【同じ空の下で出逢うように】#87 世界を震撼させるモノ
「エマは────八歳よ」
シャーロットが力なく答える。
「八歳…………」
「そうよ、私は八歳よ!」
エマが誇らしげに言う。
────僕の子では無かった……
百目鬼は気が抜けてしまい、足元がふらつく。
よろよろとベンチに腰掛ける。
「シャーロット、結婚は?」
────この子の父親は?
「いいえ、シングルマザーよ。」
シャーロットは白い顔で答える。
百目鬼は、それ以上考えることもできないくらい頭の中まで脱力していた。
─────そうか。そうか。
ずっとずっと。
───あれ以来、女性と本気で付き合うことが出来なかった。
───僕の知らない所で、自分の子が育てられているのかもしれないと思うと、女性と深みに入るのが怖かった。
また、同じことを言われそうで、気軽に誰かと付き合う気にもなれず、特定の彼女を作れなかった。
遊びで付き合うなんて、言語道断。何を考えているのか分からない女性の相手など恐怖でしかない。
自分でも、それなりにモテる自覚はある。
早良以外の同僚達がくれる好意は嬉しくもあり、また恐怖でもあった。
────僕を知らないくせに、どうして近づいて来る?
あれからずっと、『あの日』が百目鬼の心に澱として残っていたのだ。
十年越しに、すぅーっと心が軽くなる。
「………シャーロット。」
「………なぁに、マサ」
「……君は今、幸せなのか?」
シャーロットは少し間を置き、エマを見て微笑んだ。
「幸せだわ。」
エマも母親を見て笑う。
「……だろうね、エマは君に似てとても可愛いよ」
百目鬼もエマを見て微笑んだ。
エマは誇らしげに百目鬼にも微笑む。
「…………引き止めてごめん。」
百目鬼はシャーロットを見上げながら言う。
───送ろうか、とは言わない。
このまま、二度と会わない方が良いのだ。
シャーロットも、心の澱が取れたように微笑んでエマの手を握り去って行った。
帰国して、シャーロットに会った話をするとゆらは泣きそうな怒ったような表情をした。
子供を連れていた、というと顔面蒼白になり持っていたマグカップを床に落とした。
百目鬼が代わりにこぼれたコーヒーを拭きながら
「僕の子じゃ無かったよ」
と言うと、ゆらは顔を歪ませてソファの上で体育座りをする。
肩が震えているので泣いているのだろう。
「お前が叔母さんになるのはまだ先だな」
と言う兄に「ばか!」とクッションを投げつけるゆら。
───ゆらも、ずっと心に澱が残っていたのだろう。
───良かった。と、百目鬼は目が赤い妹を見て笑ったのだった。
─────もうすぐ冬になろうかという頃。
世界中が震撼する事になる。
───その日の午後、突然スマホから緊急アラートが全国に鳴り響いた。
地震?と野理がスマホの画面を見ると、見たことの無い文章が表示されている。
嫌、アラートを受け取った全ての人々が目にした事の無い警告文だった。
日本上空に不審な浮遊物体。
建物内に避難してください。
屋外に出ないでください。
────なに?どういうこと?
野理は窓から外を確認するが、良く分からない。
遠い新宿あたりの空に何かが見えるような気もする。
野理は続けてテレビを付けてみる。
果たして全ての局が緊急番組を放送していた。
上空に浮かぶ物体────
野理は思わず叫んでしまう。
「ナロードナヤさん!?!?」
階下にいる香の叫び声もほぼ同時だった。
どどど、と駆け上がってくる足音。
野理が青い顔で振り向くと、香は更に青い顔で部屋の入口にもたれかかってテレビを見ている。
「…………香さん」
「…………なにこれ。どうして」
カメラが移しているのは紛れもなくナロードナヤ。
新宿だろうか。
高層ビルより更に高く、浮かんでいる。
高すぎてピントはややボヤけているが間違いなくナロードナヤだ。
香が見たこともない服装をしている。いつものスーツではない。
何かの礼装のような、異世界モノであるような現実的でない服装。
その表情は、下界を見下ろしニヤついている。
唖然としながら二人は言葉もなく画面を凝視している。
レポーターが叫ぶようにして状況を説明している。
どうやら、同じ『浮遊物体』が世界中に同時に現れたらしい。
各国の姿と全く同じものが、どこの国からも見えると言う。
そして、各国の言語で
「これから我々が支配する、人々は指示に従え」
と言ったとの事。
「そんなわけ、無いじゃない……ナロードナヤさんがそんな事言うわけない」
野理が悔しそうに声を絞り出す。
自衛隊機がスクランブル発進したようだが、距離を置いて様子を見ているとの事。
警告しているが返答が無いこと。
────やがて。
業を煮やしたアメリカ空軍が先陣切ってミサイルを発射した。
─────ナロードナヤはそれを。
楽しそうな表情でぐるぐると回転しながら巻き起こしたつむじ風の中に取り込み、そのまま地上へミサイルを放り投げた。
一瞬で。
辺り一面が焼け野原になっていた。
続けてロシアや各国が同じようにミサイルを放ったが、同様につむじ風に取り込んだあと、そのまま地上が焼け野原となる。
「どうした?」
突然テレビから声がする。
────間違いなく、ナロードナヤの声だ。
「ここは攻撃しないのか?」
────笑っている。
香は崩れ落ちた。
「……嘘だ。………あんなの、ナロードナヤじゃない……。違う。違う、夢?これは夢………」
震えながら泣く香。
つかつかと野理は歩み寄ると、香の正面にかがみ、香の肩を揺さぶる。
「しっかりして!!!」
それでも泣き止まぬ香。
「こんなのおかしいよ!ナロードナヤさん、こんな事しない!香さん!あなたが一番分かっているでしょう!」
「でも…………でも……………」
野理は力いっぱい香の肩を揺する。
「香さんが信じてあげなくてどうするの!もし!あれが!本当にナロードナヤさんだったとしても!!香さん、あなたが止めなくてどうするの!?」
香の嗚咽がとまる。
ゆっくり顔を上げて妻の顔を見る。
今まで見たことの無いくらい怖い顔をしている。
───ナロードナヤより怖い。
ふっ、と香の力が抜ける。
───そうだ、あんなのおかしい。僕が止めなくて、どうする。ナロードナヤを、僕が止める。
「……………僕、行ってきます」
香はキッパリ宣言し立ち上がる。
野理の表情が優しい笑顔になる。
「…………気をつけて」
香が家を飛び出して間もなく、野理に電話がかかってくる。
───兄の大樹からだ。
「おい、どういう事だ!」
電話口の向こうで相当慌てた様子だ。
「兄貴、今さっき、香さんが止めに行ったから」
「くそっ、やっぱりあれが香の『父親』のナロなんとかで間違いないのか」
「ナロードナヤさん。もう、何回言っても覚えてくれないんだから」
「あれはどういう事なんだ?香に止められるのか?お前、お前は大丈夫なのか」
「あたしは家にいるよ、大丈夫だけど─────」
────行くつもり、という言葉は飲み込んで電話を切った。
行かなくてはダメだ。どうなっているのか全くわからないが、あの二人が争うのだけはダメだ。
それに、ナロードナヤさんは香さんを傷つける事はしない。
───あれが、本当にナロードナヤさんだったら、だけど。
