【短編小説】月だけは見ている
ここは警察。
任意同行をかけられた俺は、取り調べを受けていた。
「あなた、犬飼丈二を殺しましたね?」
目の前の刑事は、俺をまっすぐに見つめて言い放った。完全に俺を犯人だと思っているようだ。
「いいえ、違います」
俺は淡々と答えた。
本来なら、ここで取り乱すのかもしれないが、俺はあえてそうしなかった。
なぜなら、犯人は俺だから。
それは確かに間違いない。
でも、まだイエスとは言わない。
認めるわけにはいかない。
刑事はまだ、正解にたどり着いていないからだ。
刑事の推理は、穴だらけの状態だ。
「あなたにアリバイはない。事件が起きた時、あなたが現場にいたことも監視カメラで確認しています。状況があなたを犯人だと言っているんです」
さらに刑事は、畳みかけるように言った。
「あなたが犬飼を鈍器のようなもので殴って殺した。違いますか?」
思わず俺は吹いた。
まるで、刑事ドラマのセリフだ。平成時代の2時間サスペンスドラマによく出てきそうな、陳腐な言葉だった。本当にこんなことを言うのだと思ったら、笑いがこらえきれなくなってしまった。
「何がおかしい!」
刑事が立ち上がって叫んだ。
激怒しているらしい。
「落ち着いてくださいよ、刑事さん」
俺は淡々ととりなした。
刑事のあまりに必死な様子を見て、一応謝った。
「申し訳ありません。あなたがあまりにも一生懸命すぎるのがおかしくて」
そう言うと、頭を下げた。しかし、かえって火に油を注いだようだ。馬鹿にされたと思った刑事は、顔を真っ赤にしてさらに怒った。
「ふざけるな!お前が犯人だろ!いい加減白状したらどうだ!」
俺は、取り乱す刑事を観察した。
──人間って、本当に怒ると顔が赤くなるんだな。
初めて見た光景だ。滅多に見れるものではないだろうから、記念に1枚スマホで写真でも撮っておきたいところだ。しかしここは警察。そんなおふざけが許されるわけもなかった。刑事は俺の気持ちを知ってか知らずか、まだ怒っている。部屋にいたもう一人の刑事に抑えられているが、息は荒いままだった。
こんな取り調べで恫喝されたところで、俺は簡単に折れる気はなかった。まだ、警察は何も解明していない。アリバイと目撃情報だけで俺を犯人とみなしているが、それだけでは正解とは言えない。完璧ではないからだ。100点を出すまで、俺はイエスと言わない。
──鈍器のようなもので殴った?その鈍器はどこにあるんだよ。見つけてみろよ。どうせ俺を追い詰めるなら、動機も凶器のありかも、すべて解き明かしてからにしてほしい。
俺は落ち着いて、刑事に言った。
「これって、任意同行ですよね。まるで私が犯人のように言われてますけど違うものは違うんで、これ以上何もなければ帰らせていただきたいのですが」
あえて丁寧な言い方で、刑事の精神を逆なでしてやった。刑事は今にも俺につかみかかろうとした。また他の刑事に抑えられて、俺は無傷で済んでいる。
別の刑事がやってきた。
「松下さん、今日のところはもうこれ以上無理です。帰しましょう」
「帰すわけにいかない!」
「証拠がないんだから、仕方ないじゃないですか」
「しかし、犯人に逃げられるかもしれないんだぞ!」
「まだ犯人とは言えませんから。今日のところは、ね」
「…わかった。今日のところは帰してやる」
こうして俺は、やっと解放された。
こっちが弄んでやろうと思ってはいるものの、怒鳴り声を聞き続けるのは正直疲れる。ストレスが全くないとは言い切れない。軽く疲労を感じながら、警察署を後にした。
帰り道、警察官らしき人物が俺をつけてきているのがわかった。向こうは俺に尾行がバレていないと思っているらしいが、影ではっきりわかってしまうぐらい間抜けだった。
──おいおい、素人に尾行がバレるようじゃまずいんじゃないか。
俺はまた吹きそうになった。撒いてやろうかと思ったが、どうせ俺の自宅の場所は押さえているのだろうからと、無駄なことはやめた。警察官は家までついてきた。
どうやら、ずっと監視されるらしい。警察は本気を見せているつもりだ。しかし、今さら監視したって何も出てこないだろう。すでに証拠は消えつつあるのだから。尾行したところで、証拠は見つからない。
◆◆◆
誰を殺しても一緒だった。人間だったら、誰でもいいと思っていた。俺の実験材料になるなら、誰を殺しても一緒だった。
誰でもいいのなら、せめて人間のクズを抹殺したほうが社会に貢献できると思った。実験材料になる人物を探していた時に出会ったのが、犬飼だった。俺より体が小さくて不健康そうな犬飼は、毎日鍛えている俺よりも腕力がないと思った。
犬飼のことは、少し調べたら相当なクズだとわかった。
アイツは人を車でひき逃げしたし、会社の金も使いこんでいた。それに、女に暴力をふるい中絶させていた。酒にだらしがなく、毎晩のように浴びるように酒を飲んでいる。どこをどう切り取ってもクズみたいな野郎だった。こんな奴がひとりいなくなったって、社会はなにも困らない。俺の実験材料にはうってつけだった。
そこで俺は、偶然を装って犬飼に近づいた。身につけていた腕時計を褒め、でたらめの儲け話をしたら、ホイホイと簡単に乗ってきた。実際20万円ほど儲けさせたら、犬飼は俺を師匠と呼んだ。もっと教えを請いたいと言い出し、毎週会うようになった。
すっかり気を許した犬飼は、毎度家に俺を呼ぶようになり、得意だと言う料理をふるまってくれた。はっきり言ってそこまで美味しい料理ではなかったが、褒めるとすっかり舞い上がり酒を飲んだ。犬飼はすっかり俺に気を許していた。
あの日、俺はいつも通りアイツの家に行った。
俺は、酒のつまみを持ってきたようなそぶりで、凶器を家に持ち込んだ。そして、犬飼が後ろを向いたときに、凶器で後頭部を思い切り殴り、殺害したのだった。凶器はその場で回収し、指紋は全部ふき取り、俺は犬飼の自宅を後にした。
◆◆◆
警察から帰ってきて台所の明かりをつけると、冷蔵庫が低い音を立ててたたずんでいた。冷蔵庫を開け、作り置きのサラダチキンが入ったタッパーを出した。チキンを皿に盛りつけようと思ったが、面倒くさくてやめた。タッパーのまま食卓に置き、コンビニで買った野菜サラダと一緒に食べた。
──これで完璧だ。
食事が終わるのと同時に、証拠は完全に消えた。
凶器はもう、この世には存在しない。
物証がなかったら、警察も俺を犯人として検挙できるわけがない。凶器が見つからなければ、犯人の決め手に欠けるからな。
空っぽになったタッパーを見ていたら、笑いがこみあげてきた。俺の勝利は決まった。凶器は金輪際見つからない。絶対に自信がある。
◆◆◆
なぜなら凶器は、今食べたサラダチキンだからだ。正確に言うと、サラダチキンを作る前の、凍った2枚の鶏むね肉が凶器だ。
実験とは、「鶏むね肉で人を殺すこと」だった。岩のように固く凍った鶏むね肉で人は殺せるのか、試したかったのだ。
俺は鶏むね肉を現場から回収し、家に帰ってから丁寧に血を洗い流した。肉を入れたビニールに血液が付着していたから、燃やして処分した。
──このむね肉を食べてしまえば、証拠は消える。
そこで、鶏むね肉を解凍して下味をつけて蒸し、サラダチキンにした。むね肉2枚を一気に食べるには無理があったから、作り置きのおかずにして毎晩少しずつ食べた。
そして今日、全部食べ終えたのだ。
狂っているのは分かっている。
それでも、実験の衝動には抗えなかった。
そして、実験は無事に成功した。
すっかり満足した俺は、ソファに寝そべった。
窓辺の月だけが、俺のすべてをずっと見ていた。
