noteを使い始めるにあたってのおぼえがき
これからnoteを使っていこうかなあと思いつつ、ふと「件の問題はその後どうなったんだろう」と気になって調べている。
もう6年も前のことになるのか。
まずは、2020年12月15日に公開された加藤貞顕社長の謝罪文から。
一連のcakesの問題について、加藤社長は問題のひとつとして
「既存のメディアのような厳格なチェック機構がなかったこと」
を挙げている。このことから、少なくとも当時のcakesが抱えていた問題を「記事を十分にチェックできなかったこと」という編集体制の問題として捉えていたことがわかる。
一方で、cakesの編集方針について「やってはいけないことを、ひとつだけ決めた」「それは『悪口禁止』」「前向きでおもしろいものだけを載せよう」
とも書いている。
──加藤貞顕「cakes一連の件についてのお詫び。
この部分を読んだ時、正直「否定的な表現を「悪口」として排除するだけでは差別的な言説や既存の偏見を捉えることはできないのではないか」と感じた。
むしろ、悪意のない言葉や「面白さ」のなかにこそ、社会的な偏見や権力関係が入り込んでいることもある。「悪口を言っていないから問題ない」とは限らない。
そして、後述するcakesの一連の「炎上」を見ていくと、まさにこうした編集部の思想では捉えきれなかった問題が浮かび上がってくるように思う。
2020年10月から11月にかけて、cakesでは立て続けに「炎上」が起きている。
ひとつは幡野広志氏の人生相談・DV被害者への相談対応をめぐる問題。
もうひとつは、ライターユニット「ばぃちぃ夫妻」によるホームレス取材記事である。
前者は、夫からのDVやモラルハラスメントを訴える20代女性からの相談に対して、「大袈裟」「ウソ」と断定した上で回答したこと。その後「DV被害を告白した人を嘘つきと断定することは二次被害である」と抗議する声があがったり、「#DVや性被害を嘘だというのはやめてください」というハッシュタグ投稿されたりした。
後者については、社会的に弱い立場に置かれているホームレスの人々を、その背景にある貧困や社会構造から切り離し、エンターテインメントや消費の対象として扱っているのではないか、という批判が起きた。
これらの件について、cakes側の担当者は、「認識不足や相談者への配慮不足」によって問題が起きてしまったと説明している。
また同時期に、作家・あさのますみ氏による「友人の死」を題材にしたエッセイについて、編集部から「センシティブな内容を扱っている」ことを理由に、連載の中止(取りやめ)を告げられている。
こちらは、上記二件の「炎上」を受けて、編集部がセンシティブなテーマの扱いに対して慎重になったことが背景にあると考えられる。
つまり、編集部が介入しなかったことで問題が起きたケースだけでなく、問題を受けた編集部が見当違いな介入をしたことによって、別の問題が生じたケースでもある。
・・・・・・・。
という感じで、当時の自分は、正直 cakes/note はもう終わりじゃ!!!くらいの気持ちになっており、その後どうなったのかを積極的に追うこともなくなっていた。
しかし数年経った今でも、発信プラットフォームとしてのnoteはやっぱり強いなあと思ってしまう。それで、また使いたいなーという気持ちにもなる。なってしまう。
最近のnoteってどうなのか?
そもそもあの問題はその後どうなったのだろうか?
解決。。改善、したのだろうか。
これを機に少し調べてみることにした。
当時から現在までで、一番大きな変化といえば、cakes そのものがなくなったことだった。一方noteは現在もサービスを続けており、当時のcakesとはかなり異なる仕組みへと変化している。
2020年当時に何が問題だったのか、cakesはその後どうなったのか、そして現在のnoteはどのような仕組みで運営されているのかを、順番に追ってみることにする。
当時のcakesには、「自由な創作プラットフォーム」としての理念と、「編集責任を負う有料メディア」としての実態のあいだに、構造的な曖昧さがあった。その曖昧さが、権力関係や当事者性への配慮が不可欠なテーマを扱ったときに、悪い方向に作用したのではないか。
のちに編集部員の増員、チェック体制や掲載までのフローの見直し、特定のテーマについて専門家を入れてチェックする体制など、具体的な改善が行われたとされている。
──Business Insiderの記事「cakes炎上から何を学んだか」
そして現在のnoteは、当時のcakesとはかなり違う。
まず巨大なUGCプラットフォームとして、一定のルールを設け、機械による検知・専門チームによる目視・ユーザーからの通報などを組み合わせてモデレーションする仕組みになっている。
そもそも現在のnoteの規模を考えれば、数人の編集者が一つひとつの記事をチェックするような方法では運営できない。
その意味では、cakesで起きた問題に対して、noteはかなり制度的な解決を進めてきたと言えると思う。利用規約やコミュニティガイドラインを見ると、現在は「属性を理由とする差別・ヘイト」や「差別につながる表現」なども明確に制限されている。
ただ、ここでまた少し考えたいことがある。
2020年当時に問題になったことのなかには、「既存の偏見や権力関係を再生産する表現を、メディアはどう考えるのか」という問題があったのではないか。
これは、「差別的な表現は禁止します」というルールだけでは、必ずしも捉えきれない。
たとえば、明確な誹謗中傷ではない。ある特定の属性を直接攻撃しているわけでもない。
それでも、ある人々を「特殊な存在」として扱ったり、社会にすでに存在する偏見を無自覚に強化したりする表現はありうる。
そうした「何が当事者を毀損するのか」「どんな表象が、既存の権力関係を再生産してしまうのか」という問いについては、現在のnoteのガイドラインではそこまで踏み込んで規定・議論されているわけではないように見える。
もちろん、これは「だからnoteは依然としてだめです」という話ではない。制度の整備を進めていることはわかったし、2020年当時からは明らかに変化している。
とはいえ無条件に信頼するつもりもない。
これからは実際の運営がどう行われているのかを見ながら、自分自身も考え続けていくつもり。
完璧な自己が存在しないように、完璧なプラットフォームもない。
だから、信じるか信じないかの二択ではなく、その場所とどう付き合っていくかを考え続けることにしたい。
