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幸せの閾値を下げたら見えてきたもの

幸せの閾値をあまり上げないようにしている。

閾値を上げすぎると今あるものでは満足できなくなるから。

もっと良いもの。
もっと高いもの。
もっと便利なもの。

「あれも欲しい」
「これも欲しい」
「今のままでは足りない」

そんな気持ちが少しずつ大きくなっていく。

もちろん向上心を持つことは悪いことではないと思います。

けれど、幸せを感じるための条件ばかり増やしてしまうと
どれだけ手に入れても満たされなくなる。

私は時々考える事があります。

もし今の価値観のまま、学生時代に戻ったら生活できるだろうか?

働き始めた頃の給料で満足できるだろうか?

昔は当たり前だった部屋。
昔は十分だった持ち物。
昔はごちそうだった食事。

今の自分は、それらを受け入れられるだろうか。

人は成長すると同時に、当たり前の基準も上がっていく。

それ自体は自然なことだ。

ただ、その基準が上がり続けると、幸せになるためのハードルも一緒に高くなってしまう。

だから私は、ときどき立ち止まって確認する。

今持っているものでは、本当に足りないのか。

それとも、ただ慣れてしまっただけなのか。

幸せとは、何かを足し続けた先にあるものではなく、今あるものの価値を思い出した時にも見つかるのかもしれない。

価値基準は時代によって変化する。

昔は高価だったものが当たり前になり、逆に価値があると思われていたものが見向きもされなくなることもある。

それは人間も同じだ。

年齢を重ねるにつれて、物に対する価値基準は少しずつ変わっていく。

以前は十分だと思っていたものでは満足できなくなり、より良いもの、より便利なものを求めるようになる。

それ自体は悪いことではない。

ただ、ふと思った事がある。

基準を上げることばかり考えているが、逆に下げたらどうなるのだろう?

そこで実験的に試してみることにした。

生活の質が大きく落ちない範囲で
物に対する価値基準を一段階下げてみる。

もっと不便に感じるのか。
もっと我慢が必要になるのか。

そう思っていた。

しかし実際にやってみると、特に何も変わらなかった。

困ることもない。
ストレスが増えるわけでもない。

むしろ使うお金が減ったことで、その分を本当に好きなものや大切にしたいことへ回せるようになった。

私はこれまで、価値基準を上げることが豊かさにつながると思っていた。

けれど実際は、基準を上げることで増える満足感よりも、基準を下げても変わらないものの方が多かった。

もちろん何でも安ければいいという話ではない。

ただ、自分が思っているほど多くを必要としていなかった。

そう気づけただけでも、この実験には価値があったと思う。
閾値を下げてから、意識するようになったことがある。

それは、当たり前だと思っていたものに目を向けることだ。

天気が良い。

それだけで少し気分がいい。

風が心地いい。

好きな飲み物を飲む。

今日も無事に一日が終わる。

以前なら見過ごしていたようなことに、小さな価値を感じるようになった。

そんな時に思い浮かんだ言葉がある。

「足るを知る」

昔の私は、その言葉をどこか消極的な考え方だと思っていた。

向上心を捨てること。
現状に甘んじること。

そんなイメージがあった。

けれど実際は違った。

足るを知るとは、成長をやめることではない。

今あるものの価値を正しく認識することなのだと思う。

以前の私は流行を追いかけていた。

新しいものに価値があると思い込み、人の評価を気にし、人の意見に左右される。

そして「みんなが欲しがっているものは価値がある」と信じていた。
今思えば、流行という名の幻想に踊らされていたのかもしれない。

もちろん流行そのものが悪いわけではない。
ただ、自分で価値を決める前に、誰かが決めた価値を追いかけていた。

閾値を下げてみて気づいた。

本当に必要なものは意外と少ない。

そして幸せは、新しい何かを手に入れた時だけでなく、すでに持っているものに気づいた時にも感じられるのだと思う。


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