分かってもらうことを、諦めた。
1人でも多くの『分かるぅ〜』を目指す、すえながさん。です。
昔の私は、
「この人には分かってほしい。」
と思うことが結構ありました。
自分がなぜそう考えたのか。
なぜそんな行動をしたのか。
何を大切にしているのか。
誤解されたと感じれば説明する。
伝わらなければ、もっと説明する。
それでも伝わらなければ、さらに言葉を足す。
今思えば、かなり「分かってもらうこと」にエネルギーを使っていたと思います。
でも、人間関係を重ねていく中で気付きました。
どれだけ説明しても、分かってくれない人はいます。
こちらが言葉を尽くしても、
「いや、でも。」
「自分はそう思わない。」
となる。
最初は、
「説明の仕方が悪かったのかな。」
と思っていました。
だから言い方を変える。
具体例を出す。
相手の立場に置き換えて話す。
それでも伝わらない。
逆に、不思議なこともあります。
ほとんど説明していないのに、
「言いたいこと分かりますよ。」
と言ってくれる人がいる。
こちらが10まで説明しなくても、
2とか3くらい話したところで、
「あぁ、そういうことですよね。」
と理解してくれる。
この違いって何なんだろう。
最近よく考えます。
たぶん、頭の良さとか説明能力だけの問題ではないんですよね。
これまで経験してきたこと。
大切にしている価値観。
物事を見る角度。
人との向き合い方。
そういうものが近い人とは、自然と話が通じます。
逆に、前提となる価値観が大きく違えば、どれだけ説明しても噛み合わないことがあります。
つまり、
「伝わらない=どちらかが間違っている」ではない。
単純に、見ている景色が違うこともあるんです。
昔の私は、ここで頑張っていました。
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「自分が言いたいのは……。」
と、なんとか理解してもらおうとする。
でも最近は、少し変わりました。
もちろん、仕事など必要な場面では説明します。
誤解があれば解く努力もします。
でも、それでも伝わらないなら、
「この人とは、見えている景色が違うんだな。」
くらいで止めるようになりました。
なぜなら、
全員に分かってもらおうとすると、本当に疲れるからです。
100人いれば、100通りの価値観があります。
自分のことを好きな人もいる。
苦手な人もいる。
考え方が近い人もいれば、まったく違う人もいる。
それなのに、
「全員に自分を理解してもらおう。」
とすること自体、そもそも無理があるのかもしれません。
そして、もう一つ気付いたことがあります。
「分かってほしい」が強くなりすぎると、いつの間にか相手を基準に生き始めます。
どう言えば、この人は納得するだろう。
どう振る舞えば、理解してもらえるだろう。
何を言わなければ、嫌われないだろう。
気付けば、自分の行動を決めているのが「自分」ではなく「相手」になっている。
これは結構しんどい。
だから最近は、
「分かってもらう努力」に使っていた時間を、
「分かってくれる人を大切にする時間」
に変えた方がいいと思うようになりました。
何も説明していないのに気付いてくれる人。
自分の考えを面白がってくれる人。
違う意見でも、否定せずに聞いてくれる人。
困った時に自然と手を差し伸べてくれる人。
そういう人との関係に時間を使う。
その方が、人間関係はずっと楽になりました。
これは、「自分を理解してくれない人を切り捨てよう」という話ではありません。
合わない人とも、普通に接すればいい。
必要なら協力もする。
挨拶もする。
礼儀も大切にする。
ただ、
「この人には絶対に分かってもらいたい。」
という執着を手放す。
それだけです。
人間関係って、不思議です。
追いかければ追いかけるほど、距離が縮まらない人もいる。
逆に、頑張らなくても自然と近くにいる人もいる。
だったら私は、
後者をもっと大切にしたい。
自分を理解してくれない一人に100のエネルギーを使うより、
自分を理解してくれる人たちに、その100を使いたい。
SNSをやっていても同じです。
自分の投稿を見て、
「それは違う。」
と思う人もいるでしょう。
「何が言いたいのか分からない。」
と思う人もいるかもしれません。
それはそれでいいと思っています。
一方で、
『分かるぅ〜。』
と思ってくれる人もいる。
私は、その人に届けばいい。
全員に刺さる言葉を探していたら、たぶん誰にも深く刺さらない。
だからこそ、自分が感じたことを、自分の言葉で書いていきたいと思っています。
人は、全員から理解される必要はありません。
分かってくれない人を説得し続けるより、
分かってくれる人を見落とさないこと。
昔は、
「この人に分かってほしい。」
と思っていました。
今は、
「分かってくれる人を大切にしたい。」
と思っています。
分かってもらうことを諦めたというより、
誰に時間を使うのかを選べるようになった。
その方が近いのかもしれません。
人間関係にも時間にも限りがあります。
だったら、自分の大切な時間は、
自分を理解しようとしてくれる人に使いたい。
最近は、そんなふうに思っています。
