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明日の1000円より今日の100円

丁寧な生活をしたら少し自分が好きになれる

鰹出汁とった
土佐醤油を手作りした
公園でドーナッツを食べた

おいしいものをたべるために
ちょっとだけいつもとちがうことをする

少し丁寧な暮らしをしたら
じぶんがすこしすきになった


子どもは子どもなりの幸福を求めている

野田俊作さんの
性格は変えられる から

最近子供がいうこときかない。
でもいうこと聞かないってなんだよって
自分に問う。
夫がこの言葉を使うと異常にムカつく

子どもは子どもなりの幸福を求めてるから
お風呂にいつまでも入らずおもちゃで遊んでいるし
ごはん中なのに席を立ちまくる
子どもなりに楽しく生きたいんだろなとおもうと
マナーやルールは大事にしつつ
ちょっと怒る時にブレーキがかかるかもしれないなと思った

明日の1000円より今日の100円

いやちょいまて、明日の1000円だろと思うけどこれには前提がある。
今日の100円を得れなければ明日の1000円も手に入らない。
何が言いたいかと言うと、現実の自分と存在もしない理想の自分。
どっちを大事にするのか?と言う文脈だった(野田俊作さんの 性格は変えられる より)
今日の100円を大切にできない人は明日の1000円は大切にできない。
今ある現実の自分を大切に好きになろうということだった。
なぜ自分が好きではないのか?
そんなににこにこして自分をきかざってわたしはなんでそんなにじぶんを隠さないといけないの?
それはまたおいおい考えるとするか、、、


自分の箱に入ってしまう理由

自分の箱から出る方法 と言う本を読んでいる。
自分の箱に入る🟰自己欺瞞ってかいてあって、
要は自分の箱に入ってじぶんにいしきがむいて、それは人をモノだと思うくらいに自己を正当化し相手を考えないことだった。
自分の箱から出ればいいのだが
出ようと思えば半分はもう出てるらしい。
あと、すごく納得いったのが
箱の中にいると自分を正当化して、相手を貶めるのだが、
これはこれでよく考えると自分を正当化できるのだから相手を悪にしつづけてしまう。
たとえば、夫に飲み会はよ帰ってこい!という。時間通りに帰ってきたらちょっと、
自分的にスカってなってしまうときがある。
もちろん時間通りに帰ってきて、それがハッピーなんだが、
相手に、よく帰ってきたねぇ!とかいえるか?
ぎりぎりだね、、とかいってしまう気がする。
(いやいってる)
こう言うのが自分を正当化するためなんだ!といわれたらぐうの音もでない。

で??

となるがとりあえず
自分が対して好きではないのに
自分を正当化したいことだけはわかった日曜日でした。


他人を自分の思い通りに動かそうと思う人は怒るのです

この一文、「劣等感と人間関係」に記載があった。なんもなくしってる、なんとなくそう思ってる、ではなくバシッと言語化することって大事かなと思った。こうはなりたくなしい、おこってる人怖い、だから言うこと聞こうと言う謎のループに入るのではなく、
むしろおこってる人を軽蔑できるムーブが取れる気がした。すこしだけだけど。

穴子の白焼美味しすぎた
いつものタコの唐揚げ。
桜のミスド。食べたら中がピンクでキュート

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