本当に大切な人に、優しくできない理由
なんで家族には優しく言えないのかな。
家族のことが大事じゃないのかな。
そう思うことが、私にはよくあります。
職場では、誰かがミスをしても、できるだけ冷静に対処するようにしています。
「なんでそんなことしたの?」と責めるより、「じゃあどうするか」を考える。必要ならフォローもする。
友人と食事をしていて、飲み物をこぼされたとしても、「大丈夫?気をつけてね」くらいで終われる。相手を責める必要なんてないと、自然に思える。
なのに、不思議と、一番大切に思っているはずの家族に対して、同じようにできないことがあります。
飲み物をこぼした時。
忘れ物をした時。
何か失敗した時。
その瞬間に、「だから言ったじゃん」「こぼしたなら早く片付けて」
——そんな言葉が、口をついて出てしまう。
言ったあとで、後悔が押し寄せる。
「あんな言い方しなくてもよかった」「もっと優しく言えばよかった」と。
なので翌日にはすぐ謝る。
昨日はごめん…
言い方が悪かった…
なぜ、他人にはできる優しさが、家族にはできないのだろう。
考えてみると、それは「大切だから」なのかもしれない、と気づきました。
大切だから、感情が動いてしまう。職場では理性が先に働くから、「起きてしまったことだから対応しよう」と考えられる。
友人の失敗なら、「誰にでもあること」と思える。
でも家族には、そこに期待が混ざります。
「気をつけてほしい」
「同じことで困ってほしくない」
「もっとこうしてほしい」
——そんな思いがあるから、小さな出来事が大きく見えてしまう。
目の前の出来事だけに反応しているようで、実は今まで積み重なった感情まで一緒に出ている。
だから、飲み物をこぼしたことに怒っているようで、本当は同じことの繰り返しに怒っているのかもしれません。
もう一つ、家族だからこそ起きることがあります。それは「安心」です。
職場では、言葉を選びます。
「この言い方をしたら傷つくかもしれない。関係が悪くなるかもしれない」と考えて、自分を抑える。
でも家族には、常に一緒にいるという甘えがある。
だから感情のブレーキが弱くなる。近い存在だからこそ、遠慮がなくなる。
でも本当は、一番大切にしたい相手だからこそ、一番丁寧に向き合いたいはずなんです。
もちろん、いつでも優しくいることは難しい。
疲れることもあるし、余裕がない時もある。
イライラだってする。
だから大事なのは、怒らないことではなく、「自分は何に怒っているのか」を考えることなのかもしれない——そう、最近思うようになりました。
本当に怒っているのは、飲み物をこぼしたことなのか。それとも、「何度言っても伝わらないと感じていること」「自分ばかり気をつかっている気がしていること」「ただ単に、余裕がなくなっていること」なのか。
言葉が出てしまったあと、少し間を置いて、そこを自分に聞いてみる。
それだけでも、次の言葉は変わってくる気がします。
「だから言ったじゃん」ではなく、「また困ると思って焦った」「責めたいわけじゃなくて、心配だった」と言えるかもしれない。
最初からうまくやろうとせず。言ってしまったあとに、「さっきの言い方、違ったな」と気づいて、もう一度声をかけてみる。それを繰り返してみる。
感情が出てしまったあとに、「もっと違う言い方ができたんじゃないか」と考えられる人。自分の言葉を振り返れる人。そういう人であり続けたい。
一番大切な人に、一番優しくできない。それは愛情が足りないからではなく、近すぎるからこそ難しいことなのだと、今の私は思っています。
だからこそ、少しずつ。大切な人ほど、丁寧な言葉を選べる自分でいたい。そう思いながら、今日も家に帰ります。
