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「学校に行きたくない。」その一言で終わらせないで

「学校に行きたくない。」

子どもからそう言われた時、
あなたは「じゃあ今日は休もう」と
簡単に言えるだろうか。


もちろん、高熱がある。

心が限界まで疲れている。

いじめを受けている。

そんな状況なら
休まなければいけない日もあるかもしれない。

でも、たとえ理由がいじめだったとしても、
「じゃあ学校に行かなくていい」で
終わらせていいのだろうか。


命に関わるほど追い詰められているなら、
まずは安全を確保することが最優先だ。

でも、そのあとに
必ずやらなければならないことがある。

何が原因なのかということ。

問題を解決するために動くこと。

子どもの学ぶ機会を失わせたままでは、
決していいはずがない。

学校へ行くことだけが答えではない。

ホームスクールができる家庭や、
フリースクールなど、
子どもに合った学びの場があることは、
とても素晴らしいことだと思う。

大切なのは、
「どこで学ぶか」ではなく、
子どもが学び続けられる環境があることだ。

教育は、
学力を身につけるためだけのものではない。

人との関わり方。

困ったときの助けの求め方。

社会のルール。

成功や失敗の経験。

そうしたことを学びながら、
子どもは少しずつ成長していく。

でも、
人と関わり、
学び続ける機会そのものを失ってしまえば、
将来の選択肢を狭めてしまうこともある。

だから、
子どもの未来を守るためにも、
大人が環境を整え、
その子に合った学びや居場所を探すことを
諦めてはいけない。

親が最初にすべきこと

私はADHDとASDの特性を
持った子を育てている。

しかし、
支援学級には入れてもらえていない。

診断はついているが、
娘が人と関わることが大好きなこと。

そして、クラスのムードメーカーのような
存在であることなどから、
「通常学級で大丈夫でしょう」と判断された。

でも、その「明るさ」が、
時には裏目に出ることもあった。

娘は空気を読むことが苦手だ。

ただ遊んでいても、度が過ぎてしまったり、
距離感を間違えてしまったり、
思ったことをそのまま口にしてしまったり。

本人には悪気なんてない。

ただ、特性ゆえに
周りとのズレが生まれてしまう。

そのズレが積み重なり、
少しずつ友達との関係が悪くなっていった。

いじめのようなこともあった。

そのクラスはたまたま、
やんちゃな男の子が多かった。

元々担任だった先生も、
病気になってしまい、
代わりの担任に変わったのだ。

娘は、
最初の先生のことが大好きだった。

担任が変わってから、
「学校が楽しくない」
と言うことは聞いていたし、
クラス全体も、荒れ始めた。

「学校に行きたくない」。

人が大好きで、学校が大好きだからこそ、
そう言われたときは、
人間関係や担任との相性が合わなくて
深刻なんだなと感じた。


でも、私は学校に、

「いじめられているので休みます。」

だけで終わらせるのは間違っていると思った。

・担任の先生は何を把握しているのか。

・加害児童とはどういう状況なのか。

・学校はどんな対応をするのか。

・再発防止のために何をしてくれるのか。

そこまで確認し、
改善を求めることが必要だった。


担任は、すごく対応が悪く、
私が関わった人の中でも、ひどい人だった。

そのことは、以前から
何回かのやり取りをした時に
感じていたことだった。

全て私の娘のせいにする。

私の娘がちょっかいを出すから。

私の娘が、落ち着かないから。

特性を知っているにも関わらず、
親に寄り添うこともなく、
いつも問題があるたびに、
私の娘が悪いと言う。

私は、担任の対応や、
人を侮辱するような話し方に、
怒りが積もっていた。

この教師には、

人としても、
教師としても、

一番大切なものが欠けていた。

もちろん、
途中から担任として入ることになり、
大変だったのかもしれない。

だからこそ、
より丁寧に子どもや保護者と向き合う姿勢が
求められる立場だったと思う。

ADHDやASDの特性がある子どもは、
わざと落ち着きがないわけでも、
わざと空気を読まないわけでもない。

本人も、
どうしたらいいのかわからず、
必死に毎日を生きている。

それなのに、
目の前の行動だけを見て、
「この子が悪い」と決めつける。

その言葉が、
子どもの自己肯定感をどれだけ傷つけるのか。

親の心を、
どれだけ追い詰めるのか。

その担任には、
伝わっていなかった。

だから私は、
娘を守るために動いた。

教育委員会にも相談し、
その担任は注意指導を受けた。

そして、
私たち親子に対して謝罪があり、

加害児童たちにも、
学校から指導が行われた。

それからも、
「このクラスはあまり楽しくない」
という娘の気持ちは変わらなかった。

それは、
人と人には相性があるから、
仕方のないことでもある。


社会に出れば、
いろいろな人と関わることになる。

そんな経験の一つとして、
少しずつ乗り越えていってほしいと
願うしかなかった。

それでも、
「学校に行きたくない」と
口にすることはなくなって、

親としては、
学校へ行きたくない原因に
なっていることに向き合い、
少しでも改善できたことに、
ほっと胸をなで下ろした。

すべてが解決したわけではない。

でも、
娘が安心して学校へ向かえる日が
少しずつ戻ってきたことが、
何よりもうれしかった。

子どもは、
学校で一日の大半を過ごす。

その場所が安心できないということは、
子どもにとって、とても大きな苦しみだ。

だからこそ、親が助ける。

学校任せにしない。

担任だけで解決しないなら、
教頭先生、校長先生、
教育委員会へと相談していい。

それは、
学校を責めるためではない。

子どもが
安心して学べる環境を取り戻すためだ。


もちろん、私は
「自分の娘だから」と、
一方的にかばうつもりはない。

必ず双方の話を聞き、
事実を確認した上で、解決へ向かう。

それが親ができる
一番最初のことではないだろうか。

子どもの未来を守るために

親は、
安心して子どもを学校へ
送り出せる社会であるべきだ。

子どもだけが学校を離れ、
学ぶ機会まで
失ってしまう社会であってはいけない。

たとえ今日、
学校を休んだとしても、
明日、その先はどうするのか。

同じ問題がある限り、
子どもは何度でも
「学校に行きたくない」と言うだろう。

私の周りには、
「学校に行きたくないなら行かせない」
という考えの親が多い。

学校にも行かず、
学ぶ機会や人との関わりもなく、
ただ一日中ゲームなどをして
毎日が過ぎているという話を聞く。

私はその話を聞くたびに、
不思議でたまらない。

親として、
なぜ子どもに学べる環境を
用意しようとしないのだろうか。

ゲームが悪いと言いたいわけではない。

心を休める時間も必要だし、
ゲームが息抜きになる子もいる。

でも、
その状態が何か月、何年と続いてしまえば、

読み書きの力や、
コミュニケーションを身につける機会が減り、

子どもの未来の選択肢は、
少しずつ狭くなってしまう。


子どもが学校へ行きたくない理由には、
必ず何か原因がある。

だから、
「行かなくていい」で終わらせるのではなく、
子どもが学校へ行きたくない理由と
向き合うことが、
親として大切な役目なのだ。

眼鏡が必要なのに、
「見えないなら、そのままでいいよ」
とは言わない。

足を骨折しているのに、
「歩けないなら歩かなくていいよ」
で終わることもない。

治療をする。

リハビリをする。

少しでも生活しやすくなるように支える。

それと同じように、
学校へ行けない理由にも、
できる限り向き合う。

親が諦めてしまえば、
子どもは
「このままでいいんだ」
と思ってしまうかもしれない。

悪いのは、
学校に行きたくない子どもではない。

学校に行きたくない理由だ。

その理由を、
子どもと一緒に探すこと。

「朝起きるのがつらい」のか。

「勉強についていけない」のか。

「友達との関係」で悩んでいるのか。

先生との相性なのか。

感覚過敏で教室が苦しいのか。

発達特性が関係しているのか。

理由は、
子どもの数だけある。

だから、
「行かなくていいよ」
だけで終わらせるのではなく、

その子に合った方法を
一緒に考えていくことの大切さに
一人でも多くの親が気づいてほしい。


子どもは毎日成長する。

だからこそ、
その時間をどう過ごすかは、
とても大切。

もし学校へ行けないなら、
別の場所で学ぶという選択肢もある。

家で勉強する。

好きなことを深く学ぶ。

人と関わる機会をつくる。

その子に合った学び方や居場所を、
親子で一緒に探していけばいい。

同じ親として伝えたいこと

学校に行きたくない原因が分かれば、

支援につながることもある。

環境を変えられることもある。

学び方を変えられることもある。

未来はいくらでも変えられる。



大切なのは、
「学校へ行くこと」だけではない。

子どもが成長し続けられる環境を
つくること。

だから、
子どもが「学校に行きたくない」と言ったら、
その言葉を、そのまま終わらせないで。

「何がつらい?」

「どうしたら少し楽になる?」

「あなたに合う学び方は何だろう?」

その答えを、
すぐに見つける必要はない。

でも、
探すことだけは諦めないで。

子どもの未来のために。

親は、
子どもの一番の味方でいて。

子どもは、
日本の未来を支えていく大切な存在だ。

少子化が進む今、
一人ひとりの子どもが安心して学び、
自分らしく成長できることは、
その子のためだけではない。

日本の未来のためでもある。

だからこそ、
子どもが自分らしく学べる場所を
見つけられるように、
焦らず、一緒に歩み続けてほしい。

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