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社会人としての"成長"とは

今日から書き始めました。
よろしくお願いします。

日中はそこそこ暖かいのに、夜は急に肌寒くなりました。
みなさんもお身体にお気を付けください。
ええ、まぁ自分への注意喚起も兼ねてます。


私はソフトウェアエンジニアリングを中心にずっとやってきましたが、当初はただのヘルパーとして、慣れてくると他チームや他社の応援として、最後には現場を立て直すリーサルウェポンとして、長くソフトウェア開発現場の大炎上プロジェクト…通称「トラブル」に関わってきました。

おかげで毎度毎度、心身共にボロボロになります。

まだブラックという言葉がさほど浸透していなかった時代、1ヶ月に2度発作で搬送されるなど、死と隣り合わせの時期もありました。朝起きたら半身がマヒして動けなくなることもありました。貧血も度が過ぎて気を失い、立った状態で頭から床にヘッドバットして流血沙汰になったこともありました。身長が172cmありますが、体重が30kg台後半まで落ちたこともあります。100日くらい連勤するのが当たり前のようになっている現場もありました。

…ホント、なぜこれで鬱にもならず、まだ生きていられるのか自分でも不思議です。今同じことをしたら、確実にコンプライアンス違反ですけども。

しかし、私が参画した時には既に現場の皆さんも疲弊しきっているのを見ると、さすがにこちらも音をあげるわけにはいかず、途中参画したのだし、と彼らより奮起することも多かったかもしれません。見かけによらず、真面目なんです。たぶん。

と言っても、私の仕事はただの作業者ではありません。

だいたい私が途中参画する現場では人海戦術以外に手はなく、そのままでは納期を守ることもできない…と言う状況だったりするので、そもそも仕事の進め方をテーラリングし、ユーザー、ベンダー双方が満足できる形で収める「問題解決者」であることが多かったように思います。

そんな折、たまに見かけ、いつも改善プロセスの中で足枷になっていたように思うものの1つが「エンジニア一人ひとりのキャリアや力量、知識や認識に大きな開きがあって、チームとしてまとめにくい」ケースです。

もう少し現場の「共有」できるスキルや知識のレベル差が少なければ、ここまで大きな問題に発展しなかったのに…と思ったことは多々あります。おそらくは企業や個々人ごとに成長プラン(キャリアプラン?)が異なっている、と言うことなのでしょう。

ですので、初回は「成長」について認識が共有できればと思います。
具体的な話はまたいずれ書くとします。


何のための勉学

学生時代、「何のために」勉強してきたのでしょう。

何のため、そう"目的"です。目的は動機であり、動機がなければ人はなかなか能動的に活動できません。

社会でやっていくための事前学習?
大学卒業までストレートだったとして16年もの間?

しかし、実際には多くの人が、学んだことの半分以上を利用できていないのではないでしょうか。義務教育や大学制度ができた当時の理由や根拠はともかく、現在の幅広い基礎教育の本質的な目的を、私たちの目線で表現すると

 「やりたいことができた時の選択肢を数多く持たせるため」

となるかと思います。

そもそも、子供1人1人が何をやりたいかなんて未来予知できるわけありませんし、何がやりたいかもわからないまま社会人になる人だって珍しくはありません。

しかし、社会人として家庭を出て自分で生活費を稼がなくてはならない年齢層と言うのはおおよそ決まっています。一般的に、いつまでも親のすねをかじっているわけにいかないのも確かです。

さて、では社会人になってからはどうでしょうか。

学生時代に学ぶ教育カリキュラムの大半は、原則として"広く・浅く"です。
それだけに、社会に出た後に待ち受ける様々なことまで詳しく教えてはくれません。「どの業界の」「どの会社の」と言った個別の教育や育成など、もってのほかです。

しかし、大半の社会人(=サラリーマン)は"仕事"を生業とし、その対価として"給与"を受け取ります。仕事は、正しいゴール(目標、結果としての状態)に対するイメージありきでなければ、正しく完遂することができません。特に企業間での契約・取引は、「派遣」でない限り、原則として

 成果(結果) ⇔ 報酬

と言う形式に従います。「どれだけ頑張った」とか「どこまでやったから」などと言った部分点狙いでは、取引先は認めてくれません。学生時代と異なるポイントの1つです。そしてそれらの"仕事"の多くは、学生時代に学んでおくことは難しく、社会人(企業人)となってから学ぶしかないのが一般的です。

新人研修などの Off-JT や、現場作業を通した経験を積む on the job training(OJT) が行われるのはそのためです。学生時代にはまず間違いなく学んでいないであろうことがわかっているために、各企業が企業ごとに投資する形で行っているのです。


成長する目的、成長しなくてはならない理由

企業は、商行為その他の営利行為を業とする目的で設立した社団法人です。

常に企業は先述のゴールイメージを持っていて、その達成のために従業員に"結果"およびその"結果に至るための努力"を求めます。そして、常に提供されるゴールイメージを従業員たちが達成しないでいると、いずれ

 「企業は存続できなくなる」

と言う状況に陥ります。

例外もなくはないのでしょうが、IT業界だけでなく、会社法に則り登記された会社であれば、原則として同じ制約を持っていると考えていいのではないでしょうか。少なくとも、BtoB でIT企業にソフトウェア開発を頼もうとするところであれば、まず間違いないかと思います。

ですから、企業はその性質上、企業の求める営利的な成長を阻害する要因、および従業員を冗長的なコストセンターとみなして非常に嫌うのです。

それらが形になって表れるのはまず『個人への評価』でしょうが、それでも改善される見込みが一切なく、そのまま会社が傾きだすようなことがあったら、真っ先に『リストラ』等の対象となることでしょう。

ゆえに、社会人となった後に学び、成長する目的と言うのは、建前的には

・会社(または上司)の提示するゴールイメージを達成するため
・自身のキャリアを拡充するため

と言ったポジティブな内容になりますが、従業員の目線から表現すると

・不足している力量を向上させないと、自身の立場が危うくなるから

と言うことに他なりません。身も蓋もない話ですが、本音を覆い隠して本質を理解することはできません。後述しますが、要はそういった背景を知れ、知った強みと言うものが出ると言うことです。中には、そういった背景とは全く関係ないところで、常に高い啓発意識を持って、どんどん成長する人もいますが、そういった例外は1割にも満たないと言われています。

実に90%以上の人は、

ネガティブな発想や危機意識に基づいて、
身を守るために学び、成長する

と言うことを知っておいてください。社会人は、基本的に"○○しないために""○○になると困るから"、学び、成長するのです。

これはいわば『原動力』の問題です。

たとえば、「富士山へ登山に行く」と言うプロセスがあったとしましょう。
登山に詳しい人であれば、

 「しっかり装備しなさい」
 「万全を期してからいきなさい」

と言います。その根拠は

 「そうしないと死ぬから」

です。装備したら楽しくなるとか、より幸せな気分になるとか、異性にモテるとか、足が軽くなるとか、そういったポジティブな要素は何1つありません。

そういった知識(情報)すら学ぼうとせず、軽装で登山した結果、事故を起こし、お亡くなりになられる観光客は後を絶ちません。しかし、装備しないと死ぬのです。だから装備するのです。

本来、そういった事故がない安全が100%確保されたものであれば、数十kgにも及ぶ装備などしたくないに決まっています。社会人になってから学ばなくてはならない大半の技術や知識は、これと同じようなものです。学び、役割を果たすために必要な水準に達していないと、

・開発ができない
・交渉ができない
・指示、命令、依頼を達成できない

総じて、「仕事ができない」状態を維持することとなって、何より自身の首を絞めることになるからこそ、そうならないための方法を学ぶのです。


成長には、上司と言う役者が欠かせない

この本質は、学ぶ当事者自身というより、成長を促す側…つまりは上司となる人が、育成の根幹として最も正しく理解しておかなくてはなりません。組織において、最下層の"担当"から昇進を重ねて組織の上を目指すと、どうしても

 自分が昇進した際にぽっかり空いた空席を
 誰かが埋めなくてはならなくなる

という事態に直面することがあります。

この時、自分に部下がついている管理職等の上司であれば、"後継者の育成"は組織を永続化させるためにも、必須の要求事項ですし、本来であれば責務のはずです。

しかし、普段から育成を心がけておかないと、やむを得ず、期待値込みで力量の不足している部下を無理に昇進させてしまった場合、よほどその後の手厚いフォローを継続しない限り、さらにその下にいる下位要員たちにまで悪影響が飛び火するなど、当然のように歪な組織が形成されていくことになります。

また、いきなり後継者として昇進…云々の話を置いておいたとしても、上司となるからには自らが…ではなく、今後も部下たちに目的に沿った目標達成をしてもらわなければならならない事情は変わりません。

そのために必要な力量が後継者に不足していて、目的達成が困難なのであれば組織の先達として、上司自らが自らの経験と知識を継承し、育成していかなくてはなりません。

そうしなければ、自身も自身を含む組織も、会社から与えられた目標を達成できず、評価等が下がってしまうからです。ゆえに、上司とは、常に教育者としての側面も兼ねていなくてはなりません。

では、こうしたネガティブな理由を目的としなければならない育成の大半において、どのように意識をけん引していくべきか?と言うと、

 「そういう状況に陥らないためにはどうすればいいと思う?」
 「今のうちに学んでおいて、現実に起きないようにするんだよ」
 「先日、あのチームがうまく対処していたから、聞いてみるといい」

などと普段から誘導して、問題が"起きないための"フォローを組織的に実施することが望まれますし、そう誘導することが優秀な指導者としての責務でなければなりません。

また、学ぶ側の方たちはこういった発想の転換によって、自分の身を守る術を能動的に身につける意識改革が必要になってきます。上司だけの努力では押し付けになって効率は落ちるでしょうし、部下の啓蒙活動に依存するだけでは期待通りの成長は困難ではないかと思います。


ポジティブな動機だけではなぜダメなのか

厳密にいうとダメと言うわけではありませんが、それで大きな効果が望める人と言うのは決して多くない点には注意が必要です。

リアルに考えてみてください。

仮に、危機意識に一切触れることなくポジティブな目的を全面に出して育成すると

 「○○を学ぶといいことがありますよ」
 「お客様が喜んでくれますよ」
 「上司が評価してくれるかもしれませんよ」

と言った根拠をもとにすることになります。
これはいわば、

 「資格を取れば、資格手当が支給されますよ」

と言って、従業員に資格を取らせようとする案内に似ています。なんかうさんくさい商法のような気がしてなりません。

しかし、残念ながら、どんなにテストでいい点を取っても、それがそのまま仕事に活かせるかどうかは直接的に影響しません。「暗記」と「理解」ではまるでその本質が異なるからです。

もちろん、予備知識を有していれば、理解し、現場で応用するきっかけにはなるでしょう。スタート時の基礎スキルが同じなら、資格を有していないよりも、有している方が何かと有利に働くのは確かです。

けれども、予備知識を有したところで、記憶に残っているうちに現場で実践できるような機会がなければ、数日~数か月でリセットされてしまいます。
これは「エビングハウスの忘却曲線」からもわかります。

ですから、画一的に「資格を取る」だけでは、実務レベルの成長には直結できる可能性は低いと言えるでしょう。それでも、企業が従業員に資格を取ってもらいたい本当の目的は

対外的にそれだけの要員を抱えている企業だというアピールができる

と言う企業側のメリットがあるからです。
営業力強化と言う意味合いが強い企業は、実際多いのではないでしょうか。
もちろん、これらもコーポレートサイトなどに宣伝文句として謳えるという程度で、資格自体の認知度にも影響を受けますから、実際にサイトを見る側にとってどれだけの効果があるかはわかりません。

半分本音・半分建前と言ったところでしょうが、これも私たち目線で表現を変えると、

・当該資格相当の力量を身に着けてもらわないと、
 任せたい仕事があるのに任せられない
・当該資格取得くらいできてないと、任された仕事を達成できない

と言ったネガティブな事情が存在することになります。

実際には、資格を持っているかどうかは関係ありません。相当量の力量が身につけばよいので、無理して資格を取る必要はないのですが、その力量が可視化できるようにして、証明するためには有効な手段と言えるでしょう。

多くの企業に見られる「資格手当」とは、そういった努力を能動的に頑張ろうとする人を増やすための促進剤であると同時に、そうやって頑張った人を労う報奨金でもあるのです(もちろん、資格自体が業務の必須条件となっているケースは除きます)。

しかし、耳触りのいい

 「資格を取れば、資格手当が支給されますよ」

と言うだけでは、ひょっとすると実務では使えないテストのためだけの勉強しかできず、結局は「資格手当だけ放出するけど、一切仕事に活かされない」と言うことにもつながりかねません。

私の身近にも資格マニアの人がいましたが、そんな勉強や成長を、上司や企業は本当に期待しているでしょうか?

『建前』と言うものは、相手を気持ちよくコントロールする際には有用かもしれませんが、そのために『本音』を隠して、ビジネスの歪みを大きくすることは、本来避けるべきでしょう。

でなければ、本当に求めている未来像に近づけず、誤解を植え付けたままの従業員が増え続け、後々取り返しのつかないことになってしまかねないからです。


社会人になったからと言って、学生時代のように「勉強しなくていい」「成長努力をしなくていい」と言うことは決してありません。昨今ではリカレント教育という言葉が注目されだしたように、一生勉強、一生成長しなくては時代の変化についていけません。しかも、実務で活用できる水準で、です。

社会人における「成長」とは、時代のニーズや変化に自らを対応させていく(変化させていく)と言うことにほかなりません。そうしないと、買い手のニーズに響かない、つまりは求められない人材と言うことになるからです。

学生時代には学生としての勉学に目的があったように、社会人には社会人としての成長目的と言うものがあります。願わくば、感情的なモチベーションに振り回されていた学生時代と同じではなく、社会人だからこその"本質"を理解したうえで、理性的なモチベーションを以って、自らを鍛え上げられるようになるといいですね。

本質が見えてくると、どの役割、どのポジションで、どんな成長が求められているかが見えてくるようになります。

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