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自分にあるADHD・ASD傾向と思うものについて!〜ゲシュタルトの紹介〜



心理学の大学の講義の中で

「自分のADHD・ASD傾向と思う部分を見つけグループで話し合おう」

というワークがありました。


それぞれが思う傾向というものを出し合い、
聞いていく中で、みんな何かしら、
そうのように感じるものを持っていて、
自分だけがその傾向を感じているわけではないのだなと思った。

誰の中にも、
少なからずそのような傾向を
持ち合わせているものがあるのか!

と感じた。


その人その人で、できることできないこと
得意なこと不得意なことはあるもので
そこに対しての捉え方も多様で、
とても広いグラデーションになっている。

スペクトラム!
多かれ少なかれ、それらしさを感じている部分は
誰の中にも存在している。


ある人にとっては、大した問題と感じていても、
ある人にとっては、それを問題と感じなかったり、

生活をする上で、それが支障となるならば、
考えていく必要がある。

また、その傾向を早期に発見できることで、
その人が適応的な行動や補う能力を
獲得できることは、大切な手立てとなる。


HSPのような感覚過敏は
ADHD・ASDとの関連があり
専門家でも判断は難しい。

理解していくならば、
偏見や自己判断ではなく、
多角的な視点を持つこと!

そのように考えている。


ADHD・ASDについて基礎を学んでいますが、
専門ではないため、誤った内容や、
不快に感じられる内容があるかもしれません。
関係されている皆さま、
不快に感じましたら大変申し訳ありません。



自分にあるADHD・ASD傾向と感じている出来事には……

幼少期は、出来事の予測についてって、なかなかできないですよね……
そのことでよーく、母や伯母たちに怒られていました。

何故こんなに叱られるのか?
何故危ない子と言われるのか?

「なんで私だけ?いつも怒られるの?」
と、悲しかったし、なんで?と疑問でした……



年中の時、大きなトランポリンで、夢中で激しく飛んで、落下しケガをした。

幼稚園の頃は、勢いがよく、夢中で、よく怪我をする子だった。
自己の力のコントロールがうまく働かず、
勢いがよかったり、興奮や熱中しやすかったり、
好奇心が旺盛で、無鉄砲!と言われてた。

幼稚園の頃は、まだわからないので、
「あ〜そうか、これはダメなのか」と学習していきますが、

小学校の低学年の頃は、わかっているけど、
衝動が抑えられずにやってしまう!
という、自覚あり。


鳥カゴの扉を開けて、飼っている鳥を逃す!

鳥カゴの扉を開けたら、鳥が出て来て家の中を鳥が羽ばたくな〜
家の中で飛ばせたいな〜
開けたら逃げちゃうな〜(手が勝手に開けちゃってる)

ーーバサバサッと飛んでく鳥ーー

(私)わっ!鳥出てっちゃった!どうしようっっっ!お母さーーーーん!
(母)え!もーーー何やってんのーーーーー!!!(怒)

伯母の家の鳥カゴも開けてしまい、
ものすごーーーく、怒られた……💧
人格否定並に…😭 妹の記憶にも残るほど(笑)


この後、「鳥を放したいなら、窓を閉めることを確認してから」を覚えた!
いや、頭ではそんなことを分かっているけれど、
そっちの考えよりも、鳥を放したい、放したらどうなるか!
そちらの方に注意が向いてしまって、窓を閉めに行くという考えはあるけど、
処理の順番が追いつく前に動いてるっという感じ。

自分でやっていることを一つ一つ確認しながらやると、落ち着いて行動できた!


扇風機の回っているところに指を入れて、激痛に号泣!

入れたらどうなるのか?が気になって、
「痛いだろうな〜」と考えつつも、
考えている間にすでに指を入れてしまう……
それも、そうっと恐々入れるのではなく、その時は、ズブッ!って。
(ガガガガガガッ!っと指が強打)←アホすぎ(笑)

(私)痛〜〜〜〜〜泣泣泣……
(母)何やってんの〜〜〜〜〜!!!(怒)


学校の非常用ベルを押す!

非常用ベルを押してはいけない。←わかっている。
でも、非常用ベル押したらどうなるんだろう? ←ジリリと鳴って大変。
全部分かってる。
でも押してみたいな〜どうなるかな〜(あ!指が勝手に・・)

ーージリリリリリ〜〜〜(え?あ、私押しちゃったの?!やばやば)逃げるーー
(児童・先生)誰だーー押したのーー(ガヤガヤ)

(なんで、やっちゃうんだろう・・・分かってるのに・・・自己嫌悪・・・)


ホッチキスで指を挟んだらどうなるんだろ?←アホすぎる考え

(ハリがあるんだから痛いに決まってるじゃん)
(なんでそんなことをしようとするの?でも、どうなるんだろ?)
(やってみたいな〜どうしよう〜やってみようかな〜どうしよ〜)
ーーガチャン!ーー

(私)ギャーーー〜!!!号泣ーーー(当たり前)
(分かってたのにやちゃった・・泣泣泣・・自己嫌悪・・)

(母)も〜〜なんでそんなバカなことすんの〜〜〜(呆れ)


◆ショックなことや、酷い悲しみを受けた時は、必ず、耳を塞いで目を瞑り、
布団をかぶって丸まって、自分を小さく小さくさせる。
外側の世界を切り離す。遮断して、自分の殻に閉じこもる感じだ。
その自分の内側の世界で、小さく小さくどこまでも小さくして一つの塊のようにする。何も感じないように、動かず、黙って、静けさの中に潜む。




私の体験は、アホすぎると考えられるものだけど、
ADHD傾向であると考えても良さそうなくらいと思う。

自分の中で、怒られてばかりで傷つき自己否定感や、
自分でわかっているのに、
できない自己嫌悪感を味わってきた。

困り感は持っていたけれど、
日常で問題とならなかったのは、

適応的な学習を学んでいこうという姿勢であったり、
自己フィードバックであったり、

試行錯誤をしながら対人とのやり取りの中で、
自然と自分で獲得していくことができたからだと思う。

そこは、自分自身にある一つの能力で
補うことができるものがあった。
そんな風に、自分を肯定している。


自分の特性について、
それをどのように捉えていくかということは、
その人自身をどのように映し出すか
とも考えられるような気がする。

また、自分はさまざまな部分を持ち合わせているものだが、
自分というものを全体のまとまりとして見た時には、
そこには単に部分の寄せ集めということではない
別の全体性の自分を見ることができるだろう。




◆『ゲシュタルト心理学』
『図と地』『全体は部分の総和以上』『今ここ』という概念

ゲシュタルト』という言葉は、
「意味あるまとまり」「全体の形」「統合されたもの」というような意味のもの

『図と地』は、
関心ごとは図となって浮き、また新たな関心となる図が浮き、
もともとの関心は地である背景に沈む、という考え方。
「ルビンの盃」で図示されている。(盃と人の横顔が反転して見える絵)

『全体は部分の総和以上』は、
ただ部分を寄せ集めたものとは異なる、
全体のまとまりで認識しているという考え。
(一つ一つの音は音楽性を持たないが、まとまるとメロディや曲と認識される)

『今ここ』は、
「頭(知性化)よりも感覚」
「想像よりも観察」を重視する考え。

問題が起こっているのは、
感覚や観察によって捉えられる現実であり、
過去や未来、思考に逃げるのではなく、
今起こっていること「今ここ」に基づく。


ゲシュタルト心理学については詳しくないのだけれど、とても興味深い!
「ゲシュタルト崩壊」という言葉なんかもあるよね。

◆ゲシュタルト療法とは
ユダヤ系ドイツ人の精神科医、パールズが提唱した心理療法
・「統合された人間」観をもつ。
人間の矛盾する部分、頭(知性化)と身体など分割された状態に注目する。
「ゲシュタルト」という「現象」が現れるという考え。

「現象」
①人間がひとまとまりの存在として自己実現しようとする傾向をもつ

②統合された人間全体は、部分の寄せ集めとは質の異なるものとなる
③人間はそれだけで完結する存在でなく「場」や環境の中にいて、その都度変化していくもの



◆『ゲシュタルトの祈り』

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲシュタルト療法


気づいていない自分に気づき、自分の「ゲシュタルト」を手に入れよう!



私の中のADHD・ASDっぽさについてを語ってみたけど、
最近、改めてゲシュタルトに触れて、興味深かかったので、
少し紹介してみたくなりました✨



参考文献
『基礎から学ぶ心理療法』矢澤美香子編






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