“飛ぶ”文章 Ⅱ
一文一文は理解できても、読み終えた時に、何が書いてあったのかが
まったくわからなくなってしまう文章がある
その文章の内容、時間の記憶がすべて「飛ぶ」という表現が一番近い
幼少期からの、この不可解な現象に対する見解は、
上記の記事と基本的には変わらないが、最近新たに気がついたことがある
そのタイプの文章に触れる時、胸の違和感、
つまり、軽い衝撃やわずかな痛みを伴っていることが多いのだが、
その時、自分の“呼吸が止まっている”、ということに気がついた 笑
物理的に呼吸が止まるから、胸が苦しかったのだ 笑
なんで今まで気がつかなかったのだろうか?
呼吸が止まるから、流れが途切れる
呼吸が流れないから、思考が流れない
何度も何度も、途切れるから、何が書いてあったのかがわからなくなってしまうのだろうか?
脳に酸素がいっていないのかもしれない 笑
呼吸は普段はまったく意識しない、
異変があったとき、はじめて意識に上るが、日常の小さな異変は気にとめない
もともと普段から
何かに集中していて、ふと我に返った時、「あれ?わたし、いま息してた?
呼吸ってどうやるんだっけ?」となる。。笑
ただ、そんな時には、特に胸の違和感は感じない
もちろん、現実に呼吸が止まっていたら苦しいはずだから、実際にはしているに決まっているのだが 笑
検索すると、同じようなひとが結構いるので、珍しいことではないようだ。。
呼吸は、生命活動の要である
軽くても、衝撃を感じるほど、強く呼吸が止まってしまう時には、
考えるより先に、身体が、“受け入れること”を文字通り全身全霊で拒絶しているのだろう
その書き手の精神構造、そのメカニズム、エネルギーを拒否っている
つまり、防衛本能が、オートマティックに発動している状態、だといえる
感覚的には、その呼吸が止まる現象よりも、
