家族との距離は、このくらいでちょうどいい
写真の中の子どもの私は、たいていしかめっ面だ。
笑わない子だね、と言われていた。
どうしてだろう、と言われることもあった。
両親は、私以外のきょうだいを大事に思っているのだと感じていた。
一刻も早く家を出たかった。
5歳の頃、冷たい雨の降る窓の外を眺めながら、早く大人になってここを出たいと思ったのを覚えている。
ずいぶん早熟な野望である。
家は、安心できる場所ではなかった。
だいたい毎日、何かしら言われたり、何かが起きていた。
10歳の頃、ふと、あ、今日は泣いていないな、と思った。
それに気づいたことに、少し驚いた。
それから、だんだん泣かない日も増えて行った。
何かが起きると、普通は「自分が悪いのでは」と思うのかもしれない。
でも私は、不思議と、そうは思っていなかった。
もちろん傷ついてはいたけれど、「全部が自分のせいだ」とは、あまり思っていなかった。
どこかで、「いや、これはちょっと違うのでは?」と思っていた。
生意気な子どもである。
だから、どうしてこんなことが起きるのか、考える余裕があったのだと思う。
この人はどういう時に不機嫌になるのか。
なぜ人に当たるのか。
そんなことを、子どもなりに観察していた。
今思うと、ずいぶん早くから“分析担当”だったらしい。
そんな役割を引き受ける必要もなかったのだけれど。
大人になってから、ひとつ気づいたことがある。
両親は、私たちのことを、思っていたほど気にかけてはいないのかもしれない。
きょうだいの一人がある日、大きな荷物を持って、「じゃあ」と出て行った。
「探さないの」と親に聞いてみた。
「もし何かあったら警察から連絡が来るでしょ」と返ってきた。
もう一人のきょうだいが音信不通になった。
「電話をかけてみたら」と言ってみた。
「そのうち向こうからかかってくるでしょ」と親は言った。
私も数年間連絡を取らずに過ごした。
誰も気にしなかった。
ずいぶん長い答え合わせだった。
気づいてからは、気持ちが楽になった。
親が不機嫌でも、それは私のせいではない。
家族と過ごす時間が苦痛なら、時間を限ればいい。
今は、年老いた両親と、年に数回だけ会うようにしている。
正月に数時間滞在して、たわいもない話をして帰る。
テレビのリモコンが壊れたと困っていたら、そっと電池を入れ替えてあげる。
このくらいの役割なら、わりと得意だ。
人はそれぞれ、いろいろなやり方で折り合いをつけていく。
こんなふうに書けるようになったのだから、
こまっしゃくれていた5歳の私も、少しは報われたのかもしれない。
私のやり方が正解だとは思わないけれど、
こういう距離で、いまはちょうどいい気がしている。
