きっと、100年後も続く、ワクワクと笑顔。
職場での「お茶でも飲んで、ちょっと休憩でもしましょう」というあの時間が嫌いだった。そんな時間あったら仕事しましょうよ。どうせお茶だけじゃないお菓子を持ち寄って、ちょっとではない時間が過ぎてしまうのだ。無駄な時間だ、いらないと思っていた。
私が子供の頃、母は心臓が悪く入院することが多かった。入院前日、家族で喫茶店に入ってお茶やコーヒーを飲む。それだけの時間だが、それは、しばしの間、母とお別れするというサインでもあった。
そんな思い出や、今では子供のお迎えなど時間に追われている私からすれば「お茶の時間」は苦痛でしかなかった。
炭酸が好きな夫は、常に、冷蔵庫に何かしらの炭酸飲料を忍ばせている。そんな夫が「夏と言えば、カルピスだな」と珍しく得意気に炭酸以外の飲み物を手にし、冷蔵庫から取り出した。息子は「何それー、牛乳? にしては薄いねー」と興味津々の様子だ。
「昔は、原液を水で薄めて飲んだなー」などと言いながら、グラスに氷を入れ、乳白色のカルピスを注いだ。息子はそれを恐る恐る一口飲み「えー、なんか酸っぱい!!」「そうか、やはりこれは君には酸っぱく感じるか。じゃあ、これはどうだろうね」夫はそう言って、またもや冷蔵庫から取り出したのはメロンクリームソーダと書かれた、緑色の飲み物の上にアイスがちょこんと乗っているデザインの缶ジュースだった。「これはな、もうな、うまいんだよ。甘くて、うまくて、すごく幸せな飲み物だ」など的を得ない説明をして氷の入ったグラスにそれを注ぐと、まるで万歳をしているかのようにグラスから炭酸の両手がシュワシュワと弾け、グラスの中を覗いている息子の様子が、透き通った緑色の向こうから見えた。「これ、酸っぱくない?」と息子が聞くと「全然、酸っぱくない。これは、ただただ、うまい飲み物だよ」と夫は言った。相変わらずの語彙力である。さっきの酸っぱい事件があるため、息子はかなりの時間飲むのをためらったが「すんごい、いいにおいなんだよなー。美味しいにおい」と言い、自分の嗅覚を信じて遂に一口飲むと「えー! すっごく美味しい!! 何これー、甘いね! 甘さがシュワシュワするー」と喜んだ。夫も満足気な表情である。
夫が「なんか懐かしい味だよな。子供の頃って、パフェの入ってそうな、背の高い足つきグラスの上に、アイスが乗ってるやつを見た気がするな」と言った。私も「確かに、メロンクリームソーダって喫茶店のイメージだよね」と言い、缶に残ったジュースを口に含んだ。
その途端、炭酸が頭をツーンと突き抜け、突然、子供の頃に家族で行った喫茶店のことを思い出した。そうだ、私は喫茶店で必ずメロンクリームソーダを頼んだのだ。なぜ、今まで全く思い出せなかったのだろう。夫の言う通り、足つきのグラスにアイスが浮かんでいて、その横に真っ赤なさくらんぼがちょこんと乗っていた、あれである。そうだ、私はこれが好きだった。
息子が「これ、美味しいよね」と言うので、私は「甘くて、すんごく美味しいね」と答える。息子の笑顔を覗き込むと、ふと母の顔を思い出した。きっと母も、私の喜ぶ顔をこんな風に覗いていた。
私はその日以降、「お茶の時間」を大切にするようになった。
この会話が、この人とする最後の会話になるかもしれない。いや、そこまで大袈裟でもないが、単純にこの時間を愛おしいと感じるようになった。
最近、息子はWelch'sのグレープで「お茶の時間」を楽しんでいる。これをかき氷に入れたらおいしそうとワクワクしながら言う彼の提案通り、次の休日にそれを作ることになった。もう、もはや創作の時間になりそうだが、まぁ、それもいい。我が家の愛おしい「お茶の時間」は、世代を超えて、これからも続いていく。
©2026 mirai_iguchi
#飲み物のある時間
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