけなんだよな」と思いながらベッドに寝ながら手術室に運ばれたのが、恥ずかしかった。
全身麻酔、一瞬で気を失い、次の瞬間目を覚ましたら手術が終了した。しばらく、あのドラマの病人役の人がつけているマスクを付けられた(酸素吸入器だったらしい)。意識が戻っているのにつけられていて、これ失敗したのか?と錯覚した。なんだかあつくて早く外してくださいとうなった覚えがある。
退院できたのはその5日後の12月30日だった。その間は、痛み止めの点滴をずっと打ったままご飯も食べられず、顔が腫れてアンパンマンではなく食パンマンみたいな形になるわ、勉強しようにも点滴が打たれているのでできないわで、ただただぼーっとすごしていた。母に新聞を買ってきたもらえて、それを読めたのが救いだった。麦茶のおばちゃんが来てくれれば完璧だったのに。

もう1つは、タイトルにある、フジファブリックの志村さん。手術前、亡くなったニュースを見た、めざましテレビだった、はっきり覚えている。
衝撃だった。正直、親知らずを抜く全身麻酔の手術の前に動揺してしまった。29歳で亡くなるとは・・・。
フジファブリックの志村さんは、同郷(市町村が違うが)で、新しいアルバムの都度、近所のTSUTAYAで借りていた。貧乏学生だったので、CDの売上にほとんど貢献できていないことを今でも申し訳なく思っている。山梨県出身のアーティスト、芸能人が少ないのもあり、必ず聞くようにはしていた。そんななかで、急にいなくなってしまった。高校生ながら、高校生だからこそ若すぎる死に、どのように気持ちの折り合いをつければよいのかわからなかった。そこからしばらく、大学に入るまで、フジファブリックの曲を聞くのを拒んでいる自分がいた。大学入学序盤でモテキを見るまで、聞けなかった。今では、ふと思い出したときに聞くようにしている。地元では数年に一度、志村さんの特集を放送しているので、それを観ることもある。

あれから、16年経つ。あの頃の倍の年齢になり、志村さんよりも老いてしまった。親知らずを抜いた後の縫い目もきれいさっぱりなくなった。
音楽のトレンドも日々刻々と変わっている。
そろそろ、志村さんの地元でまた、夕刻のチャイムが「茜色の夕日」に変わる。
志村さんの紡ぐ歌詞、サウンドが恋しい。平成、楽しかったなあ。
そういえば、最近「志村正彦全詩集 新装版」を手に入れた。パラパラと読んでいると、中学時代、高校時代が蘇ってくる。

もう、新曲を聞くことはできない。けれど、思い出して、彼の曲を口ずさむことはできる。思いを馳せることは自分が死ぬまでできる。

夢が覚めてむなしくなる 君思う日がある
眠りに落ちたなら 見つめていて
嘘をついた日は 素直になりたくもなるから
決まり事を忘れて 見つめていて

フジファブリック「ロマネ」

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