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「日露戦争旅順攻防戦ー追記補足ー2/司馬遼太郎史観に騙されないで」/203高地戦のロシア側から見た実相の考察

乃木希典大将の日露戦争における闘いの実際を記して来た本欄の「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」(下記)は、

「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次|りょうさん

主に、「名将乃木希典 司馬遼太郎の誤りを正す」及びその復刊である
「乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す」 (PHP新書)に依っています。
前者と後者は、実質同著作で乃木神社の後援会とも言うべき中央乃木会の事務局長をされていた桑原嶽さんが書かれたものです。
もともと昭和57=1982年から昭和62年までの間に中央乃木会の機関紙「洗心」に連載された内容を私家版のような形で乃木神社社頭で販売されていたものが前者です(私も20年以上前に乃木神社で購入しました。そして繰り返し読ませていただきました)。後者は、それをPHPが平成28=2016年に新書版として復刊させたものです。
桑原さんは、陸軍士官学校52期(昭和14=1939年卒)の軍人で終戦時陸軍少佐、戦後自衛隊入隊陸相補で終えられた方で、軍人として実務を経験された戦史研究の専門家です。それだけにこの著作については日露戦の内容の正確さと論述の奥行きには格別のものがありますので皆さんにも是非ご購読をお勧めします。

203高地戦のロシア側から見た実相の考察

今回上記桑原さんの著作を再読しました。
これまで旅順攻略第三回総攻撃後11/27から12/5にかけて実施された203高地戦については既述(下記二記事)しています。

「日露戦争旅順攻防戦ー追記/司馬遼太郎史観に騙されないで」|りょうさん
「日露戦争旅順攻防戦ー追記補足/司馬遼太郎史観に騙されないで」/203高地戦実施のタイミングはやはり第三回総攻撃直後でベストではないのか、追記の追記:戦術としての203高地戦の意味|りょうさん
(上記では、第三回総攻撃後に行った203高地戦への決断のタイミングと戦略戦術に関しての合理性について論述しました)

以下は新たな視点として、今回の再読時に気付きました、203高地戦のロシア側からみた実相の考察について記します。

さて、この書の中で、203高地戦のロシア側から見た実相の考察が、乃木大将を扱った203高地戦の記載と、第三軍参謀長であった伊地知中将を扱った「伊地知幸介論」の2か所で記載されています。

ポイントは、
旅順露軍司令長官ステッセルがなぜ、
日本軍第三回総攻撃に続く明治37(1904)年11/27から始まる203高地への日本軍203高地攻略戦に、
露軍自身が戦力消耗し結局旅順要塞陥落を早めることとなったにもかかわらずあれほど大きな戦力を投入したのか、という点である。

その中で著者の桑原さんは、
バルチック艦隊は一カ月前の十月にバルト海を出港したばかりであり、実際日本近海に来るのはこの11月末時点から半年後の5月末であり、
ステッセルにとっては、
日々要塞を激しく攻められ糧食も少しづつ減少しまた第二回総攻撃以来倒れていく兵士の数も大きく増えている中で、
頼みとするのは満洲平野で戦っているクロパトキン露陸軍である。
しかし、頼みの綱のクロパトキンは、8月の遼陽会戦で遼陽を放棄退却し、10月の沙河会戦では日本軍に駆逐され、旅順にせまるどころか、かえって遠ざかってしまっている、このままではじり貧と焦りに焦っていたと考えられる、
としています。
そして桑原さんは、であるからこそ、203高地に日本軍が本格攻略に来た今こそ、露軍から打って出て日本軍に大出血を与える、それでこそ満洲のクロパトキン軍との合流により祖国を勝利に導くことが出来る、と考えたと考察しています。

ここのポイントは、日露戦争における非常に重要なポイントです。
この11/27から12/6までの203高地攻略戦で日本軍が、露軍に大きな損傷を与え203高地を奪取したこと。
これによって、このあとなお1カ月の時日を要しましたが、東北正面の3永久堡塁を坑道掘削の正攻法により奪取し、さらにその勢いをかって旅順要塞の核心である望台を奪取、ついに旅順要塞を降伏へと導いた、
まさに日露のあらん限りの戦力を振り絞って闘ったポイントオブノーリターンがこの203高地戦だった、ということになるわけです。

旅順の日露両軍の将兵の一人一人が、双方ともにその重要性を、このように後付け解釈したように明確ではないにせよ、十全に理解していたからこそ、あのような激しい戦闘を惹起したということだと思われるのです。
そして、旅順が日露戦争の帰趨を決めたということなら、まさに203高地戦が日露戦争の勝敗を決したと言っても過言ではないとも思われます。

以上、露軍側から見た203高地戦の意味について記事とさせていただきました。
以下の既述記事もご一読、ご再読いただければ幸いです。

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」|りょうさん

「日露戦争旅順攻防戦ー追記/司馬遼太郎史観に騙されないで」|りょうさん

「日露戦争旅順攻防戦ー追記補足/司馬遼太郎史観に騙されないで」/203高地戦実施のタイミングはやはり第三回総攻撃直後でベストではないのか、追記の追記:戦術としての203高地戦の意味|りょうさん










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