古い秩序に代わる何かを構築しなければならない―『テクノロジカル・リパブリック』を読む(35)
はじめに
アレクサンダー・C・カーブ&ニコラス・W・ザミスカ『テクノロジカル・リパブリック』(村井章子訳、日本経済新聞社、2026年3月)を読む。副題は「国家、軍事力、テクノロジーの未来」とある。
著者はAIエンジニアリング会社(SaaSよりAI導入のSE会社とされる)パランティア(Palantir)・テクノロジーズの共同創業者である。ちょっと前はアメリカの軍事とAIの話題にパランティアはたびたび登場していた。最近はアンソロピック(Anthropic)やOpenAIも名前が挙がるが、もともとパランティアは米軍のシステムエンジニアリングにかかわっていたという背景がある。
考えてみれば、企業が国や軍を語ることなど10年前には考えられなかった。日本では今でも考えられない。ただ、無人化、ロボット化、AI応用については20年以上前から言われてもいたことなのだ。
そもそもシリコンバレーは民生先端技術の世界的中心地なのだが、AI発展と普及に至って国家的なことに言及するようになった、ということだろうか。
また、本書のまえがきの最後に「パランティア自体~共通の目的を持つ創造的な企業を構築する試みを続けている。行動とは、パランティアの場合はソフトウェアをはじめとする開発の成果を世界に届けることだ。そして、その理論を初めて明確な形で世に問うのが本書である」とあり、この書き方から必ずしも一般市民の視点やビッグテックと同じ考え方でもないのだろう。
つまり、パランティア自身の政治的・商業的立場を背景とした主張書、と客観的には言える。
本書は全4部、18章で構成される。今回は第4部「テクノロジカル・レパブリック(科学技術立国)の再建」、第18章「審美的価値判断」を、前回の続きから読む。今回が本シリーズの最終回である。
第4部第18章 審美的価値判断 An Aesthetic Point of View(続き2)
哲学者のレオ・シュトラウスは、道徳的視点の放棄が啓蒙主義、さらには科学革命(※本書では「シリコンバレー誕生の契機となった」とあるが、原子力か計算機のことだろう)の前提条件になったと述べた。シュトラウスによれば、道徳的に鈍感であることが、科学的分析を実行するためには必要だったのだ。政治学や社会学、経済学に正面から取り組む場合、価値判断は禁じられるのだが、価値判断は裏口から入り込む。価値判断がなければ、そもそも無関心なのだ。著者は、むしろ価値判断抜きの研究は文化として現在の(シリコンバレーの)ニヒリズムの種をまいたのだ、というのだった。
シリコンバレーの企業・技術者集団は、中立であることを強要された。その結果が空疎な国家理念である。
豊かで活気ある創造的共同体としての本物のテクノロジカル・リパブリックを築くには、価値や徳や文化を大切にしなければならない。
シンガポールのリー・クアンユーが理想としたのは、孔子のいう君子であった。「親を敬い」「妻に誠実で」「子をよく育て」「帝に忠誠を尽くす」人物だとリーは語った。だが今日ではそのような具体性は排他的だとして避けられる、と著者は言う。そして、包括性の上で、どんな徳や価値や模範を目指すのか、と問う。
帝国の崩壊が近づくと、徳の追求と涵養が行われなくなるという。歴史家ガイウス・サルスティウス・クリスプス(紀元前86~紀元前35)は共和制の堕落をみて、「生活が豊かになると、放縦と貪欲と傲慢さが若者たちの間に広まった」と書いた。この病は功利主義では直せない。新保守主義(ネオコン)のアーヴィング・クリストルは「世俗の正統的合理主義を改革することではなく、無気力な古い宗教の正統性に新たな息吹を吹き込むこと」を解決とした。
まさにこの点で左派エリートは、うわべだけの平等主義を追い求めた挙句に、政治構想を空疎にしてしまったのである、というのであった。正しさが追求され、善は打ち捨てられた、と。いま最も必要とされるのは、中身のない中立性ではなく、教育や技術や政治における文化的な固有性あるいは個性ではないのか。アメリカの存続と結束のために必要なのは、決して共通の文化の放棄ではなく、共通の文化の復活だという可能性を今こそ真剣に考えるべきだ、と。
※著者のいう共通の文化というのは、おそらく1950年までの西洋概論で教えられていた内容のことであろう。しかしこれが現代のアメリカ人の「共通の文化」なのか疑問だろう。
アメリカとアメリカ文化が攻撃や侵入に対して脆弱になったのは、共通の努力や共有体験を毛嫌いしてからである、という。アメリカ人はアメリカ文化について語ることにあまりに慎重で、語りたがらない。現在、アメリカ社会で多くの人が共有する文化的なものと言えば、政治に関わることではなく、エンターテインメント、スポーツ、セレブ、ファッションといったものだ。かつては学校教育・行事、兵役、宗教、報道といったものが絆を創り出していたが、それらは縮小している。
シリコンバレーは、アメリカの文化的経験にぽっかりと開いたこの空白のチャンスを逃さなかった。人々の生活を支配するようになったテック企業は、若者が渇望する創造の自由や成功を実現する小さな国のようなものだ。世界にはテック企業が集まる都市が存在するが、こうした都市は社会からある意味で隔絶され、国家事業にはもう提供できないものを世に送り出す。
今後(※おそらく、アメリカが)進むべき道は、自由市場を支持することと、ある種の経験の共有や共同作業を渇望する人間の本性とをうまく調和させることだと私は考えている、という。シリコンバレーや近傍のサンタクララの企業都市はハイテク共同体であり、(※資本獲得を目的とした)芸術家コロニーの現代版である。欧米で文化が空疎化し、個人が矮小化されたからこそ、金融やコンサルティング以外の分野で能力を発揮したいと願う優秀な人材をテック企業に招き入れる余地ができたのである。
地政学的に敵対する国を含め、アメリカ以外の国は、文化的伝統、神話、価値観の共有が国民の力を組織する上で重要なことを承知している。テクノロジカル・リパブリックの再建には、共通経験、目的やアイデンティティの共有、人々の心を一つに結びつける市民的儀式が欠かせないだろう。(※具体的には何だろうか?)
多くのテック企業が開発に邁進している技術の中には、現時点における人間の創造性の独占を脅かすような新しいAIも含まれる。だが、そのようなAIも、私たちの文化の産物なのだ。だから、文化を捨てるようなことは決してすべきではない。古い秩序は解体すべきかもしれず、そうならば、古い秩序に代わる何かを私たちはともに構築しなければならない。
このように、本書は終わる。
※最後には、シリコンバレーでやってきたことを文化とする考え方になっている。軍事や公共については本書においてかなり問題点を挙げていたのだが、左派非難だけになっているようだ。あえて言うなら、国にはシリコンバレー流を受け入れろ、と言い、またシリコンバレー企業には政治にかかわるような文化を議論せよ、と言っているのだろう。
謝辞に本書の出来た経緯について書かれている。本書そのものを理解するために必要な情報だろう。いくつか言葉を拾ってみる。
スローン・ハリスがリスクをいとわず果敢に攻めた結果、どんな分野にも属さず隙間に落ちこぼれるような本が出来上がった次第である。
ポール・ウィットラッチは臆せず一貫して野心的なもの、中身のあるものを書くように私たちを励ました。彼の文章のセンスと本気の議論を誘導する腕前のおかげで、私たちの考えは一層深まったと思う。
(パランティアが)消費者向けの製品ではなくアメリカの国防・情報機関のニーズにこたえる技術を開発するという大胆な構想を打ち出したのは、ピーター・ティールだ。シリコンバレーの野心が鈍ってきているのを彼は敏感に察知していた。
本書に書いた様々な考えは、パランティアという他とは一風変わった組織での私たちの経験から派生したものであると同時に、その経験を言葉で表現しようとする試みでもある。
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