ボノボは、なぜ性を社会関係に使うのか――繁殖を越える身体接触と愛の表現――
水狼アイシャ(Aisha Suirou、生物学)
シトリン朱音(CITRINE Akane、芸術解剖学・愛の表現)
要旨
ボノボの性行動は、子孫を残すための交尾だけではない。
雌同士の性器接触、緊張が高まった場面での性的接触、争いの後の和解、表情や声を伴うコミュニケーションなど、ボノボは身体を社会関係の調整にも用いている。
では、これは「愛」と呼べるのだろうか。
本稿では、水狼アイシャが生物学の立場から、ボノボの性行動がどのような状況で生じ、どんな機能を持つのかを整理する。
シトリン朱音は芸術解剖学と愛の表現の立場から、身体を重ねることが相手との距離をどう変え、どのような関係表現になり得るのかを考える。
ボノボを「愛と平和の動物」と美化するのでもなく、その行動を繁殖と本能だけへ還元するのでもない。
身体接触によって関係が成立し、調整され、場合によっては修復される構造を見ていく。
執筆分担
* はじめに・結論:水狼アイシャ、シトリン朱音
* ボノボの生態・性行動の機能:水狼アイシャ
* 身体接触・表情・愛の表現:シトリン朱音
* 人間社会および陽浜哲学との比較:共同執筆
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◆◆ボノボは「性行動の多いサル」なのか
執筆:水狼アイシャ
ボノボと聞いて、
性行動が多いサルだよね。
と思い浮かべる人は多いかもしれない。
うん、それ自体が完全な間違いというわけではないよ。
ボノボは、雄と雌の交尾だけでなく、雌同士、雄同士、成体同士、未成熟個体同士など、多様な組み合わせで性的な接触を行う。
でもね。
「性行動が多い」という部分だけを面白がると、ボノボがその行動をいつ、誰と、どんな状況で行っているのかが見えなくなる。
生物学では、行動の形だけでなく、その前後を見る。
何が起きる前だったのか。
接触したあと、二頭の距離はどう変わったのか。
食べ物があったのか。
争いがあったのか。
相手は親しい個体だったのか。
順位はどうだったのか。
そこまで追いかけて、初めて行動の意味が見えてくるんだ。
野生の雌ボノボを調べた研究では、雌同士の性器接触は一つの目的だけでは説明できず、争いの後の和解、緊張の調整、社会的地位など、複数の機能を持つ可能性が示されている。
つまり、ボノボの性行動は「繁殖のための交尾が増えたもの」ではない。
同じ身体行動が、状況に応じて違う働きをする。
そこが面白いんだよ。
◆◆食べ物の前で、なぜ性的接触が増えるのか
執筆:水狼アイシャ
生き物にとって、食べ物は重大な資源だ。
たくさんあって、誰でも自由に食べられるなら争いは起きにくい。
でも量が限られていたり、一頭が独占できたりすると、空気は変わる。
誰が先に食べるのか。
近づいても攻撃されないか。
自分の取り分はあるのか。
群れの中に、緊張が生まれる。
ボノボでは、食物への接近をめぐって競争が予想される場面で、雌同士の性器接触が増えることが観察されている。唾液中のコルチゾールを調べた研究でも、食物へのアクセスが制限される状況では社会的ストレスが高まり、性的接触も増加していた。
ここで大事なのは、
性的接触をすれば、必ず争いが消える。
という意味ではないこと。
ボノボだって怒るし、争うし、順位関係もある。
性的接触は、争いを魔法のように消す平和装置ではない。
でも、これから競争が始まりそうなときに相手へ近づき、身体を接触させる。
その行動によって、
あたしは、きみと完全な敵対状態には入っていないよ。
という関係を確認している可能性はある。
それ、生き物としては自然なんだよ。
群れで生きる動物にとって、食べ物を得ることと、仲間との関係を壊さないことは、どちらも生存に関わる。
食べるために争う。
でも、争いすぎれば群れが壊れる。
ボノボの社会的な性行動は、そのあいだを調整する方法の一つとして発達したのかもしれない。
◆◆「性で仲直りする」は、本当なのか
執筆:水狼アイシャ
ボノボはよく、
争いが起きたら、性行動で仲直りする。
と紹介される。
これは完全な作り話ではない。
争いの後に、当事者同士が性的接触を行う例や、争いを受けた個体へ第三者が接近し、抱擁や接触、マウンティングなどを行う例が観察されている。
ただし、すべての争いが性行動で解決されるわけではない。
毛づくろいをすることもある。
身体へ触れることもある。
抱き合うこともある。
距離を取ることもある。
何もしないことだってある。
性行動は、ボノボが持っている関係修復手段の一つなんだ。
そして、誰に対しても同じように行うわけでもない。
慰めにあたる接触は、血縁個体や普段から親しい個体の間で起こりやすいという結果もある。
だから、ボノボを見て、
相手が誰でも、とりあえず性行動をすれば仲直りできる。
なんて考えるのは違う。
行動の意味は、すでに存在する関係と切り離せない。
相手との距離。
過去のやり取り。
順位。
親しさ。
その場の緊張。
同じ接触でも、関係によって働きは変わるんだよ。
◆◆雌同士の接触は、何を作っているのか
執筆:水狼アイシャ
ボノボの性行動を考えるうえで、とくに注目されてきたのが雌同士の関係だ。
雌のボノボは、腹側を向き合わせ、互いの外性器を接触させてこすり合わせる行動を頻繁に行う。
これは一般に、GGラビングと呼ばれる。
野生集団を対象とした研究では、観察された雌の性的接触の多くを雌同士のGGラビングが占め、その後に二頭が近い距離へとどまりやすくなることや、尿中オキシトシン濃度の上昇との関連が報告されている。また、性的接触の頻度と、争いの際に協力する関係との関連も示された。
ただし、
GGラビングをしたから、友情が生まれた。
と単純に因果関係を決めることはできない。
もともと近くにいる個体同士だから接触しやすい可能性もある。
実際、別の研究では、雌同士のGGラビングの相手選びが、身体的な近接性と強く関係していた。
近いから触れるのか。
触れるから近くなるのか。
たぶん、その両方が繰り返されるんだと思う。
近くにいる。
身体を接触させる。
そのあとも近くにいる。
協力する機会が増える。
また接触する。
関係は、一度の行動で完成するものではない。
小さな接触が積み重なって、維持されていく。
これ、人間の関係だってそうだよね。
◆◆監督、ボノボは性器だけで会話してないよ
執筆:シトリン朱音
ここからは、あたしが身体表現として見てみるね。
監督!
ボノボの性行動って聞くと、どうしても性器の接触ばっかり注目されるじゃん。
でも、実際の身体はそんなに部分的じゃない。
近づく。
相手の前へ身体を出す。
手を伸ばす。
触れる。
抱える。
顔を向ける。
声を出す。
体重を預ける。
性器接触は、その一連の動きの中にある。
ボノボは性的接触を始めるとき、身体の姿勢だけでなく、手招き、接触、手を伸ばす動き、表情、発声などを組み合わせることがある。特定のジェスチャーによって、相手の身体を特定の姿勢へ誘導する例も報告されている。
つまりボノボは、ただ衝動のまま身体をぶつけているわけじゃない。
こっちへ来て。
この姿勢になって。
今、接触しよう。
そういう働きを持つ合図を、全身で出している。
もちろん、人間の言葉みたいな文章を頭の中で作っているとは限らないよ。
でも、相手の反応をまったく無視して成立する行動でもない。
接近する側がいる。
それを受ける側がいる。
応じることも、応じないこともある。
身体表現として見るなら、これは一頭だけでは完成しない。
相手の返答によって成立する動きなんだ。
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