「エモい」に負けない文章を。
「エモい」とは、使い勝手のいい言葉だ。
とはいえ、40代半ば松坂世代の私には、「エモい」と言われてもピンとこない。子どもたちがたまに「エモい」と言っても、「つまり何?」と聞き返したくなる。
エモいとは何か。
「エモい」は、ある対象に対して”感情の変化”が起こった時に用いられる言葉。わかりやすく言うと、何かを見たり聞いたりしたことで、”何とも言い表せない気持ち”になった時や、強く心を動かされた時によく使われる。この言葉は特に若者の間で広まっており、日常的に使われることが多い。シンプルに感情を表現するのに便利な言葉として、幅広く浸透しているといえるだろう。
特定の意味を持つというよりは、使用する場面や対象によってニュアンスが変化するのもエモいの特徴。特に、「懐かしい」「感傷的」「感動的」「ノスタルジック」「趣がある」などの意味を込めて使われることが多い。また、「切ない」「物悲しい」のように、哀愁を含んだものに対して「エモい」と表現することもあるようだ。
意味を見ても、わざわざ「エモい」と言わなくても、懐かしいとか感動したって言えばいいのにと思ってしまう。言葉には流行があり、意味も時代によって変化するのは分かっている。こうやって一言モノ申したくなるのが年寄り臭いところだと思うけど、調べれば調べるほど違和感を感じてしまう。新しいことは取り入れたい。でも「エモい」に関しては上手く付き合えない自分がいる。
こだわりが強いかもしれないが、私は極力「エモい」を使わない。ママ友との会話に出てきたらそれとなく同調するが、自分から言い出したことはない。もしかしたら、ママ友からは古風な人と思われているかもしれない。それでもやはり、「エモい」に違和感があるので使いたくないと思ってしまう。それに「エモい」とうっかり言って、「若ぶっている」と思われるのも何だか癪だ。
とりわけ、noteで文章を書くようになってから、ますます「エモい」という言葉から遠ざかったように感じる。自分の感情を文章にしたい私は、「エモい」の一言で済まさず、何をどう感じたかをきちんと記したいと思うからだ。
別に「エモい」を使う人を否定しているわけではない。
もしかするとnoteの世界でも、心が動いたことをすべて「エモい」と表現する時代が来るかもしれない。今のところはあまり見かけないけど。
私が不器用で、「エモい」を上手く取り扱えないだけだ。でも、心が動いたことを全部「エモい」にしてしまうと、私の文章は途端に特徴を失う気がする。調子が狂ってしまう。リズムがなくなってしまう。子どもの成長の一コマも、美しい景色も、素晴らしい映画も、全部「エモい」になったら。私が書く意味がなくなってしまうと思うのだ。
もしかしたら私は、「エモい」に恐れを抱いているのかもしれない。心が動いた時に使う言葉が、「エモい」に侵食されていくような気がして。「エモい」の使い勝手の良さに、強く危機感を抱いている。
別に私は学者でもなければ作家でもない。
ただのnoteクリエイターだ。
しかし、言葉を表現する端くれとして、「エモい」の使い勝手の良さに頼らず、これからも自分を表現していきたい。
