源氏物語(三十四帖)|紫式部|※ネタバレ注意※
三十四帖:若菜(上)
三十四の一:若菜の賀
正月二十三日の子の日、左大将の夫人から六条院の四十の賀をささげたいとの申し出があった。院は普段、御自身のことで大仰な式をすることを嫌われたが、この申し出は断りきれなかった。少し前まで秘密にされていたため、院が辞退する間もなかった。左大将家をもってすることであったから、玉鬘夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。
賀宴の準備は左大将家によって整えられ、南の御殿の西の離れ座敷に席が設けられた。屏風も壁代の幕も皆新しい物で装われ、形式をたいそうにせず院の御座に椅子は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、褥、脇息など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であった。趣味のよさできれいに整えられてあった。
玉鬘夫人は芸術的な才能を生かし、院のために工芸品を新しく作りそろえた。螺鈿の置き棚二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置き、夏冬の装束、香壺、薬の箱、お硯、洗髪器、櫛の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御挿頭の台は沈や紫檀の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手なものであった。そのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。
参列者の中には式部卿の宮も招かれた。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快な思いを抱かれたかもしれない。しかし、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の甥としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。
楽器は玉鬘夫人の実父である太政大臣が用意し、静かな音楽の合奏が行われた。和琴は大臣の秘蔵して来た物で、右衛門督が弾いたが、その腕前は父に劣らぬものであった。予想以上に巧みに名手の長男は弾き、誰もが感動を隠せずにいた。兵部卿の宮は琴をあそばされ、六条院も珍しい曲を一つだけお弾きになった。階段の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう塒に帰っていた鶯も驚くほど派手なものになった。
```mermaid
graph LR
A[光源氏] -->|夫| B[紫の上]
A -->|夫| C[女三の宮]
A -->|夫| D[明石の君]
E[朱雀院] -->|父| C
A -->|義理の兄| E
F[東宮] -->|夫| G[東宮の女御]
A -->|義理の父| F
D -->|実母| G
B -->|養母| G
H[源大将] -->|息子| A
I[柏木] -->|恋慕| C
J[夕霧] -->|息子| A
K[右衛門督] -->|恋慕| C
L[花散里] -->|妻| A
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```三十四の二:朱雀院の出家と女三の宮の婚約
朱雀院は重い病気に罹っておられたが、姫宮の裳着の式を急いで準備させた。式場は院の栢殿の西向きのお座敷で、唐の后の居室を模して華美に飾られた。御腰結いの役を太政大臣へ前から依頼しておありになった。そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わった。親王様はお八方来ておいでになり、宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まった。
帝も東宮も御同情になり、宮中の納殿の支那渡来の物を多く御寄贈になった。六条院からも多くの御贈り物があり、中宮からも姫宮のお装束、櫛の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内の時お贈りになった髪上げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。
式から三日目に朱雀院は御髪をお下ろしになった。院内の人々は悲しみに暮れ、特に尚侍はじっとおそばを離れずに歎きに沈んでいた。延暦寺の座主のほかに戒師を勤める僧が三人参り、法服に召し替えられる儀式は皆悲しいきわみのことであった。僧たちでさえ涙を流し、まして姫宮たち、女御、更衣、その他院内のあらゆる男女は上から下まで嗚咽の声をたてないでいられなかった。
朱雀院は女三の宮の将来を案じておられ、六条院に託すことを決意された。六条院は初め躊躇されたが、朱雀院の親心に動かされ、女三の宮との婚約を受け入れた。朱雀院は幼い内親王を一人、特別な御好意で預かり、適切な縁組みをさせてほしいと願われた。六条院は深く愛してお世話を申し上げれば、朱雀院の御手元におられるのと変わらず平和に暮らせるだろうと答えられた。
三十四の三:六条院の苦悩と紫の上の心境
六条院は女三の宮との婚約に悩まれ、紫の上との関係に変化が生じることを懸念された。紫の上に婚約の話を打ち明けると、夫人は表面上は冷静を装い、院の心が決まっていないことを指摘した。院は紫の上を慰め、愛情に変わりはないと伝えた。最初は断る口実を設けていたが、朱雀院の親心に動かされて辞退できなかったと説明した。
女三の宮が六条院に入られる準備が整えられ、その夜の儀装の列は華やかなものであった。供奉者には高官も多数に混じり、六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことは新例であった。しかし、女三の宮はまだ幼く、院は戸惑いを感じられた。幼い人といってもあまりにまでお子供らしく、自発的には何もおできにならぬようであった。
紫の上は静かに耐え、おおような態度で接したが、内心では寂しさを感じていた。女房たちも意外な展開に驚き、紫の上の立場を心配した。しかし、紫の上は表面上は平静を装い、新しい状況を受け入れようとする姿勢を示した。
院は新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる際、紫の上に薫香をたきしめさせた。紫の上の様子が非常に美しく感ぜられ、院は自身の決断に後悔の念を抱いた。紫の上は歌を詠み、世の中の移ろいやすさと将来への不安を表現した。女房たちは紫の上の歌に深く感じ入り、その心中を察して涙ぐむ者もいた。
三十四の四:新たな関係の模索
六条院は女三の宮と紫の上の間で板挟みとなり、両者への対応に苦心された。女三の宮は幼く、院との会話も浅いものであったが、院は完全なものは求めても得がたいと自らに言い聞かせた。一方、紫の上との関係は深まり、その価値を改めて認識された。院は紫の上を恋しく思い、自身の感情の深さに驚くほどであった。
朱雀院からは度々手紙が届き、女三の宮のことを心配する様子が伺えた。紫の上にも手紙を送り、幼い娘の世話を頼んだ。六条院は両者への配慮に苦心し、紫の上にも朱雀院への返事を勧めた。
院内の他の女性たちも、それぞれの境遇に応じて新たな生活を始めることとなった。尚侍はお崩れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。朱雀院は尚侍に出家を思いとどまらせ、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。
六条院は女三の宮との関係を模索しつつ、紫の上への愛情も変わらず持ち続けた。院は朱雀院の決意を思い出し、自身の立場の難しさを感じていた。新たな家族関係の中で、院は慎重に歩みを進めていった。宮中では六条院の新たな婚姻について様々な噂が飛び交い、太政大臣の右衛門督が独身でいることや、兵部卿の宮が熱心な求婚者であったことなども取り沙汰された。このような折、院は女三の宮の御教育に心を配りつつ、紫の上への変わらぬ思いを胸に秘めて日々を送られるのであった。
三十四の五:六条院の四十の賀
六条院の四十歳の賀が近づいていた。紫の上は嵯峨の御堂で薫師仏の供養を行うことを計画した。院の意向で派手な準備は控えめにしたが、仏像や経箱、経巻の包みなどは極楽も想像されるほどの立派さであった。最勝王経、金剛、般若、寿命経などが読まれ、頼もしい賀の営みとなった。
高官たちも多く参列し、嵯峨野の美しい秋の景色に惹かれて集まった人も多かった。その日は霜枯れの野原を通る馬や車を無数に見ることができた。盛んな誦経の申し込みが各夫人からもあった。
二十三日が仏事の最後の日で、六条院では二条院で賀の饗宴を開くことにした。紫の上が中心となって準備を整え、花散里や明石の君も手伝った。賀の席上で奉る院のお服類をはじめとして当日用の仕度はすべて紫の上の手でととのえられていた。
寝殿の離れ座敷が式場となり、螺鈿の椅子が院のために設けられた。西の座敷に衣裳の卓を十二置き、夏冬の服、夜着などの積まれたそれらの上を紫の綾で覆うてあるのも目に快かった。中の品物の見えないのも感じがよかった。椅子の前には置き物の卓が二つあって、支那の羅の裾ぼかしの覆いがしてあった。
三十四の六:賀宴の様子
賀宴当日、高官や親王たちが参列し、楽人たちも参入した。午後二時に楽人たちが参入し、万歳楽、皇楽などが舞われた。日暮れ時には高麗楽の乱声があり、また続いて落蹲の舞われたのも目馴れず珍しい見物であった。
終わりに近づいた時に、権中納言と右衛門督が出て短い舞をしたあとで紅葉の中へはいって行ったのを陪観者は興味深く思った。昔の朱雀院の行幸に青海波が絶妙の技であったのを覚えている人たちは、源氏の君と当時の頭中将のようにこの若い二人の高官がすぐれた後継者として現われてきたことを言い、世間から尊敬されていることも、りっぱさも美しさも昔の二人の貴公子に劣らず、官位などはその時の父君たち以上にも進んでいることなどを年齢までも数えながら語って、やはり前生の善果がある家の子息たちであると両家を祝福した。
夜になると楽器の演奏が始まり、おもしろい夜の宴となった。楽器は東宮から贈られたもので、朱雀院からお譲られになった琵琶、帝からお賜わりになった十三絃の琴などは六条院のためにお馴染の深い音色を出して、何につけても昔の宮廷がお思われになる方であったから、またさまざまの恋しい昔の夢をお描かせした。
太政大臣も参列し、院と和やかに酒を交わした。いかなる時にも聞きえなかった妙音も出た。またも昔の話が出て、子息の縁組みその他のことで昔に増した濃い親戚関係を持つことにおなりになった二人は、睦まじく酒杯をお重ねになった。
三十四の七:桐壺の更衣の出産
三月の十幾日に桐壺の更衣が安産で男宮を出産した。その時まではあぶないことのようにして、多くの祈祷が神仏にささげられていたのであるが、たいした苦しみもなく、しかも男宮をお生みしたのであったから、この上の幸福もないようで院の心も落ち着いた。
産屋は南の町に移され、六日めに以前の南の町の御殿へ桐壺の更衣は移った。七日の夜には宮中からの産養いがあった。朱雀院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手な祝宴を管理した。
紫の上も若宮を可愛がり、白い服装をして母らしく若宮をお抱きしている姫君はかわいく見えた。紫の上は自身に経験のないことであったし、他の人の場合にもこうした産屋などに立ち合ったことはなかったから、幼い宮を珍しくおかわいく思うふうが見えた。
明石の君は産湯の仕度などにばかりかかっていた。東宮宣下の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍がお湯をお使わせするのであった。迎え湯を盥へ注ぎ入れる役を明石の君が勤めるのも気の毒で淑景舎の方の生母がこの人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、どこかに欠点でもある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高い明石の君の姿はこの人たちに畏敬の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いないというようなことも思わせた。
三十四の八:明石入道の手紙
明石入道から明石の君へ手紙が届いた。入道は姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」と弟子どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨の奥の郡に人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しまだ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵へ、もう今後の子孫の運は仏神にお頼みするばかりであるとして入道は行ってしまうのであった。
手紙には、姫君が東宮の後宮へはいられ、そして男宮をお生み申されたことへの深い喜びが綴られていた。また、入道は自身の夢を語り、その夢が今の幸福を予言していたことを明かした。さらに、住吉の神をはじめとして仏様への願果たしを姫君に託し、自身は西方浄土を目指すことを告げた。
明石の君はこの手紙を読んで涙し、父の思いを改めて理解した。尼君も入道の手紙を読み、悲しみに暮れた。明石の君は尼君を慰め、若宮のことを話した。二人は入道の思い出を語り合い、夜通し話し合った。
翌朝、明石の君は南の町へ戻り、姫君に入道の手紙のことを伝えた。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふうができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。入道の手紙は若い心に無気味なこわい気のされるようなことが、古檀紙の分厚い黄色がかった、それでも薫物の香の染んだのへ五、六枚に書かれてあるのを、姫君は身にしむふうで読んでいて額髪が涙にぬれていく様子が艶であった。
三十四の九:女三の宮と右衛門督
ある日、六条院で蹴鞠の遊びが行われた。院は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである。熱心に薫香の香を袖につけて、院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人を四、五人だけおつれになり、昔の微行に用いられた簡単な網代車でお出かけになった。
その最中、女三の宮の御簾が上がり、その姿が一瞬見えてしまった。支那産の猫の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾の下から出ようとする時、猫の勢いに怖れて横へ寄り、後ろへ退こうとする女房の衣ずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳の裾などにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわに斜に上がったのを、すぐに直そうとする人がない。
右衛門督はその美しい姿に心を奪われ、恋心を募らせた。大将(夕霧)も宮の姿を見てしまい、その軽率さを気にかけた。しかし、大将自身も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾も下りたのを見て、大将は思わず歎息の声を洩らした。
その後、右衛門督は宮への思いを抑えきれず、小侍従に手紙を送った。手紙には「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書かれていた。宮は右衛門督が自分を見たことに気づき、恥ずかしさと不安を感じた。院から何度も注意されていたことを思い出し、大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにお叱りを受けることであろうと心配した。
小侍従は宮の様子を見て返事を書いたが、宮の気持ちを察することはできなかった。返事には「今さらに色にな出でそ山桜及ばぬ枝に思ひかけきと」という歌が添えられ、むだな思いを諦めるよう諭していた。
三十四の十:明石入道の手紙
明石入道から明石の君へ手紙が届いた。入道は姫君の出産を喜び、この世との別れを告げる内容であった。彼は明石の邸宅を寺に改め、播磨の奥地にある人里離れた山中の草庵へ引き籠もる決意を述べていた。
手紙には、入道の若かりし頃に見た不思議な夢の話が綴られていた。その夢は、入道の娘とその子孫の輝かしい未来を暗示するものだったという。入道は、この夢が今や現実となったことへの感慨を述べ、姫君の将来への祝福と期待を記していた。また、自身は西方浄土を目指すことを告げ、姫君に対して仏神への祈りを続けるよう託していた。
明石の君はこの手紙を読んで涙し、父の深い愛情と先見の明を改めて理解した。尼君も入道の手紙を読み、悲しみに暮れた。明石の君は尼君を慰め、若宮の近況を語った。二人は入道との思い出を語り合い、夜通し昔話に花を咲かせた。
翌朝、明石の君は南の町へ戻り、姫君に入道の手紙のことを伝えた。姫君は涙ぐみながら黙って聞いていた。実母に対しても打ち解けた様子を見せない、おとなしい姫君であった。入道の手紙は、古い檀紙に書かれ、薫物の香りが染み付いていた。姫君はその内容に心を動かされ、額の髪が涙で濡れるほど感動していた。
手紙の中で入道は、自身の人生を振り返り、俗世での欲望や執着を捨て去ったことを述べていた。また、姫君の将来に対する願いや、仏道修行への決意も記されていた。明石の君は、父の深い慈愛と悟りを得た境地に感銘を受けつつも、別れの悲しみを抑えきれずにいた。
三十四の十一:女三の宮と右衛門督
ある日、六条院で蹴鞠の遊びが行われていた。院は寝殿に入らず、手紙のやり取りだけをしていた。薫香をまとい、日暮れを待ちわびていた院は、親しい数人を連れて簡素な車で出かけた。
その最中、予期せぬ出来事が起こった。女三の宮の居所で、飼い猫が暴れ出したのだ。小さな猫を大きな猫が追いかけ、御簾の下から飛び出そうとした。驚いた女房たちが慌てふためき、衣擦れの音が響き渡った。猫は長い綱でつながれていたが、必死に逃げようとしたため、御簾が大きく斜めに上がってしまった。
この瞬間、女三の宮の姿が外から見えてしまった。右衛門督は、その美しい姿に心を奪われた。大将(夕霧)も宮の姿を目にし、その軽率さを気にかけた。しかし、大将自身も美しい姿を見られなくなったことを残念に思い、思わずため息をついた。
この出来事から、右衛門督は宮への思いを募らせ、小侍従に手紙を送った。手紙には、一目見た宮の姿が忘れられず、恋焦がれる気持ちが綴られていた。宮は右衛門督が自分を見たことに気づき、恥ずかしさと不安に襲われた。院から再三注意されていたことを思い出し、大将に見られたことで叱責を受けるのではないかと心配した。
小侍従は宮の様子を見て返事を書いたが、宮の本当の気持ちを察することはできなかった。返事には、右衛門督の思いを諫め、無駄な恋心を抱かないよう諭す内容が記されていた。しかし、この返事は小侍従の判断で書かれたもので、宮の真意を反映したものではなかった。右衛門督は、この返事を受け取りながらも、宮への思いを断ち切ることはできなかった。
