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面白い文章を書く方法

あなたは人の不幸をどれくらい悲しみますか?

100%悲しむ人はいないと思います。

100%じゃないとすると、どれくらいですか?

80%? 60%ぐらい?

ひょっとして40%ぐらい?

わたしの場合は10%ぐらいでしょうか。

もちろん何が起きたかにもよりますが、

悲しむふりをして心の奥底で面白がっている自分がいます。

“人の不幸は蜜の味”

まさにこの言葉通りだと思っていました。

そんなゲスな自分がイヤでした。

でもそれは人間である以上、仕方がないことだったのです。

そしてあることに気づきました。

“面白い”文章には、“人の不幸は蜜の味”が大量に含まれている、と。

あなたが、もし“人の不幸”を面白がる自分に嫌悪していたら、

ぜひこの記事を最後までお読み下さい。

「なんだ、普通のことだったのか」と、納得するはずです。

記事の最後には、わたしに起きた不幸もご紹介します。

どのように不幸を文章に組み込めば読み物になるのか。

そのカラクリも解説します。

この記事を最後まで読めば、

あなたは肌感覚で“面白い文章”のからくりを知るでしょう。

そのからくりを意識して文章が書けるようになれば、自然と面白い文章が書けるようになります。

では参りましょう。


“人の不幸は蜜の味”

理由は人類の進歩の歴史にあった


なぜ、わたしたちは人の不幸にワクワクしてしまうのか?

その理由は人類の進歩の歴史と関係しています。

10万年くらい前、人類が集団社会を作り出したころ。

食べ物、パートナー、安全に子育てできる場所、それらのリソースは限られていました。

だから手に入れるには

ライバルを蹴落とす必要があったのです。

そのため、だれかの不幸は自分が生き延びる

チャンスが広がるビッグボーナスだったのです。

リアル弱肉強食の時代。

この頃は、隠すことなく人の不幸を喜んでいたことでしょう。


5万年くらい前になると、人類は会話でコミュニケーションをはじめます。


「となりの村が山賊に襲われて全滅した」

「川にサケが沢山来ているから急いで獲りに行け」

「もうすぐ海が荒れるから近づくな」


生存にかかわる大事な情報はすべて伝言。

現在のような映像メディアが発達したのはわずか70~80年です。

それ以前は、会話、文字、絵だけが情報伝達手段でした。

だからウワサ話を聞くことは、

生存の可能性が上がる重要なことでした。

人類は“ウワサ話”を頼りに生き延びてきたのです。

“ウワサ話”がメディアの中心でした。

大事な情報はだれかの犠牲のもとに生まれています。

つまりだれかの不幸が教訓のベースにあったのです。


もうおわかりですね?

人の不幸でワクワクしてしまうのは、

人の不幸を知ることで

「やった! また生き延びられる」

と無意識に感じてしまうからなのです。

“人の不幸は蜜の味”

それは人間の生存本能。

だから“人の不幸は蜜の味”というネガティブな言い方より、

“人の不幸は蜜の教え”

こんな感じで感謝の気持ちが入っていれば、

後ろめたさも軽減されたかもしれません。


どうでしょう?

“人の不幸は蜜の味”

生きのびるための機能だったのですね。

それじゃ仕方ないですよね。

脳科学的にも他人の不幸で、脳の報酬系が活性化して幸せを感じるそうです。

つまり人として大事なのは、

脳の報酬系を活性化させてしまったら

いかに上手に隠すか。
それににかかってくるようです。


では次に“人の不幸は蜜の味”が

文章でどう利用されているのか説明します。


名作には必ず“人の不幸は蜜の味”がある


シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は悲劇の代名詞です。
悲劇と言うととてもハードルが高く感じます。そこで悲劇と考えずに“不幸のメガ盛り”だと思ってください。

どうですか?

不幸のメガ盛りと聞いて、早くも脳の報酬系が活性化しちゃった人もいるんじゃありませんか?

「ロミオとジュリエット」の物語を不幸で語るとこうなります。

一目ぼれした相手の家族と自分の家族が、メチャクチャ仲が悪かったという親ガチャ不幸。

好きな人が死んでしまったとカン違いするうっかりな不幸。

そして後を追って自らも命を絶つ若げの至り不幸。

もう残念な不幸だらけで報酬系が出まくりですね。

この物語が初版から430年経っても世界で愛されているのは、

“人の不幸は蜜の味”
がうまく組み合わされているからです。

「ロミオとジュリエット」に限らず、小説、アニメ、童話も物語は主人公の不幸からはじまります。

例をあげればきりがないのですが、

大好きな妹が鬼になってしまった兄の不幸。

江戸城で刀を振り回すバカ殿に仕えた武士の不幸。

スーパーヒーローは地球滅亡の危機という巨大な不幸を抱えています。

地球を守らなきゃいけない責任って、さぞ胃が痛むことでしょう。

そして世界でぶっちぎりのベストセラー本「聖書」。

この本にも不幸話がわんこそばのように次々と出てきます。

「聖書」は、それらの不幸を物語形式で、

不幸に直面した時の対処方法を説いています。

「聖書」が面白いかどうかの議論は横に置き、

世界で一番売れ続けている本が大量の不幸で構成されていることにご注目ください。

そうです。不幸は需要があるのです。

どれほど世界に不幸があふれていても

供給不足にはならないのです。

みんな不幸に飢えているのです。

あなたが好きな物語には、どんな不幸が隠されていますか?

その物語の作者はどんな風に不幸を調理していますか?

“不幸”と“その調理法”を意識してコンテンツを見ると、

単なる不幸がどのように作品に昇華するか見えるはずです。

その調理法でご自身の知る不幸話を料理すれば、面白い文章を一本でっち上げることができます。

実際にどのように不幸を文章に組み込むのか

わたしの不幸を例にお見せします。

わたしに起きた不幸

――2018年の秋。

「ちょっとイヤな話をしなければなりません」

はげ散らかした巨漢のドクターが事務的にそう切り出した。

覚悟はできていた。

総合病院の間仕切りで仕切られただけの診察室。

家族三人で説明を聞きにきた。

わたしのとなりには妻。

妻は生後3ヶ月の息子を腕に抱いている。

息子は妻の腕の中で気持ちよさそうに寝息をたてていた。

当時、わたしは51歳、妻は29歳、息子は生後3ヶ月。

息子は、わたしにとってはじめての子だった。

子育てなど無縁なお気楽人生を選んできたくせに、わが子の誕生はうれしくて仕方がなかった。

人生ではじめて宝物を持った気分だった。

「ちょっとイヤな話をしなければなりません」

ドクターはCT画像を見せながら説明をはじめた。

わたしの左肺には6センチに成長したガンがあるらしい。

6センチというのはかなり大きいらしく、

そこまで育つには10年くらいかかるそうだ。

『10年ものか……。毎年の人間ドック意味なかったじゃん』

そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。

「10年くらい前にストレスがかかる事がありませんでしたか?」

すぐにピンときた。

10年前、わたしは前妻と離婚でゴタゴタしていた。

すごく酒量が増え、生活が乱れていた時期だった。

自業自得系のストレス。

あの時のツケか……。

でも、横にいる妻の手前、心当たりがないと答えた。

正直に話したところでガンは小さくならない。

イヤな話ってこの程度のことかと思った。

ガンの疑いが持たれてから心の準備はできていた。

それにこの1ヶ月間に繰り返された検査。

さすがに疑いレベルでここまでしない。

わたしは先祖代々ガン家系だと親から聞かされて育った。父も前年に肺ガンで亡くなっていた。

だからGoogle検索をしてガンについての予習もバッチリすませていた。

ショックへのガードは完璧だった。

それだけに、とにかく早く具体的な治療方法が聞きたかった。

どんな風に手術をしてガンを取るのか。

手術後、どれくらいで退院できるのか。

ところがドクターは別のCT映像を出して説明を続けた。

そして最後にこう言った。

「……だから手術をするのは現実的ではありません」

は? どういうこと?

途中からなんの話をしているのかわからなくなっていた。

ただ混乱した。

完璧だったはずのショックへのガードは

軽くふき飛ばされていた。

ドクターの話を要約すると、

ガンはすでに右肺、リンパ、骨、筋肉に転移していて手術で取り切ることは不可能な状態。

わたしのガンはステージ4だった。

リアルにイヤな話だった。

絶対に取り乱すまい……そして絶対にガンに負けない。
病院からの帰り、車を運転しながらそんなことばかり考えていた。

なにがいけなかった?

もっと早く病院に来ていれば、こんなにあちこちに転移しなかったのでは?

取り乱すまいと念じていても、

動揺はあきらかで、家の近所で曲がる場所を間違え、一方通行の道を逆走したり電柱で車をこすったりした。

そんな時、妻がぽつりと言った言葉で冷静になれた。

「……元気なうちに遺影、撮らなきゃね」

妻は看護師なのでやたらドライだ。
さんざんやせ細って亡くなっていく患者を見てきたのだろう。
それにしても、すがすがしいほど諦めがいい。

……自分の遺影か。

考えたこともなかった。

でもガンで死ぬ気などない。
わたしも運命を受け入れ。
今後、どうするかに集中しなければ。
とりあえず無事に家に帰るために運転に集中した。

妻がわたしの生存を諦めるのも無理もなかった。
その頃のわたしの体調は最悪だった。
ひとこと話そうとするとセキこみ、つねに熱で身体がダルい。
そんな状態が3ヶ月以上続いていた。
ガンを発見するきっかけも長引くセキをどうにかしたくて、しぶしぶ近所の耳鼻科に行ったからだった。
ずっとしつこい夏風邪だと思っていた。

耳鼻科の先生はいろいろなセキ止めやぜんそく薬を試したが、どれもまったく効かず、肺炎の可能性を考えてレントゲンを撮った。

そして大きな黒い影が見つかった。
この黒い影が長引くセキの原因だった。
たぶんガン。
セキ止めが効くはずがなかった。
すぐに総合病院を紹介され、何日もかけて検査した。
そしてはげ散らかした巨漢のドクターからイヤな話を聞くことになる。

その後、わたしの肺ガンの治療は、外科から内科に移って行われることになった。

当時のわたしは内科での治療とは、患者が亡くなるまでの敗戦処理のようなものだと思っていた。

内科では、外科でやったのと同じような検査が再び繰り返され、なかなか治療がはじまらなかった。
とにかくセキだけでも早く止めてほしかった。シナリオの打ち合わせの席でも発言するたびにセキこみ、打ち合わせがぜんぜん進行しない。

最初の頃は、まわりの迷惑を考えて、必死にセキを抑えようとしたが、その抵抗は、かえってセキの発作を長引かせるだけだと気づき、もう遠慮することなく力いっぱいセキをした。冷たい視線など気にする余裕もなくなっていた。

もっと最悪なのが眠れないことだった。

ベッドに横になるとセキが止まらなくなって、

朝までまったく眠れない。

セキこみ、微熱、睡眠不足のトリプルコンボで体力がどんどん削られ、いつもグッタリとしていた。

どこに行っても、まずイスを探す人になっていた。

精神的にも追い詰められ、かなりピリピリしていた。

原稿の締め切り前など、息子の泣き声がうるさいと、妻と息子を家から追い出し、真冬の夜の公園ですごさせたことが何度かあるらしい。

最近になって妻からその時の恨み言を聞かされ、びっくりした。

その記憶がまったくない。

そんなひどいことをオレがするはずがないという思いがあって、いまだにちゃんと謝れていない。

離婚されなくて本当によかった。

ただこの頃は本当に大変だった。

肺がんによる体力の消耗、はじめての子育て、

認知症になった母を施設に入れるかどうか悩んでいたのもこの頃だった。

そんな精神状態の中で数日に一回訪れる締め切り。

完全にわたしの処理能力を超えていた。

悪い意味での限界突破。

たぶん別のわたしが召喚されて、やるべき作業をこなしていたのだと思う。

そう思えるほど、当時の細かい記憶が抜け落ちている。

覚えていることは、

とにかく死ぬのが怖かった。

どうしてこのタイミング?

神さまなんか信じたことがないのに何度も恨んだ。

いつ死刑は執行されるのだろう?

息子の成長はいつまで見届けることができるのだろうか?

とにかく一日でも長く生きて、一円でも多く妻と息子に残したい。

そんなことばかり考えていた。


2週間後、待望の内科での治療がはじまった。

期待していなかったが、
最初の抗がん剤は原発の肺がんには効いた。

おかげでセキは止まった。

すごい効き目だった。

薬を飲み出して二日くらいでセキが楽になり、

一週間後には完全にセキがおさまった。

肺の大きな黒い影も検査のたびに小さくなり、

わたしに希望をくれた。

内科は敗戦処理などではなかった。

ところが半年後にまた地獄にたたき落とされることになる。

最初の薬は原発ガンには効いたが、

転移したガンには効いていなかった。

ガンは転移すると変異してタイプが変わることをはじめて知った。

最初の薬は中止になった。

2番目の抗がん剤はひどかった。

全身の毛が抜けて、常に二日酔いのような気持ち悪さがあった。

しんどいのでベッドで横になる時間が増え、やせ衰えた。

わたしの顔はドキュメンタリー番組で見る末期のガン患者そのものになった。

そんな大変な思いをしたにもかかわらず、

その抗がん剤は、まったく効かなかった。

それどころか、別の転移が見つかり中止になった。
足をひっぱられた気分だった。

妻によると、その頃のわたしは

10秒おきにため息をついていたらしい。

そんな奴がつねに家にいたらさぞイヤだろう。

妻にはまったく頭があがらない。

ただそんなボロボロの状態でありながら、

不思議とまったく諦めていなかった。

10秒おきにため息をついてくせに……。

次の薬が効いてガンが治ると本気で思っていた。

3つ目の抗がん剤、内科のドクターからは、たぶん効かないけど打ってみる?

そんなヤケクソな聞き方をされた。

わたしに選択肢などない。
当然、GOである。

そんな感じで、3番目の抗がん剤の投与がはじまった。

その薬が奇跡的に効いた。

キートルーダというダジャレのような名前の抗がん剤だった。

投与したドクターもわたしのタイプのガンにキートルーダがなぜ効いたのを不思議がっていた。

その薬のおかげでわたしは生きのびることができた。

キートルーダを発明した人には感謝しかない。

治療を最初にはじめてから1年以上経っていた。

この時、わたしが思ったことは、

『最初からこの薬打てばよかったじゃん』

つくづく恩知らずな人間だと我ながら思う。

それでもドクターからはガンは治らない。

今はおとなしくしているだけだと何度も言われた。

きっとそうなんだと思う。

そんな調子で、なんとか6年生き延びた。

今のところガンはおとなしくしている。

息子も6歳になり、来年小学校に入学する。

このままガンにはずっとおとなしくしていてほしい、そう思いながら日々を過ごしている。

面白い文章を書く方法

どうでしたか?
わたしの不幸は楽しんでいただけたでしょうか?
わたしを応援したい気持ちになったのではありませんか?

それはなぜか?

わたしが自分の背負った運命とぶざまに戦う姿を正直に見せることで、ガンとの闘病をあなたが自分事にしたからです。

具体的にはどのようにしたのかをご説明します。

心がけたのは病状の説明を極力少なくして、

逆に、病気に対して、わたしがどのような抵抗をしたか。

そのリアクション部分を多く描くようにしました。

そうすることによって、わたしの不幸があなたにとっても自分事になったのです。

病状を順番に書くだけではカルテと同じです。

その症状が起きた時に、どう感じて、どう対応したのか。

その時、どんな苦しみを味わったのかを具体的に、そして正直に書く。

この時、ウケを狙ってウソの気持ちを書いてはいけません。

その瞬間、読者の気持ちが離れてしまいます。

自分事として気持ちが入っている分、ウソには敏感になっているのです。

もうひとつ記事を書く上で大事なのは、どんな危機がその先にあるかを伝えることです。

危機を伝えないと、人間の脳は生きる上で必要ないと判断して聞き流します。

これを読んでおかないとヤバい。

そう感じないと、人は話を聞いてくれません。

もうひとつ。

人は“人生に役立つかどうか”で読むかどうかを決めます。

これがないと、読んでいても内容が頭に入ってきません。

“人の不幸は蜜の味”には

この両方があるのです。

これからコンテンツに触れる時、まずどんな不幸が隠されているか探してください。

大抵、一番目立つところにあるはずです。

最近のテレビは不幸の扱いが露骨ですごく下手です。

必死に危機をあおり、不幸ばかりを強調します。

いわゆる感動ポルノです。

そうならないようにしてください。

不幸が上手に隠せていると悲劇と呼ばれて崇められるのです。

古今東西、老若何女、人は不幸に飢えています。

人は不幸を目の前にするとワクワクしてしまう。

その習性は先にも述べた通り本能なので、

変わることはありません。

まとめ

面白い文章を書く方法は、

まず不幸を見つけてください。

そして、その不幸と戦わなかったら、

どんな悲惨な運命が待っているのか。

その不幸な目にあった人が、その不幸な運命とどのように戦ったのか。

戦っている時に、どんな気持ちで、どんなことを思ったのか。

これを正直に書いてください。

そして、戦った結果、どんな結末になったのか。

そこでなにを感じたのか。

これを書くだけです。

わたしの場合、たまたまガンというわかりやすい不幸でしたが、だれでも生きていれば大小の不幸を経験します。

ぜひ自分の辛かった思いをコンテンツとして利用してください。

それが不幸に苦しんだ過去の自分への供養にもなります。

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スケザストーリー 恐縮です!