文章に宿る多次元
AIの文章には、温度、湿度、肌理が存在しない
AIの文章は、記憶に残りにくい、つまりひとの意識深いところに浸透しにくいのは、個性がないからだろう
個別性がない
この世に二つとない固有の「らしさ」、そのエネルギーが宿っていない。
当然、エネルギー同士の相性というものもない 笑
人が書いたものは、一字一句、同じ文言を書いても、まったく同じものにはならない
すべて、二つとない固有のエネルギーが宿り、そのエネルギーが心や感情を動かすのである
つまり、そこにはエネルギーの影響が発生しているのである
ひととの交流で、癒された、元気が出た、エネルギーをもらった
また、その逆にエネルギーを吸い取られた、とか毒気にあてられた、笑ということは誰もが経験している
それと同様のことが、文章を読むことでも起こっている。
同じように、固有のエネルギーが宿っているのだから。
“付き合う人は選ぶ”、ということは子どもの頃から、誰もが身をもって学んでいく
文章に比べて、音楽や絵画のエネルギー的な影響はわかりやすい
ダイレクトに空間が変化するから
である
だから、特に音楽は、記憶にその時、その時代の空気感が伴う
インパクトが強い
影響の大きさがわかりやすいから、能動的に選択する
だから、誰もが、自然と相性のいいジャンルに落ち着く
だが、文章、とくにSNSはそれほど深く考えずに、気楽に接する傾向があると感じる
なんとなく、受動的にその文章に宿るエネルギーを取り入れているのである
選りすぐる、ということはあんまりない
だが、実は
文章に宿るエネルギーは、相当に読み手の心身の健康に関与しているのかもしれない
その表現者のエネルギーの流れを追うだけではない
その表現者の固有のエネルギーフィールド、そこからの影響まで無意識に受ける気がするからである
たとえ、感じ取ることはできなくても、なんらかの影響が存在していたことは、完全に離れてから、理解できるのである
文章から受ける影響は、多層的だと感じる
表現者自身も無自覚な、別次元が折りたたまれているような、そんな印象を受けるのである。
血のエネルギー、本質のエネルギー、生育歴のエネルギー、場のエネルギー
いくつものエネルギーが多層的に存在しているように、感じる
“文は人なり“
フランスの博物学者ビュフォンのこのフレーズは、ものすごく奥深いとおもう
なぜなら、“性格が運命を創る” “性格こそが最大のカルマである”という言葉を思い出すからである
それは
