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今日のところは、これでいい

夜になると、ふとそこにある虚しさのようなものに気づくことがある。

足りないわけじゃない。
でも、十分ではない。

仕事も、家庭も、大きく崩れているわけでない。
周囲から心配されることもない。
むしろ「ちゃんとしている」と言われることのほうが多い。

それなのに、なぜか満ちきらない。

もしかすると、私はまだ自分を認めきれていないのかもしれない。
だから誰かに認めてもらうことで、安心しようとしているのか。
それとも、認めてもらっても、それを受け取る準備ができていないのか。

いずれにしても、「ちゃんとしている私」は
どこかでずっと、不安定だ。

本当は知っている。
私は全然ちゃんとなんてしていない。

たとえばクローゼットの引き出し。
明らかに容量オーバーの洋服たちが、苦しそうにぎゅうぎゅう詰め込まれている。
冷蔵庫の中には、使うタイミングを逃して、干からびかけているキャベツがある。

気づいていない訳ではない。
見て見ぬふりをしているのだ。
毎日「ちゃんとしている風」に生きていくには、
苦しそうな引き出しより、
干からびたキャベツより、
回していかなければならない生活が優先される。
「ちゃんとしている風」の生活は、いつだって綱渡りだ。

それが悪いことだとは思わない。
引き出しの中も冷蔵庫の中も、
いつもピカピカに整理されている生活に憧れはするけど、
私には向かないと知っている。

上っ面だけはなんとか整えて、
「ちゃんとしていない」を「ちゃんとしている風」で包み込んで。

そうか、と夜の台所で思う。

「ちゃんとしている風」の中身が空っぽな感じがするから虚しいのか。
本当は生活を、現実を生き延びていくための
「ちゃんとしていない私」の工夫や頑張りがそこにある。

完璧じゃないけれど、そこそこ回している。

昨日は、一枚だけ残った春巻きの皮を細長く切って、
冷蔵庫のそら豆を一粒ずつ巻いて揚げてみた。
少し不格好だけど、可愛くて、ちゃんと美味しかった。
こういう辻褄合わせは、わりと得意だ。

引き出しは苦しそうだし、
キャベツは明日こそ使おうと思っているけれど、
今日のところは、これでいい。

私はそこそこ、頑張っている。

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