【同じ空の下で出逢うように】#86 再会
────秋。夕方にはすっかり涼しくなってきた頃。
百目鬼は、長期休暇でアメリカへ来ていた。
大学の時の友達との交流はまだ続いている。
中にはFBIにいる友人もいて、お互いの近況報告をしたりする。
ゆらは兄がアメリカを定期的に訪れることに余りいい顔をしない。
ゆらはアメリカに戻ることをまずしないし、ひとしきり飲んで食べて、兄が毎回少し太って帰るのが嫌なせいもある。
今日も、百目鬼は少しほろ酔いでご機嫌になりながら歩いている。
────ふと。
あの公園まで足を伸ばしていた。
───マナと出逢った、あの公園。
あの時に。自分が気づいてあげられていたら。
悔恨はずっとある。
百目鬼は噴水周りのベンチに腰掛け、物思いに耽っていた。
彼女の事を考えると、自分の無力さに胸が痛む。
結局助け出したのは井上だし、百目鬼は何もしていないのだ。
野理を縁にして言葉を紡いでいただけ。
─────彼女は元気だろうか。新生アストラル・フォージ社は順調に業績を盛り返していると聞く。
頑張っているのだろう。無理だけはしないで欲しい。
目を瞑って考えていると、ふと水音がする。
目を開けると噴水の前に十歳くらいの女の子がいる。
───一人か?
反射的に辺りを見回すが親らしき人影はない。
───物騒だな。
百目鬼が女の子を見ていると、彼女は噴水に何かを落としてしまった様子だ。
手を差し入れて何かを取ろうとしている。
ここの噴水は結構深みがあり、あの小さい手では服が濡れてしまう。
百目鬼はまた辺りを見回すが、やはり彼女の保護者らしき影は見えない。
───仕方ない。
百目鬼は思考を中断されたモヤモヤする気持ちで重い腰をあげる。
───子供を一人にするなんて。
苛立ちも加わるが、百目鬼は少女の近くにそっと屈む。
「何か落としたの?」
声をかけると、少女は少しびくっとして振り向いた。
明るい黒髪。前髪はカチューシャで上げられ、広いおでこが愛らしい。
グレーの瞳が訝しげに百目鬼を品定めしている。
「不審者じゃないよ。僕は日本人で、日本で刑事をやってる。」
とはいえ証明するものは無い。
警察手帳があってもこの少女には通用しないだろう。
百目鬼は距離を保ったまま、噴水を覗き込む。
「───あぁ、ハンカチ?」
ピンクのユニコーン柄の布が噴水の底に沈んでいた。
「僕が取るよ。君は濡れるから下がっていて」
百目鬼はそう言って袖をまくり、沈んでいるハンカチを掬う。
ぎゅっと絞って少女に渡そうと振り向くと、ギョッとする。
いつの間にか少女の母親と思しき女性が少女を抱きしめて立っていた。
険しい顔で百目鬼を見ている。
「………あの、その子がこれを落としたようで」
ハンカチを差し出すが、母親は動かず百目鬼の顔を凝視している。
その顔は青白い。
「ママ?」
少女はハンカチを受け取りたいのだが、母親が少女を固く抱きしめて動かない。
「ハンカチ、拾って貰ったの」
少女は母親の顔を見て説明しているが、動かない。
────そんなに不審者っぽいか?
百目鬼は軽く傷つきながらも立ち上がる。
母親は一歩下がる。
百目鬼が差し出すハンカチには目もくれず、ずっと百目鬼を見ている。
百目鬼は微笑んで少女の手にハンカチを握らす。
「もう、落とさないようにね」
これ以上関わらないようにしよう、そう思って踵を返し立ち去ろうとした時、母親が叫んだ。
「………マサ!!」
────えっ、と振り向く百目鬼。
マサ。
そう呼ぶのはアメリカの知り合いだけだ。
─────誰だ?
百目鬼は警戒しながら母親を見る。
顔が赤い。
先程までの警戒色は消え、頼りなさげな表情になって百目鬼を見ていた。
「マサ…………」
百目鬼は改めて女性を見る。
そして、あっ、と声を上げた。
「シャーロット………?」
────急激に胸が締め付けられる。
大学時代付き合っていた彼女。
ゆらの親友だった彼女。
ひっそりと大学を辞めた彼女。
百目鬼が、女性を心から信用出来なくなった原因。
百目鬼は少女に目をやる。
「…………君の、子かい?」
シャーロットはぎゅうっと少女を抱き寄せる。
「ママ……?苦しいよ」
少女は不安げに母親を見る。
「お友達、なの?」
百目鬼と母親を見比べている。
「僕と君のお母さんは、大学が同じだったんだ」
百目鬼は優しく少女に語りかける。
───自分は、上手く笑えているだろうか。
シャーロットは硬直したまま口を開かない。
────何故、呼び止めた?僕は君に気づかなかったのに。なぜ、このまま行かせてくれなかった?
足元がぐらぐらする。
─────そうなのか?そういう事なのか?何か言ってくれ、シャーロット。
シャーロットは泣き出しそうな顔をして、少女を連れて立ち去ろうと背を向ける。
「シャーロット!!!」
百目鬼の口から、自分でも驚くくらいの咆哮が出た。
彼女の足が止まるが振り返ろうとはしない。
「僕に、言うことがあるんじゃないのか!!」
────頼む。シャーロット。答えをくれ。
十年前の『あの日』の答えを。
必死なあまり、初めて女性に声を荒らげてしまった事に後悔する。
が、止まらない。
───僕は『あの日』からずっと重りを抱えて生きてきたんだ。
少なくとも僕は真剣に付き合っていた。
───シャーロット。
乗馬が趣味で、数ヶ国語を話し、知的でユーモアもある彼女。
───僕の、理想の人。
どちらからともなく付き合い始め、君の笑顔を見ることが好きだった。
────それが、『あの日』全て崩れ落ちた。
君を愛していたのは僕だけだった。
君が愛していたのは『僕』ではなく─────
「……ママ?」
少女の戸惑う声にハッとなる。
シャーロットは、振り返らない。
微かに肩が震えている。
「……………君、名前は?」
百目鬼は、少女に優しく声をかける。
「私は、エマ」
「……………いくつ?」
この知的な表情は、シャーロットに本当にそっくりだ。
ブロンドのシャーロットに、黒髪の娘。
───父親は?
「……行きましょう、エマ」
少女が答えるのを遮るように、シャーロットは動き出す。
エマは困惑した様子でその場から動かない。
「でも、ママ。ハンカチ拾って貰ったのよ」
シャーロットは娘を悲しげに見る。
────どうして、呼び止めてしまったのだろう。顔にはそう書いてある。
シャーロットは少し息を吐き出して
「……………拾ってくれてありがとう、マサ」
絞り出すように礼を言う。
「シャーロット。お願いだ。」
百目鬼も振り絞るようにせがむ。
────答えが欲しいんだ。
少しの間があり、ようやくシャーロットはゆっくり振り向いた。
目に涙が浮かんでいる。
「…………マサ。誤解はしないで欲しいんだけど、私は…………あなたが本当に好きだったの」
────誤解?
「…………誤解って?どのあたりが誤解だった?」
「あなたを傷つけるつもりも、ユラを傷つけるつもりも無かった。あなた達が本当に大切だった。ユラに絶交されて、悲しかった。泣いたわ。だから、大学を辞めた」
───何を言っているんだ。それは、もう良い。あれから十年もたっている。
「僕も君が好きで大切だった。だから、君の『意志』を尊重したんだ。」
シャーロットの頬を涙がつたう。
「………あの時は、マサが日本に帰るなんて思わなかったし、もう会えなくなるなんて思わなかった」
───いい。それはもういい。僕の傷を抉らないでくれ。
百目鬼は頭を軽くふる。
「…………違う。僕が欲しいのはそういう話ではなくて」
─────『あの日』。
卒業まで数ヶ月と言う頃。ベッドの上で、シャーロットは言った。
「マサ。あなたの子供が欲しいの」
百目鬼はもちろんギョッとした。
卒業しても、まだ十八歳なのだ。
もちろん、真剣に付き合っている。このままいけば結婚もするだろう。だが────
いきなり何を?
戸惑う百目鬼を見て、シャーロットはくすりと笑った。
「違うの、結婚はしなくてもいいの。私は、優秀なあなたの遺伝子が欲しいのよ。それが、大好きなマサの遺伝子なら最高だわ」
無邪気に笑うシャーロット。
───一人で産んで育てたい、ということ?必要なのは『僕』ではなく、僕の『遺伝子』?
百目鬼はしばらく言葉が出てこない。
頭が真っ白でなんと返事したのかも覚えていない。
ただ、必要とされていたのは僕ではなかった、という空虚だけが胸を締め付けた。
────その日、彼女と別れた。
自分が用済みになった気がして、家に帰っても虚ろなままだった。
ゆらは兄の変化に気付き、シャーロットを問い詰め、激怒した。
あれから、十年たつ。
─────この子は、僕の子なのか?
