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忘れられない先生・小学校編

 こんにちは、スミレです。
 投稿企画の中に「忘れられない先生」というタグを見つけたので、書いてみようと思います。

 今回は、私が小学生だった頃の先生3人を挙げます。


①3年生の時の担任

 仮にA先生と書きましょう、実は1年生の時も担任だったのですが、悪い意味で忘れられないエピソードが3年生の時に起こりました。

 当時の私は突然、学校に行きたくないと言い始めました。行きたくなかった理由も、しばらくすると元通りに登校できるようになった理由もよく覚えていません。おそらく、気持ちを言語化する力がほとんどなかったのかもしれません。
 そのせいか、周りの大人たちの反応は厳しいものばかりでした。母からは「なんで学校に行かないの」と怒鳴られ、父からは「学校に行かないなら(あるいは先生の言う事を聞かないんだったら)家を出て行けばいい」と諭されました。
 うーん、言い過ぎじゃない……?

 ただそれ以上に、担任のA先生が凄かった。
 私が学校を休もうとすると、毎回家まで来ました。自宅から小学校までは車道一本挟んだだけの、文字通りに目と鼻の先だったので、来ること自体はおかしくないと思っています。

 来た理由は、事情を聞くでもなく、言葉で説得するでもなく、力ずくで登校させるためでした。
 具体的には、ロフトベッドの上に居座る私の腕を、思いっきり引っ張って、引きずり降ろしました。落下防止の柵がグラグラになるほど先生に引っ張られては抵抗していました。抵抗と言っても、まあ力量差には勝てなかったのですが。
 必要かわかりませんが一応、女性の先生であったと書いておきます。
 玄関を出た先の駐輪スペースは砂利のようになっていて、先生と母は靴を履いて、私は靴下だけの状態で引きずられたこともあります。
 石って裸足で踏むと痛いんだなと学びました()。

②校長先生

 A先生に引きずられながら辿り着くのは校長室でした。大体はそこで、私と校長先生の2人で給食を食べていました。
 校長先生も子供と同じように給食を食べるのか、と的外れなところで驚いていた覚えがあります。

 校長先生は良い意味で忘れられない先生です。
 例えば私に何かを問いかけるときは、校長先生が指を差し出してきます。
 人差し指を立てながら「今日はもう家に帰る?」と聞き、そのまま中指も立ててピースにして「まだここでお話する?」、最後に薬指を立てて3のジェスチャーになり「それとも教室に行く?」と聞きます。
 それを受けて、帰りたい私は、自分の人差し指で校長先生の人差し指をチョンとタッチします。すると校長先生は「じゃあ帰ろうか」と言ってくれました。
 「割り箸」で遊ぶ感じ、と書けば伝わりやすいでしょうか?

 ロクに喋ることができなかった当時の私には、これ以上ないほどに嬉しい方法でした。怒るわけでもなく、言葉を待つだけではなく、言葉じゃなくてもコミュニケーションを取れるように工夫してくれたのです。
 あの頃、私に寄り添ってくれたのはこの人だけでした。

 ただ、給食を食べた後にA先生が来て「牛乳パックは自分で教室に戻しなさい」と言われてからは、校長室で給食を食べることも拒否するようになりました。
 給食→掃除→お昼休みという時間割でした。なのでクラスメイト視点では、掃除の時間、欠席だと思っていた私が突然現れ、牛乳パックだけ洗って干してどこかへ消えていったわけです。しかも寝巻き姿で、上履きでもない、来賓用のスリッパを履いているのです。
 クラスの間では「学校に住んでいるの?」なんて誤情報が流れたらしいです。もう気まずいのなんの。一応書いておくと、クラスメイトとの関係は良好でした。
 ちなみに、スリッパは校長先生が気を利かせて貸してくれたものです。生徒用の下駄箱がある出入り口ではなく、校長室と近い職員・来賓用の出入り口を使用していたので、自分の上履きを取りにいく方が手間でした。

 もう一つ覚えているのは、私も校長先生もティラミスが好きということです。給食も拒否するようになったある日、校長先生が家まで来てくれたことがあります。その時に私がデザートのつもりで食べていたのがティラミスです。
 母からそれを聞いた校長先生は「あら、先生もティラミスが好きなのよ!美味しいよね〜」と言いました。
 何故かめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。好物が一緒だっただけなのになんで今でも嬉しいのでしょうか?

③5〜6年生の時の担任

 仮にB先生と書きましょう。芸能人で例えるなら松岡修造さんです。
 私の中で、一二を争う良い先生です。教職の過酷さを嘘とでも言うほど明るくてパワフルで、児童1人1人と向き合っていました。
 楽しい思い出が多すぎて、3年生の時に学校嫌いになっていた私は、いつの間にか学校大好き人間に変貌していました。

 今になって「B先生がやってたアレは凄いことだったのでは」と思うことがあります。
 学校生活についてのアンケートがあるじゃないですか。確か、県か市の学力調査(だった気がする)のついでに配られるやつです。あれが実施される度に、B先生は、全員分の回答に目を通しては、クラスの全員と二者面談をしていました。
 直接「学校は楽しいか」と確認するのです。数日に分けて、放課後に1人1人と面談し、毎回握手をして終わります。
 私が出会った先生たちの中でこれをやったのはB先生だけなので、珍しいことだったと感じたのですが、他所の学校ではどうなんでしょう?

 当時の私は先述の通り、学校大好き人間だったので、困り事も何もなかった分サクサクと面談が進んでいくのが常でした。
 1つだけ具体的に覚えているのは、「良い成績を取るために勉強を頑張れているか」という質問に対して「あまり出来ていない」と回答した時のこと。

B先生「勉強、頑張れてないの?」

 自分で言うのも変かもしれませんが、私は授業でよく挙手をして、テストも満点を取ることが多い児童でした。先生から見れば不思議だったのでしょう。
 アンケートに回答していた時の私は「成績?あゆみ(通知表)のこと?」と連想していました。

私「勉強は好きだけど、あゆみのことは気にしてなかったです」

B先生「ああ、なるほど」

 正確には勉強や学校が好きなのではなくて、「B先生のクラス」が好きだったんだなぁ、とのちの人生で思い知らされたわけですが……。

 今通っている通信制高校では、母校に近況報告の手紙を送る取り組みがあります。予定が合えば高校の卒業式に招待することが目的らしいです。生徒自身からのメッセージを添えることも可能です。
 中学生の時の恩師には、まだ異動していないからと度々送っていました。ですが高校の先生から「小学校の人事異動まで追うのは難しいかもしれない」と説明されていたために、B先生への手紙は断念していました。
 ですが今年になってどうしても近況報告のメッセージを送りたくなり、ダメ元で高校の先生に郵送を頼みました。
 そしたらなんと、届きました。当時通っていた小学校に送られた手紙を、今いる先生たちがB先生の異動先まで改めて送ってくれたそうです。
 しかも返事の手紙が高校に届けられました。高校の職員室で受け取った時、嬉しすぎて泣くかと思いました。公衆の面前だったので我慢しましたが。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。誰の得になるかはわかりませんが、書きたいように書けて私は満足です。

 書きながら考えたことが3つあります。

1 多分、A先生とのエピソードは早いうちに別の大人に相談した方が良かったかもしれない。喉元過ぎれば熱さを忘れる、これと同じなのか、今更騒ぎ立てる気は一切ないですけれど。

2 それを経ても元通りに登校するようになったのは、そうしないと誰も味方になってくれないと察したからかもしれない。そういえば、担任以外の先生に話しかけるという発想が当時の私にはなかったなぁ、と。

3  B先生からお返事の手紙をもらって、「B先生の文字だ!」なんて感動して家でも泣きかけたあたり、私はB先生をめちゃくちゃ慕っていたのでしょう。たった今自覚しましたよ。

 はい、以上になります。中学校編、書けるかなぁ。小学校編よりありきたりなことしか書けなくて投稿しないかもしれません。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

#忘れられない先生

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