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おふろのはなし。

「お風呂を改装したい」と母が言った。確かに築五十年の実家の水回りは限界に近い。しかし母はひとり暮らしの八十歳、今さら改装なんて……お風呂かぁ…お風呂ねぇ…


憧れるのをやめましょう

やると決めたらやる母である。シャワー付きユニットバスへの夢と憧れを形にするべく、近所の大工さんに見積りを依頼し動き出していた。年金暮らしのどこにそんなお金があるのかと言うと、大丈夫だと豪語した。

とはいえ放っておくわけにもいかず、私は改装祝いをポーンとはずんでみせた。ユニットバス一式プレゼントだ。ヨッ!太っ腹!

それを見たうちの娘は、
「ママカッコいい! 私も”ポーン”と出せる人になりたい」
と言う。娘よ、憧れるのをやめましょう。日々励み、いつか”ポーン”とはずみたまえ出したまえ。

私の”ポーン”の理由は他でもない、『お風呂だから』であった。


お風呂いただきます

幼少期、家にお風呂はあったものの、斜向かいに住んでいた明治生まれの祖母が「毎日風呂を沸かすのはもったいないから入りに来い」と言い、母と私と妹の三人で毎晩お風呂に入りに行っていた。

祖母の家のお風呂は薪を焚いて湯を沸かしていた。入る前には「いただきます」出た後は「ごちそうさまでした」というのだと教えられた。なんだかご飯みたい。

帰る際には祖母に「おやすみなさい」と三つ指をついて楚々と挨拶をし、星空を見上げながら家まで歩いた。湯上り散歩は気持ちがいい。夏には外灯の下にいるクワガタをつかまえては「カブトムシはいないねぇ」と言うのがお決まりだったが、虫が大っ嫌いだった私はゾワゾワと鳥肌が立ち一気に湯冷めした。


浴槽いただきます

そんな私たち姉妹も成長するにつけ、祖母の家にお風呂をいただきに行くのが億劫になってきた。家の風呂は木でできた桶のようなものだった。洗い場も半畳ほどしかなくシャワーもない。明らかに手狭で不便なお風呂ライフであり、母も何とかしたいと思っていたに違いない。違いないのだが……

*

ある日、親戚の家が火事で全焼してしまったというショッキングなニュースが飛び込んできた。命は助かったものの、家が燃えて無くなってしまうなんて不幸すぎる。
「火事は怖いね…おばちゃん可哀そう…」
子どもなりに心の底から同情し、何かできることはないだろうかと思い遣った。親戚の皆が衣服や日用品を持ち寄り、励ました。

お見舞いに行った母は、帰って来るなりこう言った。
「お風呂が燃え残っていたから貰うことにした」

えーー!! お母さん、それは、、、

「ちょっと焦げてるけどまだ使えるから大丈夫。」
全焼した家の人によく言えたものだ。お風呂いただきますの意味が違う。
それにまだ使えるなら使うんじゃないの?

「おばちゃんちは新築するから要らないんだって」
もう非道徳なんていう呑気を通り越し、惨めな気持ちになる。うちは火事で全焼したところから物を貰ってくるほどアレなのか…色々ヤバい。

かくして木桶風呂は撤去され、淡い水色の浴槽が設置された。湯船に浸かるとちょうど目線の先に、熱で溶けて焦げ目がついた箇所があった。そのデコボコを指で触りながら風呂に入り続けて私は大人になった。結婚して家を出た後も、里帰り出産の産湯もその風呂だった。その後六十歳でひとり暮らしになった母は、自分のために二十年間、毎日掃除をして湯を沸かしてきた。


お風呂はおもてなし

私はお風呂が好きだ。
お風呂に入らない日は無いし、ホテルやアパートを探す際も、湯船があるか、追い焚きはできるかが最優先事項である。今の家の近くにスーパー銭湯ができた時には小躍りして喜んだ。パラダイスである。

お風呂の重要性を認識している私であるから、足腰に不安を覚えた母が浅くて足の伸ばせる今時のユニットバスを所望したとて贅沢だとは思わない。たまに行く温泉旅行より毎日のうち風呂だ。高齢でこの先あと何年使えるか分からないが、今を生きる、それがお風呂なのである。

*

「泊って行ったら? ビールあるよ」
実家に行く度、母はそう言った。新しいお風呂に入れと言う。明治生まれの祖母もしかり、昔の人の感覚ではお風呂はおもてなしだ。しかし仕事や子育てに忙しかった私はいつもトンボ返りだった。実家の距離は歩いて行ける近所か、または日帰りできない遠距離かのどちらかがよいとつくづく思う。微妙な距離だと長居ができないのだ。

急いで帰る必要もなくなった今では、泊まるほど遠くないのに泊まり、しょっちゅう行くほど近くないのに行く余裕ができた。

実家のお風呂、それはこの上ない贅沢だ。風呂上がりは冷えたビールとふきのとうの天ぷら!なにより帰る場所があるありがたさ。

そうそう、大事なセリフを忘れてはいけない。
「お風呂、お先にいただきます」

#なんのはなしです家


この記事は「なんのはなしです家」の回収に合わせて加筆し再投稿したものです。


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