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見えているのに、見えていない。『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで

『イン・ザ・メガチャーチ』は、一言では言い表せない物語だった。

でも、読み終わって一番引っかかったのは、最後のシーン。久保田がYouTubeで眺める先に、娘の澄香が映っているのに全く気づかない。離婚して以降、月に一度のビデオ通話でしか繋がっていないから、娘が髪を紫に染めて紫づくしのファッションに身を包んでいるのを見ても、娘と認識できていない。

久保田が企画に携わっていたグループ・Bloomeを推している1人としか見ていないから、娘が自分が渡した留学費用を溶かしてまでBloomeを推しているなんて、夢にも思っていないのだろう。久保田は一見、物事が見えている方の主人公として存在しているように見えて、実は自分にとって大切な人のことは見えていないというのが、少し滑稽に思えた。

久保田はBloomeの運営側の人間だった。Bloomeが強固に応援される物語を作り、熱狂的なファンを獲得して盛り上げさせるのが仕事だった。

その中に、娘の澄香がいることに気づいていない。可能性としてはゼロではないはずなのに、澄香のことをこういうファンダムに傾倒しない人間だと思っている。

そのズレが、私には怖く感じた。

久保田も澄香も、同じBloomeを見ている。なのに、見ている意味が全然ちがう。繋がっているようで、実は繋がっていない。

月一度のビデオ通話で繋がっているとはいえ、その繋がりは希薄で切れそうな細い糸のようなものだと感じる。画面越しに会うだけでは、会話も弾まないしお互いの生活すら見えないのだろう。

ふと、本文中のどこかに出てきた「視野を狭める方が楽」という言葉を思い出した。

確かに、視野を広げていくのは大変だ。知らない物事に触れて、自分の考えだけでなく時には軸までブレて、自分の立ち位置すら見失うこともある。それでも諦めずに広げていくと、新しい自分に出会えることもあるというのに、多くの人は面倒くさがってしまう。

一方、視野を狭めると、自分の好きなことだけに傾倒して、好きなだけ深掘りできる。外の世界からの迷いを断ち切って、自分の信じたいことだけを信じれば良い。するとそこには、自分だけの居心地の良い空間が広がる。自分の信じたいことがなくならない限り、それを頼りに生きていけばいいのだ。

でも、本当にそれでいいのだろうか。
楽な方に流れるあまり、見落としているものもあるのではないか。

物語のもう1人の主人公である隅川は、少し違っていた。

舞台俳優を一生懸命応援していた隅川。しかし、その舞台俳優が自死してしまったことをきっかけに、陰謀論に巻き込まれていく。

彼女は最初から、視野を狭めた世界の中で生きていた。しかも、陰謀論に傾倒していくあたりから、彼女の世界はさらに狭くなっていく。見ていた狭い世界から、また別の狭い世界へ移ったように私には感じられた。

そしてとうとう、渋谷で演説することになる。その場面で、仲間が警察と揉み合いになっている間に我に返る瞬間が訪れる。

ちゃみする(=澄香)を見つめた一瞬。

もしかするとそれは、隅川の閉じかけた世界に、小さな穴が空いたような時間だったのかもしれない。

完全に目が覚めたわけではない。それでも、これまで見てきた世界が揺らいだように感じた。

一方で、久保田は最後まで気づかない。

同じ物語の中にいながら、気づきかける人と気づかない人がいる。

その違いは、どこにあるのだろうか。

久保田が携わったBloomeは、見えている世界であり、成功する物語だった。過去の洋楽プロモーションでの成功を引きずる久保田にとって、Bloomeはもう一度あの頃の夢を見られる大きな船のようなものかもしれない。

しかし、その船の外にいる娘のことは見えていない。娘がBloomeという船に信者として乗り込もうとしていることに、全く気づいていない。娘の現実については、何もわかっていないのだ。

見えているのに、見えていない。
交わりそうで、すれ違う。
気づかずに、通り過ぎてしまう。

そんなことが本当に起こりそうな気がして、少し怖くなった。
そして、この物語はもしかすると、自分にも降りかかってくるのかもしれない。

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