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私の視覚と聴覚の情報受け取りの気づき!


私は、この春卒業をする、ある児童の家庭訪問をしていた。

4ヶ月に渡り、週1回、30分ほど会話をする。

児童は姿を見せない。声だけの会話だ。

私たちは、さまざまな話をした。


児童の成長や、私の仕事について、気になるところがあると思いますが、

今回はそのような話ではなく……

自分自身の気づきについて語ろうと思います。




声だけのやりとり。

相手の姿は見えない。

視覚的な情報がないということ。


私は、耳を澄ます。

耳に繊細な注意を払い、

それは、一切の反応を受け取ろうと、

全てを聴き取るために、

ただ、自分の耳に集中する。

私は耳をそのように働かせていた。


一方で、

耳から受け取られる、非言語情報にアンテナを働かせる。

声の表情、質、明るさ、トーンなど、
会話の表情、話し方、話す態度、話す調子、話の間など、
言葉の表情、発せられる言葉、言葉数、言葉の選び方など、

それは、まるで、
見えていない相手の顔、表情、態度などが見えるように描き出される感覚だ。

しかしそれは、あくまでも私の想像にしか過ぎない


ここまでは比較的、日常でもしているアンテナの受け取りだ。

だが、

日常との違いは、意識の向け方。
注意を向ける。意識的に!
超集中になるということ。

私にとっては、非言語の情報のアンテナの受け取りは容易い。
それが日常で、
それが自然で当たり前、普通な状態だからだ。


ここまでは、意識を向けた、非言語情報についての話。


自分の中の変化を感じたこと、とは、

言葉をよく理解できたこと!


どんなことを話しているか、
どんなことを感じているか、
どんな風に捉えているか、
どのような心の状態なのか、

耳から聞こえているものだけを頼りとして、

感じているものが、スッと入ってくる。

捉え方がシンプルに伝わった。

なので
悩むことがなかった!


そう……

聴覚以外の非言語の情報がない✨


耳からの情報だけで考えることができたのだ!


私にとって、これは大きな気づきだった!
驚きだった!


一方向の情報を遮断することで、とても整理がしやすかったのだ。

こんなにスッと考えられるんだ〜
なんか自分にとっていいことを発見した感じ
ふわ〜と心が和らいだ


実際のところは、児童が、
どんな気持ちでいるのか、
どんな表情をしているのか、

何を感じ、何を考えているのかは

本人にしかわからない


それでも、感じ取ったものを
純粋に、ありのまま、感じとる。




なぜ、スッキリと考えられたのか?

ハッとした…

視覚だ!


そう!
私は、視覚から入る情報が、時々、混乱を招くことがあることを感じていた…


聞き取る、話す声、言葉、内容、声の表情という、聴覚的な情報と
見えている、顔の表情、態度、行動などの、視覚的な情報が
多くあったり、複雑性があったり、自分の感情が絡んだりすると
処理しきれないことがあった


目から入る情報は、特に引っ張られやすいように感じている

視覚に入るものは

見えているものが正しいように思い込みやすい…

見えているものは、体の感覚、肌、皮膚に入ってくるような

そんな受け取り方を感じるから


見えている情報のものは、

言語化できていない部分。
見えて感じ取ったものを、想像しているに過ぎない部分。

わかりやすく
手にとるようにわかるものもあれば
微妙なニュアンスまでは感じ取るのが難しいこともある
本人が無意識的に異なる行動をとっていて複雑なこともある


例えば、聴覚的なものを遮断したコミュニケーションを考えるには、

英語が話せない時の、外人さんとの会話を考えたらいいのだろうか?


私は英語は話せない。

それでも、ホストファミリーを買って出る!
もう何度やったことだろうか
長いものは3ヶ月。

話せなくても会話が通じる。
相手からの情報をキャッチできる。
だからなんとなく通じる。

外人と会話をする私を見て、友達は、

「なんて喋ってたの?」と聞くが、
「わからない(笑)」
「え!仲良く話してるから、英語で何か喋っているのかと思ったよ〜(笑)」

という感じ。

旦那にも、話せないのに、なんで毎回するの?
と言われたり
なぜ、話せないのに、会話が通じるのかとか、
旦那からすると、とても不思議らしい(笑)
(あなたが、相手を理解することがとても苦手だからだよ!心の中で苦笑い)


子どもとか、言葉にならないような状況だったり

そんな時は

視覚の情報だけで感じ取るが、それもなんとなく良くわかることが多い。


動物もそうなのだろうか?

放し飼いの動物園や普通に犬や猫など
「なんでお母さんのところばかり動物が集まるの?」
「お母さん、いつも動物が寄ってくるよね(笑)」
と子供に言われたり。

なんとなく、

見えている、見えないものを感じられる。



視覚と聴覚、

両方が混ざり合い、情報が多い時、また、感情が多い時

情報に溢れてパンクする

耳から入る情報と目から入る情報に

ズレや違和感に溢れ、処理しきれなくなる


そんなことが自分に起こっていて

疲弊することを感じていた✨




今回の、耳だけを注意するということで

情報が少ないと

その限られたものだけを頼りにする


それは、シンプルに考えられ

また

少ない情報だからこそ

わからない(見えていない)ものがある

という意識が働いた


感じ取ったものは

ただ自分が受け取ったものだとスッと理解できた




私の中の気づきは

情報が遮断されると理解しやすい

それは

受け取る情報が多い、ことを意味する


また、

見える情報は、皮膚感覚で感じ取っているような感覚で

体に刻まれる感じがして残りやすい

リアルに感じてしまいやすいため、想像と感じにくい

視覚の情報の刺激が強い


それが明らかだと証明されたような

そんな自分の発見だった!✨


視覚的な刺激を受け取りやすさを感じていたけれど

聴覚の感覚と

視覚の感覚

比較することができて、気がつくことができたのだ。



今回のように

私は、アンテナのオンオフを実はしている。

注意を向け、過集中、超集中、集中、オフ、という段階わけもする。

アンテナの感度をよくすると疲れるので

私は、できるだけ日常をオフにする意識をしている。


記事にもしたことがあるのだが、
少し前から、ノイズキャンセラーのイヤフォンが雑音を掻き消し、
とても心地いい✨

サングラスも持ち歩く。

あ〜、私は情報を遮断すると、心地が良くなれるんだ〜✨


自分は受け取り情報がきっと多いのだな〜

だから、いろんなものを自然に小さくしていたのだな〜

あ〜小さかった時に感じた、人混み、雑踏の、ごちゃごちゃしたうるささ
薄汚れた空気ので具合が悪くなっていた感じ

自然を気持ちいいと感じるのも、わかる気がした




私にとって、とても嬉しい気づきだった💕











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