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道具は、いつも「民主化」とともに進化してきた。だから最後は、本質へ帰っていく。

サムネの写真はですね、先日登ってきた、霊峰・白山で出逢ったヒメシロコブゾウムシです。気持ち悪かったらごめんなさい。

私は昆虫図鑑を眺めるのが好きなので、なんだか昔から知っている虫のような気がしていました。でも、実物を見たのは人生で初めてでした。

不思議ですよね。

そして、この小さな虫を見ながら思ったのです。

進化とは、「足し算」ではないのかもしれない。


あ、本題です。

昔、登山は誰もが楽しめる趣味ではありませんでした。

19世紀のヨーロッパでは、アルプス登山や極地遠征は、貴族や国家の支援を受けて初めて実現できるものでした。

日本でも戦後しばらくは、大学山岳部を中心とした活動が主流で、登山には時間も費用も必要だったことから、ある程度恵まれた環境にいる人たちの趣味という側面がありました。

(そういえば、こないだの白山では、沢山の大学山岳部とすれ違いました。みんな80リットルくらいの大荷物でスゴかった。)

しかし時代が進むにつれ、町工場で働く人や、特別な学歴や家柄を持たない人たちも
「自分たちも山へ行くんだ!」
という時代になります。

登山人口が増えて、
市場が生まれるから、
多くのメーカーが参入して、
登山道具は少しずつ一般の人の手に届くものになっていきました。

この流れは、UL(ウルトラライト)文化にもよく似ています。

最初はMYOG(Make Your Own Gear)のように、自分たちで必要なものを作る小さな文化だったのか、
その思想に共感する人が増え、
やはり市場が生まれ、
やがてメーカーが商品として形にしていきました。

私は、この流れはどの時代にも、
どの分野にも、ある程度共通しているように思います。

市場が成熟すると、人は
「もっと便利に」
「もっと高性能に」
「もっと多機能に」
と進んでいきます。

しかし、その先で本当に道具を使い込んだ人たちは、不思議なことに逆方向を向き始めます。

「本当に必要なものは何だろう。」

そんな風にして、そこから始まるのは、
足し算ではなく「引き算」です。

先日、YouTubeでバイカーズデポの土屋智哉さんのお話を聞いて、この考え方がとても腑に落ちました。

(いやぁ、今の時代は本当に素晴らしい情報に簡単にアクセス出来て、素晴らしい。土屋さん。名前は書籍等で存じ上げていましたが、やはり動画で見れるというのは、とても勉強になるし、考え方が素敵な方でした。)

文化は民主化し、
市場が成熟すると、
一度は複雑さを競います。

けれど、その成熟の先で、
人はもう一度「本質」へ帰っていく。

私は、この言葉に深く共感しました。

その象徴のように感じたのが、
EVERNEWのBLUENOTEストーブでした。

このストーブは、高火力でもありませんし、
何でもできる万能ストーブでもありません。

目指したのは、たった一つ。

15mlのアルコールで、300mlのお湯を沸かすこと。です。

この一点だけを、徹底的に磨き上げています。
300mlあれば、カップヌードルが食べられる。
アルファ米も戻せる。
さらに15ml足せば、コーヒーも淹れられる。

つまり30mlの燃料だけで、山頂での豊かな時間が完成するのです。

これは「性能を削った」のではなくて、
いうなれば、「目的を研ぎ澄ました結果」なのだと、こんどはBLUENOTE ⁺stoveの開発秘話を聞き、凄い!と興奮しました。

私は以前まで、
山頂に向かうとき、アタックザックの中にSOTOのウインドマスターとOD缶110を持って行っていました。

それでも充分軽いし、もちろん、素晴らしい道具です。

でも、山頂で300mlのお湯を一度沸かすだけなら、その性能はオーバースペック過ぎる気もしていました。

BLUENOTE ⁺stoveは、その役目だけを
驚くほど小さなシステムに収めています。

これは軽量化ではなく、「最適化」と表現するそうです。
(ちょうどマック謹製のM1チップについて調べてた時だったので、最適化という言葉が余計に刺さりました)

そして、この「最適化」という考え方は、
私が作りたいTrail Companionにも通じています。

収納を増やすことが目的ではない。
機能を増やすことが目的でもない。

山を歩く人が、本当に必要なものだけを持ち、余計な迷いなく歩ける。

そのために必要十分な形を探したい。

私は、それこそが道具づくりの本質だと思っています。

この考え方は、実を言うと、お金にも当てはまります。
以前、私は借金と自己投資について記事を書きました。

正直に言えば、借金をするのは怖かったです。
でも、何も挑戦しなければ、何も変わらないとも思いました。
あの時、お金で買ったのは道具ではありません。
「これから先の人生を、もっと面白くできるかもしれない」という可能性でした。

まぁ、借金という言葉には、
どうしてもね、悪いイメージがありますから。

呪われてるのは「お願い」する方だ!!

でも、お金そのものに善悪はなくて、大切なのは、そのお金が何を生み出すのかです。

目先の消費だけのためなら、それは未来の自分を苦しめるかもしれません。

しかし、自分の技術を磨き、新しい経験を積み、自分の可能性を広げるために使うのであれば、それは未来の豊かな時間を買うための投資になる筈です。

私は登山を始めるときも、
カメラを買うときも、
その他のたくさんの道具を揃えるときも、
決して「物」が欲しかったわけではありません。

欲しかったのは、その先にある体験。みたいなもので、
例えば山で見る景色。
写真を撮る楽しさ。
文章を書く喜び。

これらが合わさっていって、
人生が少しずつ豊かになっていくような感覚。

お金は、その時間を手に入れるための道具だったような気もします。

だから私は、道具も、お金も、似たよなものだと思っています。価値があるのは、それ自体ではありません。

自分にとって本当に豊かな時間を生み出せるかどうかという事を考えるとき、人は成長していると思います。

UL(ウルトラライト)は、「軽さ」を追い求める文化ではないと私は思います。
軽くすることで、もっと自由に歩ける。
荷物を減らすことで、山頂でゆっくりコーヒーを飲める。

体力を残すことで、景色を楽しめる。
そんなわけですからつまり、
軽さは目的ではありません。

豊かな時間を生み出すための手段なのです。

きっと人生も同じです。

便利さを増やすことが幸せなのではない。
モノを増やすことが豊かなのでもない。
本当に必要なものを見極め、それ以外を手放していく。

そうすることで、自分が本当に大切にしたい時間が増えていく。

文化が成熟すると、本質へ帰っていく。そして人生もまた、本質へ帰っていくものなのかもしれません。

だから私は、これからも「必要十分」を探し続けたいと思います。

道具も、お金も、人生も。

すべては、自分にとって
本当に豊かな時間を増やすためにあるのですから。

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