青くやわらかな送辞 最終話
11月25日、2日間の学園祭初日は朝からバタバタだった。
予想以上の来客でバス停が大混乱。
実行委員長が仕切り、バス停でのアナウンスに人手を回したり、開会式はマイクトラブルで急遽拡声器になった。
朝の混乱が落ち着くと、少し気持ちに余裕が出てきた。
全部がタイムスケジュール通りに動いている。
実委は全員青いウインドブレーカーを着ているので、すぐに声をかけられる。
「体育館てどこですかー」
「模擬店て焼きそばありますかー」
柊也は手に持った資料をめくりながら応対する。
「ありがとうございます!」とお礼を言われる。
「いえ!楽しんでいってください!」
自分でもびっくりするような爽やかな言葉を言っている。
村田君は本部席で、来場者に意気揚々と自分の絵が表紙のパンフレットを配っている。
1日目は無我夢中のうちに終わった。
柊也は家に帰ってからも興奮が続き、なかなか寝付けないまま翌朝を迎えた。
2日目、今日で終わってしまう学園祭。
時間が進むにつれて、自分と菜都が担当する後夜祭が近づいてくる。
柊也は交代で本部対応をしたり、駐車場の様子を見に行ったり忙しく動いていた。
今日で終わってしまう感傷は忙しさの中に紛れていく。
17時30分。模擬店販売終了、全部屋のプログラム終了時刻になった。お客さんが大学のキャンバスからだんだんと抜けていき、学生達は屋外ステージに集まってくる。
17時45分。閉会式が始まった。
実行委員長が涙まじりに閉会挨拶をする。
会場アナウンスが流れる。
「このあと7時から後夜祭を開催しますので、学生の皆さんは屋外ステージにもう一度お集まりください」
柊也と菜都はすぐに後夜祭の準備に入る。
ステージのイスを片付け、ダンス部のスタンバイを確認する。
19時、後夜祭が始まった。徐々に学生たちがステージを観に集まってくる。
プログラムが順調に進み、ブラスバンドの演奏が始まる。
力強い演奏に合わせるようにイルミネーションパフォーマンスが繰り広げられ歓声が上がる。
午後8時35分。
ほぼ予定通りでブラスバンドは、残り1曲となった。
大勢の学生達がステージを取り囲むようにして、充実感でいっぱいの顔をしている。
その後ろで実委のメンバーが集まってくる。
もう感極まって抱き合って健闘を称え合っているメンバーもいる。
気が付くと隣に菜都がいた。
柊也は菜都に言う。
「いよいよですね」
「うん」
指揮者がタクトをすっと上げる。ブラスバンドが楽器を構える。
「電話準備」
菜都が小声でつぶやく。
柊也は頷く。
指揮者がタクトを振り上げ、トランペットが旋律を奏で始める。
「今!」
柊也は発信ボタンを押す。
すぐに花山さんが出る。
「やるか」
「お願いします」
「おしっ!」
電話は2秒で終わった。
柊也はスマホをポケットに押し込む。
「送辞」のしとやかな旋律は、順に幾重にも音が重なり始め壮大なリフレインに入る。打楽器の三連符が曲を力強く押し上げていく。
音が空と混ざり合う。
柊也はその光景に目を奪われる。
音が、どこまでも純粋に空に立ち登っていく。
ごろっ。
柊也のお腹の中で音がする。
熱いものがお腹から全身を突き動かす。
自分の中に、まだこんな熱いものが残ってたんだ。
ぼろっ。
柊也の目から、唐突に涙がこぼれる。
菜都に気付かれないように慌てて横を向き、涙をぬぐう。
ブラスバンドの最後の一音、長いサステインが夜空に溶け込むのと入れ替わるように、
ひゅーーー、っと音がして打ち上げ花火が鳴った。
バーン!
大きな音がして、そのあと一気に150発の花火が連打され夜空を鮮やかに彩る。
わぁーー!!っと歓声が上がる。
「あ、あ、あ、あ、がが、あ”--、ひ、ひ、」
村田君が隣で号泣している。
菜都はまっすぐに夜空を見上げ、何度も打ち上がる花火を見ていた。
柊也は花火に照らされる菜都の横顔を目に焼き付ける。
花火が終わる頃、菜都の目から、つーっと涙がひとすじ流れた。
未来が開けるような不思議な感覚が、柊也の心を満たしていた。
第25回清輝祭は終了した。
翌日、柊也は菜都と一緒に昨日のお礼をしに、花山煙火店に向かった。
何となく言葉が出なくて、菜都との会話はたどたどしくなる。
終わってしまった学園祭の余韻から抜け出せない。
菜都との共同作業が終わった寂しさに柊也は戸惑っている。
花山煙火店に着いて、呼び鈴を押しても反応がない。
「おかしいなぁ、4時に行くって言っといたのに」
菜都はスマホを取り出し、花山さんに電話をかける。
すぐに花山さんが出る。
「花山ですけど!」
「あー、清林大学の刈谷です」
「あーーー、悪い!今日来るんだったな、かみさんが腹痛いって、今病院だ」
「え!大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃ。腸炎、食あたりや。今、点滴しとるわ」
菜都と柊也は肩をなでおろす。
「悪かったな、せっかく来てくれたのにな」
「いえ、いいんです。お大事にしてください」
「また、来年な。あの兄ちゃんのこと頼むな」
菜都はちらっと柊也を見てから「はい」と言って電話を切った。
ふたりは、また駅に向かって歩き出す。
「頼むな、って、僕はそんなに頼りなく見えるんですかね」
柊也は言った。
菜都は立ち止まる。
数歩先に進んだ柊也が振り返る。
「先輩?」
菜都の顔に笑顔はない。
「立川君、話がある」
「え..」
菜都は見たことのない神妙な顔になっている。
「大事な、話」
「あ..」
まさか、先輩の方から、なんて。心拍数が一気に上がる。
「あのね、立川君、ずっと言えなかったんだけど」
「は、はい」
「真面目に聞いてくれる」
「は、はい、もちろんです」
心拍数がさらに上がる。
柊也はその言葉を待つ。
薄暗かった高校までの自分との決別。
今から俺は、菜都先輩に告白される。
柊也は頭の中で、どう返事をするかぐるぐる回っている。
そして、その時が訪れる。
「立川君」
「はい」
夕刻の陽の光が、菜都の頬を染める。
「死んじゃだめだよ」
…。「は!?」
「死んだらダメ、早まったらダメだからね」
「先輩、何言ってるんですか?」
「花山さんに聞いたの、踏切に飛び込もうとしてたんでしょ?」
(あ..)
柊也が頭に、踏切の先のコインランドリーから出てきた菜都を見かけたあの夜が思い出される。あの時、「にいちゃん」と声をかけてきたおじさん..。花山さん、だったのか..。
「せ、先輩、あれは違います」
「へ?」
「線路の向こうに先輩が見えたんです、コインランドリーから出てきたところ」
「わたし?」
柊也は頷く。
「で?」
「でって、そのまま何か先輩を目で追っちゃって、そしたらおじさんに声かけられて」
「花山さんに?」
「多分、花山さん」
「は?」
「だから勘違いです。飛び込むとか、そういうの、ないです」
菜都は声を上げて笑い出した。
「なにー!今までなんだったのー、何とかしなきゃって思ってたのに!」
「勘違いですよ!」
菜都はしばらく笑っていた。
完全に肩透かしをくらった柊也は喉がカラカラになった。
「ちょっと何か飲みません?」
近くの自動販売機で飲み物を買う。
柊也はお茶を、菜都はコーラを買った。
夕刻の陽が落ちて、空が暗くなってきた。
「お疲れ様」と菜都が言って、ペットボトルで乾杯をした。
「ありがとう」
突然、菜都は落ち着いた声で言う。
「何がですか?」
「立川君と一緒に後夜祭準備するの楽しかったよ」
柊也は顔が赤くなる。
「ねぇ」
「はい」
「送辞くれる?」
「ソージ?」
「贈る言葉。わたし、ジツイ卒業だから」
「送辞、ですか」
「そう、送辞」
「何か恥ずかしいですよ」
「後夜祭の時、泣いてたよね」
「え」柊也は固まる。
「知ってたんですか?」
「うん」菜都はニコッと笑う。
柊也は両手で顔を覆って、はぁぁぁっと息をはく。
「わたしが賭けに勝った。だからお願いを聞いてもらう」
菜都は柊也の前に立つ。
静かな風が吹いている。
「送辞、ください」
菜都はまっすぐ柊也を見つめる。
今度は柊也が神妙になる。
(僕はね、変わりたいんだ)
そう言った村田君の顔が浮かぶ。
柊也は戸惑う。
菜都は変わらずに、まっすぐ柊也を見つめている。
柊也は心の中で、あの踏切の夜を思い出す。
サイレンが鳴って、遮断機が下りてくる。
踏み切りの向こう側で菜都は歩いていく。どんどん歩いていく。遮断機に遮られた自分との距離が離れていく。
何度も何度も下りてくる遮断機に遮られて生きてきた気がする。今なら変われる気がする。今なら言える気がする。
けれど声が出ない。
柊也の口がパクパクと開いては閉じる。
また、諦める?
(アメリカ来る?)
母親の声が聞こえる。柊也の頭に血がのぼる。
諦めたくない。
あの時の、花山さんの声が柊也の頭に響く。
「人生は一度きりやろ」
村田君がたたみかける。
「それはね、人生が一回キリだからだよ」
全身から力が抜ける。
鎧って、こんなに重たかったんだ。
「先輩、」
柊也が言う。
菜都は変わらずにまっすぐに柊也を見る。
「はい」
「菜都先輩、」
「はい」
「俺は..」
菜都はいつまでも、柊也の言葉を待つつもりでいることが分かった。
「俺は..」
柊也はさまよう言葉を探す。今、この場にいちばん的確な言葉を。
「俺は..いつか、」
清らかな静寂。
「いつか、菜都先輩が寄りかかれるような人間になりたい」
青い夜の闇が、ふたりを優しく包み込む。
菜都は少し口元を緩めて、その言葉を受け止めた。
夜風が吹いて、肩近くまで伸びた菜都の髪を揺らす。
「ありがとう。素敵な送辞、確かに受け取りました」
菜都はさっと振り返り、駅に向かって歩く。慌てて柊也は菜都の隣で一緒に歩きだす。
「先輩」
「ん?」
「..答辞は、ないんですか?」
菜都は、「んー」と言いながらゆっくり歩き続ける。
「言葉が見つからないや」
菜都はそう言って、いつもの柔らかい笑顔になった。
ふたりは駅に向かって歩いていく。
美しい時間の流れに紛れて、菜都は静かに柊也の手を握る。
(終)

