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「安易で身勝手」の先にあるもの

こんな記事を読んだ。

酒を飲んだ会社役員の男が、代行運転の費用を惜しみ、早く帰りたいという理由で車を運転した。走行中に居眠り状態となり、信号待ちの車に追突。女性にけがを負わせ、危険運転傷害罪で拘禁刑10か月、執行猶予3年の判決を受けたという。

裁判所は「安易かつ身勝手で酌量の余地がない」と厳しく指摘した。まったくその通りである。しかし、それほど危険で悪質な行為と認定しながら、刑務所には入らない。この結論に、どうしても違和感が残る。

酒を飲んで運転してはいけないことは、免許を持たない人でも知っている。まして代行運転という選択肢までありながら、金が惜しい、早く帰りたいと運転したのである。これは不注意というより、結果が起きる可能性を承知した上での確信犯的な選択ではないだろうか。

被害者のけがが約一週間で済んだのは、加害者の手柄ではない。たまたま死亡事故にならなかっただけである。信号待ちの車ではなく、横断中の歩行者や自転車、子どもの列に突っ込んでいた可能性もある。

道路は今、自動車だけでなく、自転車、電動キックボード、観光客、スマートフォンを見ながら歩く人などが入り交じり、ますます複雑になっている。だからこそ、まず運転者がルールを守るという大前提が必要になる。

道路がカオスだから仕方がないのではない。カオスであればあるほど、飲酒運転のような意図的な違反には、学習と抑止の意味を込めた厳格な適用が必要なのではないか。

「今回はけがが軽かった」「反省している」で済ませ続ければ、次の誰かは帰宅できないかもしれない。法律は事故後の事情だけでなく、次の事故を防ぐ力を持っていてほしい。

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