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『いつかのシンドローム』

風車は回らない。僕が魔力で止めているから。

そういう修行だ。風が吹くのと逆方向から、吹く風と同等の魔力、正確には魔力から生じる波動を浴びせる。方向を間違ってもいけないし、力加減を誤ってもいけない。適切に魔力を調節することにより、風で回らんとする風車をさも真空にあるかのように止めてみせる。そういう修行。

『風已み』。僕ら魔導士がその道を志すに当たり、まず修得が求められる初歩的な技能である。

「みたいなことを、あの時分は四六時中考えていました」

言うと、綾月先生はグラス片手に快活に笑い、「『風已み』かっけー」とそれを煽るように飲んだ。空になったグラスを置き、赤らんだ顔で僕を見る。

「いや、でもオタクな中学生男子なんてそんなもんですよ。私も特殊技能、持っていた気がするなぁ」
「闇の炎の使い手だったり?」
「そうそう。人間のふりして、実は魔界の第七王子だったり」
「お、それ面白いですね」
「私も今言ってて思いました」
「王位継承は望めないけれど、王族は皆、儀礼的に人間社会を学ぶプログラムには参加しなくてはいけない、みたいな」
「これから我々が支配する人間界の様子を先んじて学ぶためのプログラムね」
「そうそう。それで、友達ができたり好きな子ができたりで、人間に情が移っちゃうんですね」
「だけども実は魔界の王子」
「そうこうしているうちに、魔界では跡取り争いが苛烈になり、ひょんなことから第七王子の主人公に王位継承の話が舞い込んでくる」
「わぁ、いいなそれ。ハヤテ先生、次回作それでいっていいですか、私」

興奮気味にまたグラスを持ち上げ、それが空であることを思い出し。綾月先生は店員におかわりを頼んで、満足げに息を吐いた。

「駄目だ。頭のモーターが回り始めちゃった。今日眠れないやつだ、これ」
「何なら帰って書き始めますか」
「いやいやいや、せっかくハヤテ先生とご一緒できているのに」
「じゃあ、ここで練りましょう」
「これ以上ハヤテ先生にアイデアいただいたら、私の名前だけでは出版できませんよ」
「では、今夜は綾月先生の奢りということで」
「最高じゃないですか」

その後、やれ第一王子との因縁だの魔界には人間界擁護派と排斥派がいるだの人間の身体で魔力を使うことの負荷だのと、想像の華が咲き乱れた。気がつけば閉店時刻で、二人して外に出たときには、昼間の熱気も静まり、やや肌寒いほどの気候となっていた。

袖を捲った腕に当たる風が、火照った身体に心地いい。

「いやぁ、まったく。楽しかった」
「盛り上がりましたね」
「いい歳して何をやっているんでしょうね。はは」

いつまで経っても、中二病です。

言って、綾月先生は自嘲気味に笑う。
ざわり、と胸が騒いだ。綾月先生とは出版社のパーティーで初めて会い、今日が二度目の間柄だ。普段の自分なら、踏み込むことをまだ躊躇するタイミング。

しかし、

「ふざけたこと言わないでくださいよ」

このまま綾月先生の言葉を流しては、今日の弾んだ会話が、交わした笑顔が無かったことになるような気がして、思わず強い口調で返した。

「僕らは作家です。中二病? 当たり前じゃないですか、そんなの」

完治した奴には用はない。
こじらせてこじらせて治ったと思ったらまたぶり返して。
これはもう一生付き合っていくしかない、と腹を括った奴だけかかって来い。

「でしょ」

真っ直ぐ、綾月先生を見つめる。きょとんとした顔が、数秒をかけて歓喜に歪み、やがてそれを噛み潰すような表情へと変貌する。

「ですね」

地下鉄への入り口の前。また飲みましょう、と約束を交わし、階段を降りていく綾月先生を見送る。踵を返し、反対方向にあるJRの駅へと向かう。

歩を進める。

風は止まない。


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