私の英語学習ジャーニー
はじめに|なぜ、いま英語学習を書き残すのか
英語は、私にとってライフワークとも言える、よき相棒になりました。
生活の中で、その都度関係性を変えつつ、付き合い続けて二十余年。幼少期、学生時代、社会人になってから、そしていま。学び方や距離感は変わっても、英語はずっと私のそばにありました。
この記事は、成果自慢でも、学習ノウハウのまとめでもありません。
私自身がどんな距離感で英語と付き合い、どのように感じてきたのか。その試行錯誤の記録として、このジャーニーを書き残してみたいと思います。
フェーズ0 幼少期|甘い思い出と世界への入口としての英語
幼少期、英語は「勉強」よりも先に、世界への入口として私の前に現れました。親がナショナルジオグラフィックを定期購読してくれていて、写真や地図、世界の自然現象や、知らない国の人々の暮らしを見るのが好きでした。文章はほとんど読みませんでしたが、「世界にはいろいろな動物がいるんだなあ」「地球って日本だけじゃないんだ」という感覚を、確かに覚えています。
同じ頃、国旗を覚えるのにも夢中でした。時が経ち、今は名前が変わってしまった国や、もう存在しない国もあるかもしれません。色と形と国名を結びつけて覚える作業は、言葉と世界の構造を対応させる最初の遊びだったように思います。
私の英語は味覚とも密接に結びついています。アメリカに住む親戚から毎年のように届いたお菓子。レーズン、キスチョコ、Swiss Missのあまーいココア。パッケージの英語は読めなくても、英語=少し特別で、嬉しいもの、という感覚ははっきり残りました。

フェーズ1 小学校時代|楽しいレッスンとしての英語
当時はまだ、小学校で英語は必修ではありませんでしたが、小学校高学年になると、同級生のお母さんから英語を習う機会がありました。彼女はマレーシア出身で、週に一度のレッスンでは、単語や歌だけでなく、マレーシアのゲームをしたり、料理を振舞ったりもしてくれました。
家で予習や復習をすることはほとんどありませんでしたが、レッスンの時間そのものが楽しかったのを覚えています。英語は、勉強するものというより、楽しい歌や音楽と同様のものでした。
フェーズ2 中学時代|「得意科目」になった英語
中学校に入ると、英語は明確に成果が見える科目になりました。テストはいつも満点(ストーリー的に盛ってますスミマセン)で、特に好きだったのは筆記体です。形の美しさが面白くて、ノートに何度も練習しました。
この頃、初めて自分で買ったCDはアヴリル・ラヴィーンのLet Goでした。歌詞カードを見ながら、意味が完全に分からなくても音で覚えて一緒に歌います。英語は「勉強」であると同時に「歌」でもありました。

フェーズ3 高校時代|試験の英語と、通じた英語
高校でも引き続き英語は得意科目でした。文法や読解が好きで、さまざまな大学の過去問を解いていました。文章を読むことそのものも好きでしたが、出題傾向の違いを比べるのも楽しかったです。ただ、英語を実際に使う場面は、この時はほとんどありませんでした。
転機は、吹奏楽部の演奏旅行で訪れたフロリダです。初めての海外。巨大な茶色い川でワニが泳いでいるのを見て、とんでもないところに来たなと思いました。
ホームステイ先では、言いたいことは頭の中にあるのに言葉になりません。ステイ先の母親から、お風呂の使い方の説明を受けます。シャンプーやリンス等の説明をしてくれています。そんなとき、とっさに口から出たのが、
“to wash?”
という一言でした。教科書で習った to不定詞!
不完全な文でしたが、それが通じて、相手は私の質問に”Yes.”とこたえました。そのときの光景を今でも覚えています。英語話者と「通じた」という最も最初の体験です。
フェーズ4 大学時代|揺らぐ「得意」の感覚
大学では、英語ではなくイタリア語を専攻しました。英語が得意だという自負があったからこそ、まったく別の言語をゼロから学んでみたかったのです。
ところが、クラスには帰国子女が多く、彼らは当たり前のように英語で会話していました。”To wash”で浮かれていた私と、帰国子女たちとの差には、正直かなり驚きました。「できると思っていた英語」が、実は限られた条件下でのものだったと、初めて気づかされたのです。
一方で、イタリア語の学習を通じて、英語の語源にあたる単語や構造を大量にインプットしました。ラテン語由来の語彙を知ることで、英語が別の角度から立体的に見えるようになります。
TOEICは進級要件として2〜3回受験しました。点数は取れても、「話す」こととは別物だという感覚は、この頃からずっと残っていました。
フェーズ5 社会人生活(20代)|仕事中心の英語
社会人になってから、英語は仕事の道具になりました。社会保障関連の用語を中心に覚え、会社規程を公式に翻訳する仕事も担当します。
まだ流暢には話せませんでしたが、同じ会社のアメリカ人社員と、少しずつ友情を育んでいきました。勉強方法は模索中で、洋書を読んだり、ポッドキャストを聴き始めたりしたのもこの頃です。
TOEICは継続的に受験し、スコア800点台までいきました。
仕事のストレスが溜まると、なぜか意味の分からないドイツ語やロシア語の詩を聴いて癒されていました。今思えば少し変わっていますが、言語そのものの響きに助けられていたのだと思います。
フェーズ6 社会人生活(30代前半)|さまざまな英語
30代になると、会話力をもっと磨きたくなり、英会話レッスンにかなり通いました。British Councilへの通学、オンライン英会話。
仕事ではインタビューで英語を多用し、アメリカ、メキシコ、インド、中国、ドイツなど、さまざまな国の人と話しました。アクセントの違いを体感しながら、会計英語や決算書の読み方も身につけました。
また、同僚の小学生の子どもに英語を教えることもありました。教科書の復習や英検5級レベルの内容、英語のリズムや発音を教えていました。
同じ時期に、『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳)にどはまりし、原著も楽しく読むようになります。アガサ・クリスティや、ステファン・キングの小説も読みました。
英語インタビューや、英語を教えることなど、アウトプットの量が一気に増えてきたのがこのころです。しかし、まだストレスなく、自由に話せるには程遠いな、と感じていたのも事実です。
フェーズ7 現在とこれから|英語を本当に楽しむために
いまは、英会話の基本に立ち戻っています。フォニックスの練習、ポッドキャストでディクテーション、そして英会話レッスン。
具体的には、
フォニックスは、日本語訛りを解消し、聞き取りやすい英語を話すため
ポッドキャストは興味のある分野(ライフスタイル系)かつ好きな話し方をしているホストを選んで真似する
英会話レッスンは少人数制で教科書は無し、自分でトピック出しもして、積極的に場面と関係性を作っていく
といった内容です。
英語での日常会話を、ストレスなく楽しむ程度の力をつけるためです。
具体的には、「初対面の人とのスモールトークから、自分を分かってもらうための英語を身に着ける」ことを目標にしています。
自分の目的動作にフォーカスして、学習内容を厳選しました。
この考え方の背景にある比喩は、別の記事で整理しています。
こういった取り組みをした先で、さらには英語のコンテンツを作りたいと考えています。また、英語だけでなく、イタリア語やドイツ語、スペイン語を学ぶ人たちが集まれる、小さなコミュニティを作るのが私のビジョンです。
おわりに|英語は、たのしい
振り返ってみると、英語はその時々の生活や価値観に合わせて、距離感を変えながらも、ずっと側に置いてきた言語でした。
英語学習の目標に迷っている方、ぜひ自分の学習ジャーニーを振り返ってみてください。
今のあなたと英語の距離感、つかめるかもしれません。
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