ウヒョ助さんに「真面目すぎ」と言われたのでいけすかない生い立ちnoteを書いてみる
どうも、東大医学部卒麻雀プロの杉村健太です。
先日、ウヒョ助さんに「君のnote、ちょっと真面目すぎない?」とありがたい(?)ご指摘をいただきました。
おお、15歳プロについて、Note書いたのか。
— ウヒョ助/塚脇永久 (@uhyoneko) August 27, 2025
うん。驚くほど普通。誰でも書ける内容。
わしらが読みたいのは、そしてきみが読ませたいのは
「東大医学部を卒業できちゃった僕の、同じく15歳の頃の話」だろうが。
まだまだ若いのう。お利口じゃのう。 https://t.co/AId4JYFPIH
なるほど、たしかに自分はどこか真面目に語ってしまう癖があります。
でも正直、どうしても育ちの良さと頭脳エリート感がにじみ出てしまうんですよね。
隠そうとしても漏れ出てしまう。じゃあいっそのこと、もう全面に出していこうじゃないか!
というわけで今回は、15歳の同期柴田凛太郎プロの話ではなく、「自分がどんな15歳だったのか」「どうやって東大医学部に入り、そこから麻雀プロになるに至ったか」を書いてみます。完全に自分語りです。
13歳、天才に目覚める
さかのぼること13歳。
都内のお受験エリートたちと違い、私は塾もお稽古も一切なし。田舎の原っぱで走り回るただの悪ガキでした。
それが人生初めての中学校の定期試験で、なぜかいきなり学年3位。
…天才か?
その後も学内試験で1位を量産し、高校に入る頃には全国模試で数学偏差値130(そんな数値あるんだ…)を叩き出す。
この瞬間、悟ってしまったのです。
「あ、これは天才だ」と。
東大理三に一直線
調べてみると、東京に「東大」という天才が集まる大学があるらしい。
中でも一番偏差値が高いのは理三(医学部)。
よし、そこに行くとしよう。ハチ公というのも見てみたいしな。
その後は順調に東大模試で一桁順位を取るなどし、無難に現役合格。
医学部進学後は、インカレテニサーを4つ、陸上部、バンドサークルを掛け持ちし、青春を謳歌しました。
もちろん麻雀もしましたが、当時は「運ゲーでしょ」と高を括って、友達とのセット程度。
医師としての道、そしてコロナ禍
卒業後は医師として順風満帆なキャリアを歩んでいました。
しかしある日…コロナ禍が到来。
これは、さすがの天才でも乗り切るのが困難。
病院を辞め、将来に備えて投資で財を築く決断をしました。
結果、幸運にもそれはうまくいき、しばし投資家としてゴロゴロ。
そんなある日、テレビから流れてきたのは「Mリーグ」。
「麻雀?運ゲーじゃないの?」
「雀魂?ちょっとやってみるか」
…面白すぎる。
奥が深すぎる。
初めての挫折
天才なので、当然すぐに勝ちまくり。
東風戦だけで聖2に到達。
「魂天もすぐだな!」と余裕をかましていました。
…ところが勝てなくなった。
ろくに塾にも行かず東大医学部に受かった私が、人生で初めての「学力でどうにもならない壁」にぶつかった瞬間でした。
これが本当の挫折。
再び勉強モードへ
「よし、わかった。勉強してやろうじゃないか」
この俺に勉強させるなんて、麻雀というゲーム、たいしたもんじゃないか。
実際に研究を始めてみたら、これがまた楽しい。
気づけば東南戦で平均着順2.26、聖3まで到達。
「もっと奥まで知りたい。プロになったら、さらに深淵を覗けるのでは?」
そう思った私は、団体選びへ。
サクラナイツの堀プロ・渋川プロコンビのかけあいが好き、矢島プロの解説も大好き。
というわけで、協会を選びました。
こうして東大医学部卒麻雀プロ誕生
こうして
東大医学部卒麻雀プロ、誕生。
なんとも胡散臭くていけすかない経歴ですが、事実だから仕方ない。
最後に
すみません、調子に乗って書きました。
普段は礼儀正しい(と信じたい)好青年なので、安心してください。
普段はこんな感じ…
このnoteに関するお褒めの言葉は僕に、クレームはすべてウヒョ助さんにお願いします(笑)
それではまた次のnoteでお会いしましょう!
次は多分「間読み」についてです。
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