会話
仕事柄、人と会話することが多くある。
人の話を聞くことが多くある。
枠を作る中での会話
枠を作らない中での会話
仲間や友達同士の会話
上下左右にある関係や役割の会話
愚痴も含めた他愛のない会話
話というものには、いろいろな形がある。
その会話の違いをいつも感じながら
日々を過ごしている。
以前、心理学の通信制大学に通っていた時に、
相談と会話の違いについて課題があった。
その違いを、以前にも増して実感している。
今まで、普通の会話の中で
親身に聞き過ぎてしまっていたんだな。
枠のない中で話を聞くということは、
非常に疲れてしまうわけだと、合点がいく。
何気なく行っている日常の会話というものは、
適当なものであると、今更ながらに体感する。
適当なものと言葉にすると語弊はあるが、
ある程度構造化されているものには
守られているものがある。
それに比べると
日常の会話というものは、
粗雑で剥き出しなように感じる。
守られるというものはなく、
簡単に侵入しされる場であったりする。
関係性だったり
秩序やマナーだったり
一人一人が持つパーソナリティや
価値観や感覚に委ねられ、
そのような自由な曖昧で何もない場で
私たちは自由に会話を行っている。
だから、ぶつかることもあるし、
悲しいこともあるし、
傷つくこともあるし、
疲れてしまうこともある。
でも、嬉しいこともあって、
楽しいこともあって、
深く考えずに自由に話すのが
日常の会話なのだと思う。
だから、聞くではなく、聴くは技術だと
そう実感する。
人と人というのは、
自他というものを区別しにくい。
皆、自分の世界で生きているから、
境界がどこにあるかなど
すぐに忘れてしまう。
知らず知らずに
自分の世界を外まで広げてしまう。
ある程度の枠があるから守られている。
自由は時に不自由で
剥き出しで曖昧で無防備だ。
今の私の日々は、人と会話をすること
聴くこと聞くこと話すことが増えた。
なぜに、これまでよりも圧倒的に
疲れないでいられているのかを
自分に問うてみると、
決定的な違いは
自他の区別がはっきり持てていること
そこだと感じた。
これまでは、日常の中でも
寄り添いすぎてしまうことがあり、
さまざまな氣を
勝手に取り込んでしまっていたように思う。
過去には、自他を区別しにくいことで
自分を大切にしたいのに、
自分が曖昧になってしまうことに
思い悩んでいた時期があった。
自分が境界線が薄いことを知っていた。
周りや心理士からの指摘ももらった。
だからこそ、そこへ工夫、学び、実践を行った。
優しさで疲れてしまう人
親身になって疲れてしまう人
感情的にぶつけてしまう人
枠のない中にいて、境界線なく、
守れていないことを行っている。
境界線は区切る線ではなくて、
マナーの線。
互いを守る線だ
自分の守る線と相手が守る線と
それぞれに線を持つ。
自他の区別の在り方がわかると
ストレスを感じにくくなる。
自由は曖昧で無防備だということを
今となって、あらためて実感する。
会話の違い、仕組みの違い、場の違いなど、
さまざまにある違いを理解するほどに、
自他の区別の在り方の輪郭がなぞられる。
在り方が保たれていると
何も考えない、つまり、
自分の中に必要以上に入れ込まない
ということが自然に行えるようになってる。
話を聴く上で区別を考えているからか
そんなことを最近感じている日々……
2025年6月6日
・・お読みいただきありがとうございます・・
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