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スーパーの前で見た、人生の査定額--査定されるのは、血管か、指輪か、それとも人生か

スーパーの前に、のぼりが何本も立っていた。
「無料で血管年齢を30秒で測ります」
同じ文句が並んでいて、風が吹くたび、ぱたぱた揺れていた。

その奥に、少しだけ隠れるようにして、別の看板が見えた。
「貴金属の高価買取」
なるほど、と思うより先に、なんだか少しいやな取り合わせだな、と感じた。

こちらでは血管の年齢を測り、
あちらでは指輪やネックレスの値段を測る。
血管年齢を測って、「家の中に使わない貴金属はありませんか?」と聞いてくるのか?

ある程度年齢を重ねてしまうと、店先で血管年齢なんか測っても意味がないような気がしている。
考えてみれば若いころは、年齢なんてただの数字だった。
いまは、血管年齢だの骨年齢だの、気がつけば身体のあちこちにディスカウントの札がぶら下がっている。

人によっては、血管年齢を知っておいたほうがいいこともあるが、
測れた瞬間に、安心したり、がっかりしたり、妙に心が忙しくなるのが常のような気がする。

店の入口からは、今夜のおかずを考えて出入りする人たち、そのほとんどが血管の測定も貴金属の評価も目もくれない人たちだった。

無視する買い物客は「日々の暮らしの大事なものは、たいてい査定の外にある」と言っているようだった。

人は値段のあるものを集めながら、値段のないもので心を支えて生きているのかもしれない。

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