「あの頃の私は、ただ正しい母親になりたかった」
「怒ってばかりいた母親でした。」
その言葉を、やっと認められるようになったのは
ずいぶん後のことでした。
「ちゃんと話は聞いてるつもり」
「わかってあげようとしているつもり」
……そう思っていたけれど、
変わっていく子どもの心に、不安とさみしさがつのっていきました。
「こんなはずじゃなかった」
「どうして、わかってくれないの?」
その言葉の奥にあったのは、
私自身の戸惑いと、どうしようもない孤独でした。
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今思えば、
「うるさい」「うざい」と言われたとき、
本当に泣きたかったのは、私のほうでした。
子どもはきっと、家でも外でも、息が詰まっていたのかもしれない。
無理して友達と過ごし、家ではいつも怒ってばかりの母親がいる。
私の中には、
「こう育ってほしい」という理想と
その通りにならない現実に傷つく自分がいました。
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怒ったあとは、いつも後悔していました。
「また言いすぎたかもしれない」
「私なんて、いなくなればいい……」
ふと、そんなことを思ってしまう夜もありました。
眠れないまま朝を迎える日も、何度もありました。
子どもに伝えたかった想いは、いつも山ほどあったのに。
それが届かず、むしろ遠ざけてしまう——
そんな現実が、私の心をますます苦しくさせました。
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でも、いまならわかります。
あの頃、苦しかったのは私だけじゃなかった。
子どももまた、心の居場所を探していた。
きっと、あの小さな胸の中で、ずっともがいていた。
反発してきたのは、遠ざかりたいからではなくて
「つながっていたい」という必死な叫びだったのかもしれない。
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あのときの私は、精いっぱいでした。
あのときの子どもも、きっと必死でした。
すぐにわかり合えなくても、
心はちゃんと、そこにあった。
今なら、あの頃の私にも、あの頃の子どもにも
こう伝えられます。
「大丈夫、あなたは、よく頑張ってたよ」
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「正しい母親」になろうとして、
必死だったあの頃の私へ。
そして、同じように悩み、苦しんでいる今のあなたへ。
「あなたは、ちゃんと生きてる。
それだけで、もう十分、立派です」
