見出し画像

医師は病を診て、看護師は老いを見ていた

クリニックのドアを開けると、受付の前で患者が混みあっている。場所は何度か変わった。けれどこの混雑だけは、二十五年、変わらない。

かかりつけのクリニックに通い始めたころ、院長先生はまだ若く、私も若かった。小さな診療所に看護師は四人ほど。先生は淡々と検査をし、淡々と結果を告げた。私も淡々と聞いていた。お互い、それで十分だったのだと思う。

あれは十五年ほど前のことだ。

突然、お腹がグッと抑え付けられるように痛くなった。脂汗をかきながらクリニックに転がり込んだ。診察台に横たわると、先生がお腹のあちこちを押した。「ここは? ここは?」
朦朧としながら答える私に、先生の声がだんだん柔らかくなっていくのがわかった。

「これは手遅れになってはいけない。うちでは治療できない。今から医療センターに電話するから、すぐに行って」

仕切りの向こうから、先生の電話する声が緊張していた。早口だった。ふだんの淡々とした声ではなかった。

ERに運ばれた。全身裸の私を四人の医師が囲んだ。何をされたかはよく覚えていない。ただ、冷たい手が何本も同時に動いていた。天井の蛍光灯がやけに白かった。一晩、点滴の管をぶら下げたまま暗い病室にいた。ああ、先生はこういう夜があることを知っていたから、あんなに急いでいたんだと思った。

翌朝には恥ずかしいくらいケロリと元気になった。

この日以来、クリニックの先生の中で何かが変わったようだった。
私の調子が悪いときだけ、先生はとても優しくなる。ふだんは相変わらず淡々としている。その落差で自分の体の状態がわかる。

先生の優しさは、病に向いている。

一方、看護師さんたちの優しさは、もっと別のところに向いている。

クリニックは場所を移し、大きくなった。いまでは看護師が七人か十人か、正確にはわからない。私が五十代、六十代のころ、看護師さんたちはてきぱきと動いていた。無駄のない所作。簡潔な声かけ。こちらも「はい」「お願いします」、それだけでよかった。

ところが七十歳を過ぎたあたりから、空気が変わった。

血圧を測ってくれるベテランの看護師さんがいる。腕にカフを巻くその手が、いつからか、ずいぶんゆっくりになった。

「右の腕でいいですか。はい、測りますよ。110の75です。よかったですね」

声のトーンが、明らかに違う。やわらかくて、まるい。六十代以下の患者に話しかけるときとは、はっきり違う。

失礼を承知で正直に書く。私の耳にはときどき、こう聞こえる。

「右の腕でいいでちゅか。はい、測りまちゅよ。110の75でちゅ。よかったでちゅね」

廊下を歩けば「足もと気をつけてくださいね」。血圧が安定していれば「下がりましたね、よかったですね」。待合室で目が合えば「お元気そうですね」。

どれも善意だ。まぎれもない善意。けれど、なんだろう、この小さな居心地の悪さ。

体の衰えなら自覚していた。膝が痛む。物忘れが増えた。階段で息が切れる。そんなことはとっくに知っている。

だが、看護師さんたちの優しさは、それとは違う事実を突きつけてくる。鏡ではわからないことを、他人のまなざしが教えてくれる。──あなたはもう、そちら側ですよ、と。

先生は「病」を診ている。

看護師は「老い」を見ている。

少しむっとする自分がいる。でも、三秒くらいで「まあいいか」と思う。そしてふと気づく。むっとしたあとに「まあいいか」と思えるのは、子供の反応と同じではないか。

私はどうやら、子供返りしているらしい。

六十代のころなら、もう少し長くむっとしていられた気がする。いずれ、むっとすることすら忘れて、あの優しさをまっすぐに受け取る日が来るのかもしれない。

受付の前の混雑は、二十五年、変わらない。変わったのは、私のほうだ。そして厄介なことに、変わった自分も、そんなに嫌いではない。

いいなと思ったら応援しよう!

エゾモモンガ70代 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!