父と母へ
10,000字
心の奥深くにある
父を追う心
話を聞いてくれ
黙って見守ってくれ
頼りにし
尊敬し
理想の父の姿
そんな風に
ずっと守ってくれる人がそばにいて欲しかった
心の奥深く静かに眠る
理想の父、理想の親
無償の愛への憧れ
でも、私は愛されていた
〜父の日に父を想う〜
ー父と私と性ー
私は、母についてはよく語るけど、
父については避けてきている自分を自覚している。
あまり語りたい気持ちになれず、
語ろうとすると急に口を閉ざし、心もパタンと閉じてしまう。
何も感じないように、何も浮かばないようする。
そうしていても生活に支障はないので、わざわざ見ようとはしない。
「性」について振り返る中で、私は「父」の存在の大きさを知った。
「父」と「私」と「性」って関係があるかもしれない。
そう思った。
ー私はファザコンー
父が大好きだった。
とても厳しくて、怒ったらとても怖くて、
ビクビクして震えがくるほどだったけど、それなのに、
父のことがとても大好きだった。
私は三姉妹の長女だが、姉妹全員がファザコンだ。
中でも私は生粋のファザコン。
父への愛着は強いと自覚している。
私は小さい頃、「おち○ち○」に憧れを持っていた。
女の子は「おち○ち○」が生えてこないという事実を知ってショックを受けた。「おち○ち○」を持っている男の子が、羨ましいなと思った。
小さな頃に、男兄弟の従兄弟と一緒にお風呂に入っていた。
「なんで、おち○ち○がついてないの?」
「おち○ち○がついてないなんて、変なの〜」
「おかしい」
男の子たちから笑われた……
大好きな従兄弟。その男の子たちと一緒にいるのが好きだったから、ついてない自分はダメなように感じた。みんなと同じでない自分、違う自分。
同じになりたかった。一緒になりたかった。
男の子はいいな〜。なんかすごいな。
単純にそんなことを思った。
なんでそう感じたのかはわからない。
ついているか、ついていないかだけなのだけれど、
あるとないそれだけで、自分に足りないものがあるという感覚になった。
ないことをおかしいと言われることにも、
どこか悲しさを持った。
女の子は、それがなくて不完全で欠陥品のような感覚。
当時は小さいから訳わかっていなかったけど、
大人になって言語化するとそういう感覚だ。
そして、父は、親であり、大人であり、
立派な大きな「おち○ち○」があった!
体も大きくて、強くて逞しくて、頼もしい。
お父さんってカッコいいな!✨
私が父を男として見ていた最初の気持ちだろう。
小さな時の記憶だけど、
こんな気持ちを抱いたことを覚えている。
同じように思っていた人っているだろうか?
そんな父を、私は、男の中の一番すごい人なんだ!と思っていた。
ー小さな頃ー
そんな5歳くらいの頃だっただろうか、
将来は「父と結婚したい」と言っていた。
その時に母が、
「お父さんはお母さんと結婚しているでしょ!」
「だから、あなたはお父さんと結婚できないよ」
「お父さんはお母さんのものなの」
と私に言った。
「えーー!なんでお母さんのものなのー!ずるい!」
「私もお父さんと結婚したーい」
「お父さんと結婚するー!お母さんだけずるい!」
母「だってそういうものなんだから、しょうがないじゃない!」
私「どうして私はできないの?どうして!どうして!」
と、結構真剣に口論した記憶がある。
そして母のものという事実と父とは結婚できないという事実に、ショックを受けた。
(小さな子どもの言うことなんだから、好きに言わせてあげたらいいのにね。母は少し嫉妬をしたようにも感じた)
こうして、父と結婚することを諦め、
父とは結婚できないことを知り、
悔しさと悲しい事実を受け入れた。
小学校に上がってからは、父が躾に厳しくとても怖かった。
父の意見は絶対で、亭主関白。
普段は多くを語らず黙って読書をしている。
「遊んで〜」と子どもたちが言っても、笑みをひとつ浮かべずに「今は本を読んでるから」と、硬派っぽく断る。
でも遊ぶ時は笑顔になって、とても楽しませてくれる。
そのギャップがたまらない。
海外出張が多く、家にいても朝早く夜は遅い、たまに父に会えることが嬉しかった。
あまり子どもたちに構うことは少なくて、自分のことをしていることが多い。
だから、たまに遊んでくれると喜びが一層強かった。
父は優秀で国立大学も特待生として通っていた。
(貧乏でお金がなかったので大学を諦めていたが、先生が大学行かせてあげてくださいと親を説得し、優秀だったので奨学金をいただけたそうだ)
語学も堪能。英語、韓国語、スペイン語を話せた。
物知りで何でも教えてくれた。
アメリカンポップスを聴いて歌ったり、クラシックを聴いて浸っていたり、ちょっとふざけてみたりするお茶目なところもあった。
学生時代は空手部の主将。
その時の写真を見せてくれたり、空手の型をよくやってみせたり、ちょっと怖いけど強くてカッコイイ父だった。
怖くて厳しい、でも、三姉妹ともそんな父が大好きだった。
大好きとともに、尊敬という気持ちを持っていた。
「結婚するなら父のような人!」
そう理想を描いた。
頭が良く、物知りで、カッコよく(見た目三浦友和似)、男らしい!
結婚相手は、そういう人がいいと決めた!
この頃の理想を私はずっと持ち続けていたように思う。
10歳くらいの時、私は父から
「父がいない時にこの家を守るのはお前だ」
「お母さんはあのような人だから、お前がしっかり家族の面倒見てやるんだぞ」
と言われた。
大好きな父からの任命。
「私は認められている」そう、感じられた。
それがとても嬉しかった!
それから、私は父と同一視していった。
家では、父のように振る舞い、父に認められたくて、必要以上に頑張っていた。
父は「いつも家を守ってくれてありがとう」そう言ってくれていた。
だが、母は「あーやだ!理屈っぽい。あなたのそういうところ、お父さんの嫌なところそっくりだわ!」と言った。
筋道立てた話をするとそういつも吐き捨てる。
私は、母が私と父の性格を嫌だということがとても嫌だった。
ー思春期ー
父と意見が合わずぶつかるようになった。
今までのように私の話に耳を傾けて聞いてくれなくなり、自分の理想を押し付けてくるようになった。
自分を尊重してもらえず悲しかった。
私のことで、両親が喧嘩することが多くなり、それもとても嫌で、自分がいなくなればいいと思った。
自由がなく支配されている感じを強く感じていた頃だ。
父はわかってくれない人に変わった!
父との分離が始まったのだ。
私は父への思いを親ではない異性へと移していったよう思う。
そう、ここから愛着対象が他者へ向かっていった。
性的指向の始まりなのだと思う。
父を信頼し愛着を求める思いを同年代の異性へ、その思いを求めたように思う。
中学までの好きとは違う、高校以降の恋愛への発展。
私は、異性に父の姿を求めていたように思う。
・そばにずっといて欲しい
・頼りになる人に寄り掛かりたい
・自分を受け入れてもらいたい
私が男子と遊んだり話したりがとても楽であったと同時に、
異性は頼もしい存在というのが追加され、愛着の対象となった。
私の中で、父だけが理解者だった。
それを失った私は、理解してもらえる場所、愛される場所を
探し求めていたのかもしれない。
だから、恋愛をするときに愛されたいという気持ちが強く出てしまう。
恋愛はできるけど、感情のコントロールが難しかった。
父の私に対する理想は崩れ、また、私も父の理想を叶えられず申し訳ない気持ちになった。父は、私に多くを求めなくなった。
「好きにしなさい」
それは、尊重ということではなく、落胆のような言葉に聞こえた。
「お父さんごめんなさい」心の中で謝っていた。
自分を大事にする気持ちと父から見放される悲しさだった。
自立!
でも安心する場所が育っていない私は、異性にそれを求めるようになっていった気がする。
高校の頃は、父と恋愛の話をすることもあった。
彼氏は絶対紹介しなさい(何を言われるか怖くて言えなかったけど)
たくさん男の人を見て選びなさい(意外と緩い。見る目を養いなさいだった)
母は、絶対ダメ、女は操を守りなさい。と古ーい考え。
悪いものとか、男はオオカミみたいにとっても良くないというイメージを押し付けられた。
私は男気質だから、父の意見が自分と合った。
私の恋愛は、健全とはいえないものだったと今はわかる。
愛情がよくわかっていなかった。
時々、父に対する幾つかの思いがふわっと蘇ることがある。
私の中に、父への思いが存在していることを感じる瞬間。
きっと、私の中の奥底で眠っている。
でもそれでいい。
今は、父への思いと愛と恋と区別できているから。
「父」と「私」と「性」
ー父についてー
こんなに素敵に語れることはとても嬉しい。
なぜなら、父は私が22歳の時に、私たち家族の前から消えたから。
私の貯金を使い、身内からもお金を借りて、借金だらけにして消えた。
私が泣きじゃくり「行かないで!」と父を掴んだその手を振り払い、
怖い顔をして黙って家を出て行って、二度と帰っては来なかった。
酷い仕打ちだ。とても父を恨んだ。
私の精神状態は酷かった。
でも、悲しみに浸ることはできない。
生きていくことだけで精一杯だったから。
傷が深すぎて、そこには触れたくないのだ。思い出したくない。
この頃の話をするときは無感情になって話したりする。
感じないようにする。今はどんな感情なのかがちょっとよくわからない。
でもたまに、父への思いが溢れる瞬間がある。
以前は、ストレスが溜まって辛い時、苦しい時にその苦しさが当時の苦しさと重なって溢れていた。
今はストレスが無く過ごしているから蘇ることはないのだけれど、その当時を思い出そうとしたら、きっと父への思いがまた溢れてしまうのだろう。
それが怖い。
父の話を力まずに語っていけることは私の中の成長だ!
酷い父だったけど、父が大好きと思っていた自分は好き。
そして私の話に耳を傾けてくれていた父が好き。
私の中で、父の存在は大きい✨
〜亡き父へ感謝を込めて〜
ー父の日だから、父のことをー
22歳以降、父とは会っていない。
私たち家族を置いて、借金を残して、
行方も知れずに出ていった。
当時の私は、生きていくことだけで
精一杯だった。
生きる。
それ以外を望むことなど、
夢のまた夢だった。
何度も何度も、
胸が張り裂ける思いをした…
気が遠くなり、
自分が壊れそうになった…
生きていることが、不思議なくらいだ…
自分だけのことを考えたら、
そうしていたのかもしれない。
私には、母、妹、祖母、たくさんの友達、
周りの人たちを置いて、
この世を去ることはできない。
私は家族を守る使命があった!
それで生きることができたけど、
その使命は、私には、
とてもとても荷が重かった。
生きていくことが苦しかった。
この重荷は、一体いつまで続くのだろう。
離れたい…
自分の人生を歩みたい…
心の叫びだった。
そこから救い出してくれたのは、今の夫。
だから、夫には、とても感謝している。
父が大好きだった私。
父の喪失は、言葉で言い表せない…
どこにいるかもわからず、
いろいろと言いたいのに…
怒りをぶつけることも、
話すこともできない。
許せなかった。
自分の人生も恨んだ。
そんな思いも、
時間とともに変化してくる。
恨みではなく、
父の思いを尊重してあげようと。
父は、いろいろなものを一人で抱え、
そうするしかなかったのだ。
そう姉妹で語りあった。
父はカッコ良かったね!
父は堅物人間だったけど、
でも、私たちはみんな大好きだったね!
これが、姉妹で共通して持っている
父の像。
誰一人として恨んでいない。
不思議だ。
その中で私だけは、
父への喪失によるトラウマが残ってしまった。
日常の苦しさや悲しみは、
父の喪失を思い出し、
なんの悲しみや苦しみだったのか、わからなくなる。
そのようなことが繰り返された。
父が生きているのか、どこで何をしているのか、
わからなかったけど、
父の亡くなった知らせだけは、
巡り巡って、すぐに届いた。
どんなに連絡を取りたいと思ったことか…
死んだ知らせだけは、
こんなにも簡単につながるなんて。
悲しかった…
亡くなって、もう二度と話せないことも、
自分の中にわずかに残っていた期待があったのか、
それを夢見ていたのかもしれない。
これで、もう二度と会うことができないのだ。
私の中から、父が消えた…
10年以上前の話。
ここから母がおかしくなった。
私もいろいろな環境の影響を受け、
精神がどんどん疲弊した。
悲しくなるたびに、
父と母の嫌なことも一緒に思い出された。
父と過ごした時間
父を喪失した時間
父が亡くなってからの時間
いろいろな経験をしたけれど、
どれも、捨てることのできない
自分にとって、貴重な体験✨
記事にも書いたことがあるけれど、
少し前までは、父のことを話す時は、
心にグッと力が入ることを感じていたけれど、
それも今は感じられない。
優しく、包み込むような、
そんな温かな、空気を感じている。
私をこの世に誕生させてくれて
ありがとう
生きていく力を学ばせてくれて
ありがとう
〜大好きな父に捧ぐ〜
ー母との関係ー
母ともうどのくらい会っていないだろうか……
時々思うのは、
どうしてるかな?
元気にしているかな?
淋しくしていないかな?
母を気遣う言葉が浮かぶ。
じゃあ、
会いに行ったらいいのでは?
そうも思うが、
実際に会うこと想像すると、
とても心が苦しくなる……
(会っていないと言っても、夏以来の話だ)
穏やかな気持ちでいられない。
複雑な気持ちが次々と現れる。
この想像は、
実際に母を目の前にしたとき
本当に感じるだろうか?
感じずにいられたとしても、
その緊張に心身を疲弊するだろうな……
母との関係は、
離れている方が安定する。
共依存で近過ぎてきたために、
自分を保つことにエネルギーを要する。
今の状態を把握していても、
湧いてくる感情や反応してしまうことは、
どうしてもあるもので……
仕方のないこと。
母を思う気持ちと
母を遠ざけたい気持ちが
同居する
母について、
些細な連絡が来ると
とても感情が揺さぶられる。
状態は状態
無理して捻じ曲げたりしない。
感じたものを感じたまま
そのまま眺める。
私は私をしっかりと保持する。
ー反応ー
母との関係は、
私を脅かすものという
からだの反応が未だある。
揺れてしまうこともあるけれど、
それは現象に過ぎなくて、
私の気持ちには、
母を気遣う自分がいる。
会いにいくのも、自分ができる調子がある。
言ってしまえば気分ということになるが、
それでも、その自分の気分のタイミングが大事なのだ。
不登校の傾向の子も
きっとそれに似た思いをしているのだろう……
春休みには、
ずっと会えずにいた母を気遣っていても
今一つ行動に移せなかった。
母の日
一人でも、ふらっと
会いに行ける感じが湧いた。
私は、妹たちに連絡をして
「母の日、一人で会いに行こうと思う」と伝えた。
春休みに心揺らいだ状況をわかってる妹たちが、
「大丈夫?無理しなくていいよ!」と
気遣ってくれた!
三女は、友達が私と似た悩みがあるようで、
初めてあれこれと本を読んで
理解を深めていたそうだ。
そういう人たちには、
理解してくれる人が必要って書いてあったと、
今までわかっていなかった……ごめんね!
と話してくれた。
わかってもらえないかなと諦めていたけれど、
思いがけないところから巡って、
私のことも理解をしてもらえた。
どこで、どうつながっていくかは
わからないものだ。
今日は久しぶりに、
三姉妹で母に会いに行く。
三姉妹そろうのも
母に会いに行くのも
久しぶりだ。
一人で行くよりも
心強い!
何より、楽しい!
〜三姉妹で会う母の日に〜
ー母と私ー
母が大変だった頃、母を喜ばせてあげたくて、
紫陽花を見に連れて行った。
あまり喜んではいなかったけど、
大変になる前は、お寺の素敵な紫陽花を見に行きたいと
言っていたから……
一緒に紫陽花を見に行ったことを思い出した。
母のことをたくさん書いてきたな……
私は、母を反面教師として、
また、母の良さの部分も見ながら、
親として、母として、一人の人間として、
自分のあり方をつくってきた。
母を大好きだけど、
母に悩まされてきたのも事実で……
また昔のように、
母を思えるようになった1年だった。
そんな自分になれたことが
とても嬉しかった!
終わりの時間が近づいていく……
母を思いやれず、遠ざけた時期があった。
優しい妹は、
もっといろいろしてあげたらよかったなと話す。
そうだよね。
普通なら、そういう気持ちを抱くものだよね。
だけど、私は、
そのような気持ちにはならない。
それは、自分が壊れてしまうほど、
全力を注ぎ、力を使い果たした。
母のために、力を注いできたと
胸を張って言い切れる!
頑張りすぎて、自分の方が動けなくなった……
それほどまでに、
私は母を支え続けてきた!!
もっと、早くに兆候のサインに気づいていれば……
私はなんで、会わないでいたのだろう……
定期的に会いに行っていたら……
そう後悔に苛まれてしまう人もいるのだろう。
私は違う!
母に罪悪感を感じてしまう私は
もういない……
やっと、自分を取り戻したのだ!
自分が行った行動に、
自分の責任を持って行動している。
自分が決めて、自分が納得して
自分がその行動を選んでそうしたのだから。
自分がしたことを否定などしない。
自分には、それが最善であった!
その自分を肯定する!
誰が悪いわけではない。
母の容態の急変に、
もし、施設の人が、兆候に気がついていたならと。
それは非常に思うが、
決して何もしなかったわけではない。
施設の人たちが考えられるものを行っていたから。
程度はどうあれ……
母の症状は、他の疾患の症状ととても似ていて
気づかれにくかったのは事実。
病気が発覚した時の医師は言う。
「こんなになるまで、どうされていたんですか?」
「ここまでになる間に、症状が出ていたはずです」
救急対応の脳外科の担当医師は何度も口にした。
「ここまで……」
心が痛んだ。
もし、一度目に運ばれた時に、もっと細かい検査をされていればと。
CTではわかりずらいのだそうだ。
医師である従兄弟もそう話す。
細かな状況を知らされていない家族。
いつもと変わらないと説明を何度もした施設。
母を遠ざけていた自分……
感情はいろいろなところへ広がっていく。
思うことはあるが、
全員できることをしていた。
私も、家族も、施設の人たちも、医師も、皆……
誰も悪くない……
何がどうなっていたら……
そんな話をしても
事実は変わらない。
どんなに言いたいと思うことがあっても、
母の容態はもう変わり戻りはしない。
悔しい、悲しい、
そう感じた感情は素直に言葉にしてもいい。
ただ、ここからできることは、
前を向いていくことだけだ!
私は、少しも後悔などしていない……
いつも前だけを見ている✨
〜不完全の受容〜
ー覚悟ー
医師からの連絡。
いよいよ
心の準備をする時期が来た。
不思議と冷静でいる自分がいて、
実感できていないだけなのか?
覚悟ができているからか?
どちらなのかなんて、わからない。
わかっているのは、
意識がなくても、寝たきりとなっても、
私たちのために
頑張ってくれてありがとう!
生きてくれてありがとう!
最期に甘えさせてくれて
ありがとう!
たくさんのありがとう💕
その想いが溢れるばかり✨
不安定な言葉を発する妹の気持ちを整える。
遠方でなかなか会えない妹の気持ちを整える。
私たちはできることを精一杯してきた✨
いつ何が起こるかなんてわからない。
自分の生活をしていい。
後悔なんていろいろ後から出てくるもの。
母も頑張った!
私たちも頑張った!
後悔することもあるかもしれない。
でも、
みんなできることを頑張ってきたと、
誇れるものがある。
家族で楽しんできたことも
今までの歴史の中に
たくさんある✨
大丈夫!
母も私たちも
大切な時間を過ごすことができていた✨
母と親交の深い方々へ連絡を入れた。
私も話したことのある母の友人たち。
母との歴史を皆、話し出す。
私のこともよく知ってくれている。
私たち家族のこともよく知ってくれている。
連絡など何十年としていなくとも、
わかってくださる方の存在に
見守ってくれているのは、家族親戚だけでなく、
こんなにも広く存在しているのだと
母が愛されていたことを実感する。
とても心が温かくなった。
連絡をくれてありがとう。
心の準備ができるから、
連絡をもらえてよかったと話してくださる。
人の気持ちは温かい。
言葉も心も温かい。
母の友人と久しぶりに話ができることも
嬉しかった。
私も心の準備をする。
感謝に溢れる心で満たす。
いつ、その時がきてもいいように……
家族全員をまるごと
受け止める✨
私たちの家族は最高なんだと!
体全体で伝えていく✨
全身全霊をかけて伝えていく✨
それが私の
今の気持ち
〜心に愛を〜
ー新たな価値観ー
延命措置は、
その人の状態によって異なり
その人その人の価値観でも異なる。
正解はない……
決断をすること、受け入れる覚悟が必要になってくる。
本人、家族、医療、皆が納得のいくものを形にしていく。
どうしたって苦悩がある。
私はこの経験を通し、自分の考えが変わった。
延命措置はしないと考えていたが改めたい。
残された家族に一任する!
希望はあるが、
最終決定は家族に決断を委ねる。
これを意思表明にしていきたいと思った。
残される家族が、精神的な苦痛を伴うことを避けたい。
家族の思うものを尊重したい。
家族に後悔を与えたくない。
だから、最終決定は家族が決めたことに私は従いたい。
家族が望むなら、苦痛にも耐えてみせよう。
家族が望むなら、延命措置だって受けよう。
それが家族の願いなら……
経済的なことだって関係してくる。
家族が抱える思いだってある。
自分一人の思いだけでは、
家族の苦しさが、心に残ってしまうものがあるだろう……
何もできなくなった自分が最後にできること。
それは家族のために、この身を捧げること。
家族が望むことをしていくことが、
唯一、家族に与えてあげられることのように思った。
残される家族が納得できるように
決断した家族が、後悔しないように
あなたたちが望むことを尊重し捧げよう✨
それが、私の喜びになる
それが、最後にしてあげられること
新たな気持ち!
おばあちゃんになっても
最後の最後になっても
愛を与えられる人でありたい✨
そんな風に伝えられたらいいなと夢と理想を描いた。
きっと、
家族も、本人の好きにさせてあげたいと
本人の希望を尊重するのだろう……
そうやって、互いを尊重し、思い合い、
愛に溢れる姿が、とても素敵で、
その人たちの心に
新たな価値が生まれるのだろう✨
そうなったときに、はじめて、
そのとき感じている自分の
本当に望むことを伝えることができたらいいな。
そして伝えられなかったとしても、
家族が私のことを十分に想い決めたものならば、
意識がなくなったとしても
きっと私は受け入れられる。
そんな親子の関係と絆を
これからも作っていきたいと思う!
母が与えてくれた、新たな価値観✨
何も話せず、体も動かず、
心が通じ合うことがないけれど、
私と母との今までの時間が、
心を通わせている。
最後に母から教えていただいた✨
〜人生は学び〜
ーあとがきー
母は、悪性脳腫瘍のため永眠いたしました。
2022年の初夏に病気が見つかってからは、
意識はほとんどなく、寝たきりの状態でした。
終末期、延命措置について考えさせられました。
4ヶ月、会話をすることはできなかったけれども、
私たち姉妹のために生きてくれた母に、感謝の想いでいっぱいです。
哀しい気持ちもありますが、感謝を感じ、幸せを感じられています。
このような気持ちでいられるのは、
母が最後に私たちに与えてくれた大切な時間だなと感じます。
私の中での母の喪失は、10年前に母が精神疾患となり別人に変わり果てた時だったのだと思いました。それから母とは、今までのような会話をすることが難しくなり、母の姿を見ることも、母から攻撃を向けられるたことにも、酷く悲しみ苦しみ、私自身が衰弱しました。
母と自分を重ねてしまうことにも悩まされてきましたが、お互いを守る優しい距離で、ときに、自分の抱える課題に苦しみながら、自分と向き合い、乗り越えてこれたからこそ、こうして、幸せを多く感じることができ、感謝の想いに包まれる、母との最期のお別れをできたのだと思います。
寂しがり屋で甘えん坊な母は、
たくさんの人の温かな心に囲まれ、感謝と幸せの中で天に昇りました。
noteでは、母との想いを記事にし、多くの方に支えていただきました。
本当にありがとうございます✨
終末期から看取りまでの4ヶ月は、
家族の絆をさらに深める尊い時間となりました。
母との関係に苦労してきました歴史は、
母への感謝の想いでいっぱいの心に包まれました💕
AC、愛着形成、父の喪失、共依存、親子逆転、トラウマ……
さまざまな想いを抱え、私が生きた言葉を紡ぎ、
感じたものを言葉にのせ、私の足跡に✨
同じように悩まれていたり、傷づいていたり、
何かを感じてくださる方々に届きますように💕
ー完ー
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