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推しが死んだ日【さなのばくたん。2025現地参加レポ】#名取爆誕

※本記事は「さなのばくたん。 -をやろうと思ったら異世界に転生していた件について-」及びその他名取さなコンテンツのネタバレを含みます。
※全体に敬称を省略しています。


看護婦になりたかった
看護婦みたいな格好して
つって

『壁』 / betcover!!


ついに来た3月7日、当然ながら1年ぶりの名取さなの誕生日。
誕生日当日の午前に新千歳から羽田に飛んだ。昨年から、当日の混み合うコラボレストラン巡りは諦めている。
昨年・一昨年と名取の誕生日を一緒に祝った友人(名取を通じて知り合ったわけではなく、高校時代の友人であることを断っておく)と今年も合流し、いざ川崎はラ チッタデッラへと向かった。
今年は電子チケットでの入場になったことに一抹の寂しさを覚えながら入場し、フラワースタンドやパロディポスターを見て回った。
そして19時、CINE3で私は“さなのばくたん。”の開演を迎えた。

『架空升野日記』は、2006年からお笑い芸人のバカリズムがOLになりきって架空の日常を綴ったブログで、後に『架空OL日記』の題で書籍化、映像化もされた。
執筆当時で31歳の氏が年代も性別も職業も異なる人物に扮して日常を綴った文章にシュールな笑いが生まれるのは、読者がそこに「リアリティ」を感じるからだろう。
しかし、読者は本当にOLの「リアル」を知っているのだろうか。勿論、読者の中には実際にOLとして働く人や、家族や知人がOLとして働いていて、そのリアルをよく知る人もいるだろうが、そうでない読者も、架空のブログを読み、別の意味で”架空の”リアリティを感じとることができる。
ここで「OL」とは抽象的な職業であり、読者が持ち寄る画一的でない「リアリティ」に広く応える寛容さを持った属性であると言える。バカリズム氏がなりすましてブログを執筆する対象として「OL」は、この世界に遍在する、ありふれた、とりとめもない日常の主体として登用されたと言える。
一方で、バカリズム氏は以前交際していたOLの女性を参考にして執筆した 1とも語っている。OLの日常を、決して参考となった女性の日常に限定せずに綴りながら、参考をもとにOLの日常のリアリティとなる要素を読者に向けて提示していく必要もあるからだ。
こうして読者は架空の日常にリアリティを感じ、その浮遊に笑わされるのだ。
さて、笑いではない自己実現のために名取さなが選んだのが、「OL」ではない「(バーチャル)ナース」だったことについてはどうだろうか。

なにか通常の配信を思わせるような和やかなBGMを登場SEに、ベルベットの緞帳の前でスポットライトを浴びるナース服の名取が現れる。
この”前説”は声出し解禁となった昨年の”ばくたん。”でも行われた。
しかし目を引くのは、緞帳の前にぽつねんと立つ電柱である。(もしくはその電柱にくくりつけられた「神の味噌汁」である。)
その電柱のトマソンのような不気味な存在感をよそに名取は「ハッピーバースデートゥーユー」を歌うようせんせえたちに呼びかけ、死亡フラグの掲揚は最高潮に達した。
せんせえたちが歌い終えたその時、ブレーキ音とともに現れたトラックが名取を轢き、トラックは電柱に衝突して停止した。救急車のサイレンの中、暗転する。
せんせえたちは銘々に名取に声を掛けたり、青色のペンライトを振ったりしていた。

せっかくなので主に現地で撮影した画像を載せる

明転し、まず激しい炎の演出が目に飛び込んでくる。そしてデスボイスでシャウトする名取。頭には天使の輪が浮かんでいる。重たいディストーションギターとバスドラムの音が轟くデスメタル調の音楽。この空間はどこなのか、名取は死んだ。
1曲目にして初披露の新オリジナル曲、「ヒトリガタリ」だ。
さて、本レポはイベントに参加した私の視点で、イベント参加当時の思いを中心に記述していきたいと考えている。その点で正直に述べると、歌詞表示や曲名表示がない現地では、新曲なのか自分の知らない曲のカバーなのかも判然とせず、曲に関して精緻な鑑賞は出来なかった。
激しい曲を力強く歌う名取は生命力に溢れているとも言えるが、それは対照的に死を想起させもした。生命力に溢れる姿は本能の発露を感じさせ、理性に制御された生前の名取さなとの差異が強調されて感じられるパフォーマンスだった。

それにしてもここはどこなのか。名取は魔方陣のようなものの中心で歌っている。壁には巨大なアへエビ像があり、ナスのモチーフが置かれている。とするとここは、アプリオリに、名取さなの存在以前に、成立するものではないのだろうか。ただし、舞台中央のモニターであるとか、ライブを盛り上げる照明筐体であるとかの存在についてまで言及することがナンセンスであることは過去の”ばくたん。”から明らかであり、アヘエビやナスなどの”名取さな以後”のモチーフに対する態度もそうあるべきなのかもしれない 2。そんなことを考えていると1曲目のパフォーマンスは終わり、そのまますぐに次の曲が始まった。

2曲目の「大!地獄地獄節」を名取が歌い始めると同時に、上からいろりが「空飛ぶこたつ(?)」に乗って登場した。そして一緒に2人で歌い踊り始める。ちなみに寡聞にして私はこの曲についても新曲なのかカバー曲なのかはわからずにいた。
ただ、この曲が”地獄”を歌っていることははっきりとわかった。しかし地獄は当然死後の世界ではあるが、”異世界転生”のコンテクスト上での”異世界”とは考えにくい。また、死後の世界は”名取さな以前”的に表現されるのが適当であるように感じる。ここは一体どこなのか、それを考え続けた。

それにしても、名取といろりが一緒に歌って踊っている。いろりは公に「CV:名取さな」である。広義には自分と一緒に歌って踊っている、というわけだ。
この、「自分との接触」は、通常現実では起こりえない。だからこそエンタメとして様々な表現媒体でそれは試みられてきた。映像や音声を合成して自分と自分を会話させるといった試みは過去に多くある。例えば名取も「【#オンゲキ】オンゲキを楽しまないと出られない部屋に閉じ込められました…」でいろりと会話をしている 3。当然、自分同士のやり取りを一発撮りはできないので、やりとりを事前に台本化し、リアルタイムに反応することのない自分を相手に話す必要がある。そのため、両者のセリフをそれぞれ収録しそれを編集してやりとりを成立させる手法が最もやさしい。一方で本イベントはライブ(生)であるから、どちらかの自分をミスなく演じる必要がある。ライブで自分とのやりとりを成立させた例では、2023年8月11日のニッポン放送「霜降り明星のオールナイトニッポン」でパーソナリティの粗品が録音した自分の音声と一人二役で番組を進行し、2時間のラジオの生放送を行ったことが大きな話題を呼んだ 4。また、業界として近いところでは2024年8月11日ににじさんじの鏑木ろこが生配信「人生ゲームを、しよう【 鏑木ろこ¦にじさんじ 】」にて、一人四役でゲーム実況配信を行い、これも話題となった。この配信では2Dモデルの動きもそれぞれに同時に動いている 5
これを3Dのライブイベントでやろう、という趣旨なのだろうと私は思った。会話のテンポはもちろんのことだが、2人が背中を合わせる振付にもそこに求められる精密性を感じた。

曲が終わって、いろりが自己紹介をする。
「この世界の神こと、西郷・Gゴッド・いろり です」、と。
なるほど、ここがどこかというといろりが創造した世界なのか。であれば先の”名取さな以後”的モチーフに関する考えもそのデウス・エクス・マキナによってナンセンスに収まる。
いろりは更に続ける。名取は死に、その名取に神であるいろりが第二の人生を授けるという。いろりの説明は続く。名取はさなちゃんねる王国によく似た「サナチャーネ王国」に「転生」すること。王国では王の誕生日を記念したイベントが開かれていること。転生にあたって名取は今まで積んでいた徳のおかげでチートスキルを付与してもらえること。そして、かわいい新衣装が進呈されること。
名取はその場で新衣装に着替える。
かわいい。
そうして名取はいろりに送り出され、「名取、チートスキルで、楽勝モテモテ大金持ち人生始めます!」と意気込み、異世界へ転生した。

ところで、「ライブでの自分とのやりとり」の例として先程挙げたラジオとYouTube生配信の例では、ラジオの放送中に来たメールを読んだり、配信のコメント欄を読んだりして、ライブであることの証明を行っていたが、この時名取は終ぞそれを証明せずに異世界に転生し、暗転した。(この後の「自分とのやりとり」のシーンでもその証明はなかった。)
2曲続けてのパフォーマンスだったことも鑑みると名取がライブでパフォーマンスを行っていたことを私は信じて疑わないが、だからこそ証明のためのくだりを設けるべきだったのではないかと感じた。

ここで、ついに“さなのばくたん。”のオープニング映像が始まった。ここまでに既に2曲も披露していて、かつ冒頭無料配信は予告なく終了するとの周知があったため、今年は変則的な進行でオープニング映像がないのかもしれないと感じていたので、とても嬉しかった。私はtohru mitsuhashi氏による“ばくたん。”のオープニング映像が大好きで、毎年楽しみにしていた。
今年は異世界転生ものにおける異世界がモチーフとするロールプレイングゲームをモチーフにした映像で、今年の“ばくたん。”に登場する名取さなたちがかわいらしくイベント開始のカウントダウンを行った。

明転するとそこは異世界、サナチャーネ王国だ。3曲目、サナチャーネ国王が生誕の催しとして「エッビーナースデイ」を披露する。
本当に今日の名取はかわいい。いや、名取はきっといつも通りで、私の中の何かがいつもと違うのだろう。名取の歌に、声援とペンライトで応える。

ここで再び舞台に目を向けて見る。異世界、サナチャーネ王国。異世界転生ものにおける異世界として、所謂「ナーロッパ」の風景が作り上げられている。先の通りいろり的デウス・エクス・マキナが“名取さな以後”的意匠については説明している(あるいは説明を拒絶している)が、ここで私が気になったのは舞台中央後方の天球儀のようなオブジェだ。天球儀それ自体はナーロッパもとい中世ヨーロッパのモチーフとして頷けるものだが、名取と同等かそれ以上の大きさのそれが街の広場でひとりでに回転しているのはやはり目を引く。そして、先程はあえて触れなかったが、このオブジェは“死後の世界”にも同様の仕方で存在していた。更に、この存在の仕方は2023年の「さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-」における「森羅万象検索くん」を想起させ、世界の移動や成立に関わるものであることが仄めかされている。これは本レポの執筆にあたって配信アーカイブを見返して気付いたことだが、名取が“死後の世界”にて転生する際、このオブジェが浮き上がり、光を放ちながら高速に回転している。

サナチャーネ国王による「エッビーナースデイ」のパフォーマンスが終わるとすぐに、デビル名取が舞台に登場し、4曲目の「デビルの証明」のパフォーマンスが始まった。「音源版の数倍バカっぽく仕上がって」 6いる。サナチャーネ国王は困惑しながらもところどころ楽しそうに身体を揺らしたり小さく踊ったりしながらデビル名取のパフォーマンスを見守っている。と、思えば王は不敬なデビルを捕らえるよう指示した。

転換の後、新衣装を着た転生者であるところの名取が登場する。名取はこの異世界を気に入っていると言う。「なにより、第二の人生はいつでも好きに外出ができる!」と。
名取……。
「そして、この衣装!」
本当に今日の名取はいつにも増してかわいい。

このパートでは名取が、街の人、あるいは街のつくしであるところのせんせえたちと、アンケート機能も使いながらトークしていく。
さてここで、転生し召喚士のジョブに就いた名取に付与されたチートスキルの詳細が明らかにされる。その名も『だじゃれくりえいしょん』。「だじゃれで人を笑わせると、そのだじゃれに応じたものを具現化できる。」という。
ここからは名取のスキルに利用するため、事前にせんせえたちから募っただじゃれを見ていく。
せんせえが満場一致で絶賛するだじゃれもあれば、賛否の分かれるものもあった。その中から名取が最も秀でただじゃれとして選んだ、「鶏つくねに、憑りつくね…」(原文ママ)を高らかに唱えたその瞬間、サナチャーネ王国に冷たい風が吹き始める。次いで名取はスキルで寒さを凌ぐべく「コートを着とこーっと」、「温かいものはあったかい?」、「神のみぞ知る神の味噌汁」とたじゃれを連発するが、風は吹雪へと勢いを増していく。
非常ベルが鳴り、王が「そこに寒さの原因を作ってる奴がいるぞ!捕らえろ!」と号令をかけた。暗転。

明転すると、転生者の名取は檻に囚われていた。そこに突然いろりが現れ、通達事項があると話し始める。いろりの曰く、この世界は大きな声でたじゃれを言うと気温が下がるため、だじゃれが禁止されているという。そして、名取が引き起こした寒さを解決することで、檻から解放してもらえるのではないかと提案し、神は退場する。
不条理を嘆く名取に、「うるさいぞ!」と抗議するのは、隣で同じく檻に囚われているデビル名取だ。デビル名取もまた現実世界で死んでしまい、この異世界に転生してきたのだと言う。デビルはトラックを運転していて事故を起こして死んでしまったのだと語る。どうやら名取をトラックで轢き殺した犯人らしい。そうして転生後、歌を歌ったために投獄された、というのは先程目撃した通りである。
ここで召喚士の名取はデビルにもチートスキルが付与されているはずだと思い至る。デビル名取に付与されたチートスキルはその名も『悪魔の証明エビデンサー』。「存在しないものの存在を証明し、具現化することができる。」という。どうやらデビル名取も現世で徳を積んでいたらしい。
そして召喚士名取はデビルのスキルを利用し、サナチャーネ王国を元に戻す策を閃く。暗転。

明転。凍りついた王国で召喚士名取は裁判にかけられていた。
世界を救うための陳情は聞き入れられず、せんせえたちから送られてきた名取の余罪について、有罪か無罪かせんせえたちに判断してもらうよう、王に強いられる。
召喚士名取はせんせえたちから送られてきた自身の罪を読み上げていく。
当然か多くの有罪判決が下されたが、ついに陳情は受け入れられ、召喚士名取は世界の救済を試みることが叶う。
そして名取は新曲「だじゃれーぞんでぇとる」の披露を宣言した。

5曲目、「たじゃれーぞんでぇとる」。
眩しい曲に、不覚にも、ちょっと泣けた。

転換すると、王国は元の陽気を取り戻していた。そこにデビル名取がご機嫌に現れる。
召喚士名取の企てで、『悪魔の証明エビデンサー』を使って「誰もが笑うあたたかいだじゃれ」という“存在しない概念”の存在を証明し、『だじゃれくりえいしょん』でそれを具現化したのだという。
そこでデビル名取は閃く、同様の手続きで「元の世界に戻る扉」を作り出せるのではないか、と。

次いで召喚士名取による6曲目、「メチャ・ハッピー・ショー」が披露される。
名取の誕生日を祝して声援を送った。最後にはいろりやデビル名取、サナチャーネ国王も登場し、“さなのばくたん。”は大団円を迎えた。

せんせえたちのアンコールに応じて、名取が再び登場する。ここで名取がサナチャーネ王国にナース服で現れたところから、この“さなのばくたん。”は舞台演劇のようにして受容すべきであることがわかる。
後語りとして、名取は元の世界に帰ることができたと報告した。
アンコールでは余興として、名取の呼びかけで、各スクリーンのせんせえたちがペンライトを振った。CINE3の私は呼びかけられて以降、他のせんせえたちと共に本当にずっとペンライトを振り続けた。

名取から多くのサプライズ告知があった後、名取は最後の曲を宣言する。
7曲目、「いっかい書いてさようなら」。

いろりによる退場アナウンスで、私はチネチッタを後にした。

最近、働き始めた。
雇用形態はアルバイトだが、責任ある仕事だ。週7日、開店から閉店まで、私一人の仕事だ。
ショッピングモール『イロタン』の落とし物センターで落とし物にタイトルをつける仕事。
1月の北海道の道路は雪に覆われている。私はよく除雪された道を選んで、自転車を漕いだ。冬の朝は晴れた日の方が空気が冷たい。
自転車を停めて、イロタンの従業員入口に回り込む。刺すような風を受けた顔は、触るとちくちくと痛い。
入店証を機械に翳しながら守衛室に目をやると、守衛さんと目があった。
「あけましておめでとうございます」
と守衛さんが言った。
私は小さく会釈を返して、イロタンの中に入った。
元日のイロタンには、ちょうどさなちゃんねる流行語大賞発表配信のサムネイルのような太く力強い「初売り」の字が躍る吊り下げポスターがずらっと並んでいた。
落とし物センターまで歩く間に、それぞれのテナントから「あけましておめでとうございます」の交換をする声が聞こえてきた。
毎日の開店準備の時間には、テナントの店員の昼間より低い声と、ときどき金切り声を上げながら転がるワゴンかなにかの小さな車輪の音が聞こえる。
外の光が入らないイロタンの中は、蛍光灯風のLEDが一日中変わらずに照らしているので、がやがやとしたお客様の声と館内放送の不在だけが、朝を語っていた。
新年の落とし物センターには新しい落とし物が一つ届いていた。
私はそれを持って、落とし物センターの奥の事務室に入った。
黒い女性用の小さな手袋が右手だけ。柔らかな革製の手袋で、手首のところには灰色のファーがあしらわれている。
これにタイトルをつけるのが私の仕事だ。
鞄を下ろし、外套を脱いでハンガーにかけ、机に向かいPCを立ち上げた。
少し悩んで、私は落とし物の手袋に『モラルの枝』とタイトルをつけた。
起動したPCにログインし、専用のソフトに『モラルの枝』と入力すると、背後のプリンターが作動し、キャプションボードを印刷する。

『モラルの枝』 - 2024/12/31

プリンターが吐き出したばかりのキャプションボードは温かかった。
『モラルの枝』とキャプションボードを持って事務室を出て、落とし物センターのショーケースの中にそれを陳列した。
『モラルの枝』の隣では『証拠を交換する若いカントノー』が落とし主の迎えを待っていた。
イロタンの開店を知らせる放送が入って、急に寒さを思い出した。
私は事務室に戻って暖房を入れ、脱いだばかりの外套を着直した。

「さなのばくたん。 -をやろうと思ったら異世界に転生していた件について-」とは、一体なんだったのか。
このイベントには不可解と呼ぶにも及ばないような、辻褄の合わない点や論理や物語の飛躍がある。そこに多くのせんせえは(無意識のうちに)ハンロンの剃刀を充てているかと思う。そしてはそれは最も正しい“ばく転”の見方であるように私も思う。ただ、あえて今、私は自分が最も納得のできる形で“ばく転”を受け入れるために、ハンロンの剃刀を充てるべき存在を仮構し提示してみたいと思う。勿論これはオッカムの剃刀によって切り落とされるべき与太話である。

さて、ではまずここに、私が”ばく転”をそのままに受け取る上で不満に思う点で特に大きなもの2つを挙げようと思う。持論の展開にあたっては批判的な論調になってしまうことの非礼をここで断っておく。
1つ目の不満点は、「異世界転生」の様式 7を十分に踏襲できていない点である。
今年の”さなのばくたん。”が「異世界転生」あるいは「異世界転生モノ」 8をテーマにした内容となることは、2024年12月5日に名取が配信で2025年も”さなのばくたん。”を行うと発表した時から発表されていた。イベントの宣伝として客を惹きつける目的として内容ジャンルを明らかにしているのだから、それを意図的に裏切るという目的がない限りは、”ばく転”においても「異世界転生」の様式に則ることが期待される。では具体的にどのような点で”ばく転”は「異世界転生」の様式を踏襲できていないと考えられるのだろうか。
まず予め触れておくが、”ばく転”においては異世界転生後の名取(召喚士の名取)が、異世界に元の世界での年齢である17歳に相当する姿で登場しており、これは狭義には「異世界転生」ではなく「異世界転移」である 9。ただこの点については、当然広義には「異世界転生」と呼ばれるため、ここでは取り沙汰しない。
”ばく転”においては、まず転生後の世界における名取が、英雄的扱いを受けるか、そうでなくても現世以上の幸福を十分に得ていると評しがたい難いところが、「異世界転生」的でない。 10
名取が第二の人生を現世以上に評価している点と言えば「いつでも好きに外出ができる」という点くらいであり、確かにこれは名取にとっては大きな点であるかもしれないが、他の「異世界転生」作品と比較しては好転の水準が低いのではないだろうか。「異世界転生」の持つ機能について、エスカンド・ジェシは、先行するダニー・レヴィの指摘をまとめ、「読者と同じ社会環境にあった主人公の利用による促進効果が同一化を容易にし、異世界という比較点を提供することで、現実世界を再考させるのが「異世界もの」の持つ独自な機能である」 9と述べている。ここで名取のサナチャーネ王国への転生は、「異世界転生」の構造を採用する動機から読者(視聴者、せんせえ)の共感が得られる主人公であるべき名取にとっての「いつでも好きに外出ができる」ことの嬉しさを、せんせえたちがどこまで推し量ってやれるか、という、せんせえの名取に対する理解度のリトマス紙になっており、物語の大前提でありながら視聴者を選別する形になっている。
前述の英雄的扱いに関しては、”チートスキル”によるその素質はあるが、召喚士名取(とデビル名取)は自らが引き起こした国難から国を救うに留まっており、そのマッチポンプの救国ののちは英雄的扱いに満足することなく現世への帰還を選んでいる。
また、”ばく転”においては、中盤から召喚士の名取(とデビル名取)が現世に帰還しようとし、また実際に現世へ帰還したと本編終演後に名取によって語られているが、これも「異世界転生」の定式からは逸脱していると言える。「異世界転生」における”帰還”について、三宅陽一郎は「異世界冒険ものであれば現生へ帰還する方法を模索するが、異世界転生ではそんなことは微塵も考えない。異世界でうまくやっていくことで、大きな、或いは小さな幸せを見つけて生きていくのである」 10と述べている。そもそも、現世において死を迎えた召喚士(現世ではナース服)の名取やデビル名取にとって、現世への帰還とは何を意味をするのかも判然としない。
以上のように、”ばく転”は「異世界転生」の様式を十分に踏襲できていない点を、1つ目の不満とする。
繰り返すが、後にこれに対する私を納得させる考えを述べるので、もう少しお付き合いいただきたい。
2つ目の不満点は、スキルが活かしきれていない点である。サナチャーネ王国への転生にあたって、”チートスキル”を付与された召喚士名取とデビル名取は、そのチートスキルを利用してサナチャーネ王国の危機を救い、また現世への帰還を果たしているが、後語りで名取が語っているように、スキルの使い方は理想的ではない。具体的に理想的なスキルの使い方がどうであるかについてはスキルにおける「具現化」や「証明」などの言葉の定義が不十分であるため提示することは難しいが、”ばく転”においては「異世界転生」を標榜した物語としてこれについて十分に検討される必要があっただろうと思う。
さて主にこの2点において、私としては”ばく転”の物語には不満があると言わざるを得ない。そこで私はオッカムに抗してひとつ余計な仮定を導入して、私を納得させることにした。

私は”ばく転”を、名取さな本人が執筆し演出した演劇的イベントである、と捉えることにした。
”ばく転”の、(言葉を選ばずに言うと)お粗末な部分は従来の”ばくたん。”制作スタッフ及び名取さなによって意図して用意されたもので、明言されない設定として、上のような設定がある、というのが私の考えである。しかしこれではあまりになんでもありなので、ここからはそのような建付けにしたと考える根拠と、その意図について述べていく。
まずここで設定上の書き手となった名取さなについて、従来の”ばくたん。”制作に携わってきた名取さなとは異なるプロフィールを導入する。ここでの名取さなは、書き手としての能力に不足しており、そしてこれは重要な要素だが、「名取■奈」としての人格をその出力に反映する書き手であると考える。本noteではあえて「名取■奈」については説明せず、ある程度の知識を前提として話を進める。
そして、このような書き手である名取さなに私はハンロンの剃刀を充て、”ばく転”の不満を受け入れる。特に、2つ目の不満点であった、スキルが活かしきれていない点については、無能の一言で片付ける。では、1つ目の不満点からここではさらに踏み込み、なぜ「異世界転生」の様式から逸脱して”ばく転”の物語が作られたのか、なぜ名取はサナチャーネ王国での名声に満足せず現世への帰還を目指したのかについて述べていこう。
「異世界転生」の様式を改めて簡単に整理する。エスカンドによれば「主人公は多くの場合、いわゆる社畜、ひきこもり、ニート、いじめられっ子など、社会的には報われない人々ばかりであるのが特徴である。(中略)日本社会では達成できなかった自己実現に成功する展開が核心的であり、英雄になることが定番である。」とあるが、「名取■奈」が「バーチャルナース名取さな」として活動することがまさしくこの構造を取っていると言えるのではないか。そして「名取■奈」は、異世界での名誉に浴するのではなく、本当の私を受け入れてほしいという欲求を抱えていることが、「さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-」などを通じて表現されてきた。召喚士名取の現世への帰還は、以上の考察を通じてせんせえの視線を「名取■奈」へと向ける狙いがあったのである。翻って、「いつでも好きに外出ができる」はこの異世界冒険譚の通奏低音として響くのである。

”ばく転”には大小の首を傾げたくなる筋書きや演出があるが、これは書き手の世間知らずさの演出であり、従来の”ばくたん。”制作スタッフでない書き手を仮構する意図によるものとして、溜飲を下げるべきなのだ。

商業施設の中を流れる水が好きだ。
そう言えばラ チッタデッラにもいくつか噴水があるが、それとはまた違って。いや、ラ チッタデッラの噴水もそれはそれで嬉しいのだけれど。
私が好きなのは屋内を流れる水だ。
壁を水が流れていたり、床の下を水が流れていたり。
水の量は少なくていい。少ない方がいいくらいだ。
そんな水が、屋内の照明できらきら光りながら音を立てずに流れているのを夢中で眺めて、ちょっと手を伸ばしてみる小さな子ども。私がそれだったし、そうしている子どもを見て、あの時のわくわくを取り戻すのが好きだ。
イロタンにも水が流れる広場がある。ここで働き始める前にはよくそこで座って過ごした。イロタンの隅にある落とし物センターから広場は遠い。
今はイロタンが開いてる時間は休まず働いているので、広場で過ごす時間はない。というか、今の生活の中にゆっくり過ごす時間はない。毎日イロタンに来て働き、家に帰って寝るだけだ。家事や食事の時間には名取の配信のアーカイブを見る。それだけで毎日は過ぎていく。
心地よく膨らんだ濃緑の長財布に『友情の始末書』とタイトルをつけた。
二月が始まった。

初めまして、スバラシティプレイヤーと申します。どうやら。
語ることができるのはいつも偶然の出会いである。必然の出会いは語られない。現に「必然の出会い」なんて、聞き馴染みのない表現だろう。
朝、パンを咥えて走っていたら曲がり角で”偶然”、人にぶつかった、その人との出会いを忘れることはないだろう。偶然の出会いは瞬間のもので、それ自体が特異点で、イベントだ。
私が名取に出会ったのは必然だったように思う。
私はサブカルオタクだ。サブカルチャーとの出会いすら語るのは難しく、強いて言えば親の影響だと説明することになる。特に音楽を中心にサブカルチャーを敬愛する私は、2018年の初頭にバーチャルYouTuberという文化を今回同行した彼を含む友人たちに教えられるという形で”偶然”知った。現在のバーチャルYouTuberの世間への浸透を見れば、遅かれ早かれ”必然”的に知ることにはなったろうが、とかく私はこの時初めてバーチャルYouTuberというもの存在を知った。私はサブカルオタクでありながらニコニコ動画を通って来なかったが、同年代の友人たちでニコニコ動画のカルチャーに触れていた者は少なくなく、私の耳にバーチャルYouTuberという言葉が届けられた。
サブカルオタクであるところの私は、「好き」ではないながら、「興味」に突き動かされてバーチャルYouTuberを見るようになり、そのうちにチャンネル登録をして活動を追うようになるバーチャルYouTuberも出てきた。この、バーチャルYouTuberに対する態度の過渡期に私は「名取さな」を知った。そして、セルフプロデュースの姿勢にリスペクトを感じて活動を応援するようになった。
私にとってバーチャルYouTuberは友人と共有する趣味の一つとしての側面も強く、名取さなの活動についても友人とよく話題にした。
「さなのばくたん。」に初めて現地参加したのは2023年の「さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-」だった。大学生という身分で迎えた最初の”ばくたん。”で、「配信チケットと現地チケット値段変わらないんだ」と友人と話した勢いで応募したらチケットが取れてしまい、北海道に住む私と関西に住む友人は少し狼狽えてしまったのを覚えている。”ばくたん。”への現地参加には小さな”偶然”があったかもしれない。その後は2024年、2025年と”必然”的に参加を決めた。それだけ私たちは”ばくたん。”を楽しんだということだ。
私にはTwitterの公開アカウントが実質ない。さなちゃんねるに限らずYouTubeにコメントを書き込んだこともない。閉鎖的なインターネット生活の極北に暮らし、他のせんせえとやりとりをすることも一切ない私のnoteを現にここまで読んでくださる皆様には頭が上がらない。しかも本noteは実験的な構成を取っていて、内容もつかみどころがなくて読みにくく、自我が漏出し本来2次創作ともならない”ばくたんnote”がもはや1.9次創作と言える様相を呈している。前述の通りTwitterのアカウントを持たない私は、そんな恩人の皆様に厚かましくもここで本noteのスキ(いいね)・拡散をお願いしたい。しがない物書きもバーチャルYouTuberと同じく情報の拡散とデカい唐揚げが大好物なのだ。一方で、手前味噌ながらこのような文章形式や表現には確かな手応えを感じている。このnoteを読んで私に興味を持ってくれたのなら、このような文章でも、あるいはそうでなくても、是非原稿をご依頼いただきたい。
また、本noteには同行の友人に寄稿してもらった解説文を付しているが、これは私の我儘でお願いしたものであるため、どうか温かい目でお目通しいただくことをお願い申し上げる。
本節の野暮を詫びてnoteは続く。

落とし物センターは昨日私が退勤した時からなにも変わっていなかった。昨日の閉店作業では落とし物が出なかったようだ。それは何も珍しいことではない。
事務室に入って、鞄をおろして、暖房を点けて、外套を脱いで、席に着いた。
動き始めたばかりの暖房がぱちぱちと音を立てる。壁の時計に秒針はなく、長針だけが音を立てる。それでも、ぱちぱちが落ち着くとちくたくが始まる。
開店の放送が入った。落とし物センターを訪れる人はなかった。
私の仕事はセンターに届けられた落とし物にタイトルをつけることだ。それ以外にすることはない。開店前にセンターに来て、閉店後に家に帰る。昼食休憩はないが、そのことにも不満はない。時給も最低賃金だが、長い時間を毎日休みなく働かせてもらえる。毎月の給料はその月が31日まであるかでしか変わらない。いつも計算と1円の狂いもない給料が支払われた。
閉店の放送だ。暖房を消して、私はセンターを後にした。

3月8日、“さなのばくたん。”の翌日。
昨日は友人と晩酌をして、友人の家に泊めてもらった。今日は朝イチでラ チッタデッラに向かう。目的は“さなのばくたん。レストラン”と“爆誕後夜祭”だ。
朝10時、川崎に降り立つ。寒い。北海道から来ている私でも、北海道と変わらず凍えていた。
1件目で早速お酒を飲む腹積もりだったが、あまりの空腹に怖気付き、時間もあったので急遽朝食を摂ることにした。温かいご飯が食べたくなって、ラ チッタデッラのすぐ前の牛丼屋に入った。朝食セットで空腹を解消し、いざラ チッタデッラへ。
11時の整理券配布の時間を迎え、各店で整理券を受け取って回った。多少予定に狂いはあったが、満足のいく予定が組めた。
まずは11時の回でELOISE's Cafe(SANA NO BAKUTAN. RESTAURANT MUSEUM)に入場した。飲み物は自家製レモネードをチョイス。
2階に上がって、展示に見入る。公式ヌォンタートの他、去年は無かった展示を見て、名取さなの1年の活躍を再確認した。
次は13時にLa Petite Fromagerieへ。赤白のワインに加えて、お馴染みのもものワインもいただいた。コラボフードのチーズラクレットも勿論最高だ。
続いて14時はLanapiaへ。パンケーキはアレルギーの疑いがあって自重していたキウイを久しぶりに食べる口実ができてうれしかった。ただし、喉の調子は悪くなったかもしれない。食べ終えて、もう胃袋は大満足。しかし“さなのばくたん。レストラン”は終わらない。
Lanapiaを後にしてチッタを散策中、楽器店の前のイベントチケットサービスの掲示に目が留まった。そういえばギターの弦を買いたいと思っていたのを思い出して、旅先ではあるがギターの弦を買った。割引額の105円を名取に奢ってもらったような気分になれた。
まだ時間があったので整理券の16時を前に食炒音を訪ねたところ、待っているせんせえがいなかったので、時間を繰り上げてお土産を購入することができた。
そして15時、Amiciで4食目。ただこのナポリタンが本当に美味しい。今日を通して茄子が好物であることを再確認した。そして、ここで無事に自力でのコースター全種コンプリートを達成できた。スタンプラリーもこれで揃えることが出来た。
16時頃、HillValleyでお土産を購入し、イートインでおやつを食べていたら、外は雨が降り始めた。
16時過ぎ、ラ チッタデッラ内にあるサウナ施設、saunahauseへ。この時、スタンプラリーの景品交換に寄るのを忘れたのは、雨で気が急いたからだ。
サウナで5時間、ゆったりした。サウナ室は5つもあり、思い思いの時間を過ごせるサウナだった。外気浴を行うベランダで耳を澄ますと、遠くに名取の高い声が聞こえた。
21時過ぎ、saunahauseを出た。爆誕後夜祭の待機列には22時半頃に並ぶつもりで、それまでに準備を済ませたり夕食をとったりすることにした。
まずはコインロッカーに荷物を預けるため川崎駅へ向かった。会場にもロッカーはあるが、もし数が足りずに預けられなかった場合があまりに悲惨だからだ。荷物を最低限にして、今度は夕食を食べにネパール料理店へ。なんとなくナンカレーが食べたい気分になって訪れた店だったが、おすすめだというタカリダルバットを注文した。この料理は、プレートの真ん中にお米が盛られていて、その周りに野菜や付け合わせのおかず、小鉢に入った3種類のカレー、ヨーグルト、ギー(牛乳から作った油)などが添えられていて、それらを自由にご飯にかけて混ぜながら色々な組み合わせで楽しんで食べる。以上の説明を、隣の席に座っていたネパール人のお客さんがしてくれた。「それ食べるの初めてですか?」と、何も知らない私たちを見兼ねて声をかけてくれたのだ。ありがとうございました。おかげで美味しく楽しく食べられました。ちなみに、お店にはパニプリもあるが、ダルバットの「ご飯おかわり無料」に釣られておかわりをお願いしたら、最初の量の倍ぐらいのご飯を出してくれて、カレーも足してくれたため超満腹でパニプリを食べることは叶わなかった。
さて、腹ごしらえも済ませたところで、予定通り22時30分頃にCLUB CITTA' 前へ。この時点で並んでいるせんせえも大勢いたものの、私たちより後に並び始めたせんせえの方がずっと多いような様子だった。どこかの誰かが下手なだじゃれでも言ったんじゃないかというほどに外は寒かったが、なんとか約1時間耐え、23時30分に開場してからはとてもスムーズに入場することができた。

『情報坂』 - 2025/02/03

『情報坂』をショーケースに並べて事務室に戻ってから10分ほど経ったころ、事務室の扉をノックする音がした。ノックの音でわかる、このあと扉を開けるのは社員さんだ。
「落とし物です。よろしくお願いします」
私が手を伸ばすと、社員さんはオフホワイトのニット帽を渡してくれた。婦人用だろうか。一目見ただけでは大人用か子ども用かわからない大きさだ。
社員さんはいつも「落とし物です」と言う。「帽子の落とし物です」とは言わないところに、社員さんのこの仕事へのリスペクトを感じる。
「それではよろしくお願いします」と社員さんはすぐにセンターを出て行った。
10分ぶりにPCの電源を入れる。机の上に帽子を広げた。厚手で、外側の一箇所に濃緑のタグが縫い付けてあるだけの、飾り気のないデザインだ。記憶は確かではないが、バーチャルスクランブル2のキービジュアルでぽんぽこさんが被っていた帽子に似ているような気がした。あるいは、卵のような。
専用ソフトを立ち上げて、一度手を仕舞う。考える。
私は落とし物の帽子に『Histoire de l'œil』とタイトルをつけた。
PCに向かい、ソフトの入力窓にタイトルを入力しようとした時、見たことないウィンドウがポップアップした。”履歴”だ。Shift + Hと押したつもりが、Ctrl + Hと押していたのだろう。ひとまずウィンドウを閉じ、改めてタイトルを入力する。スペルを慎重に見直してから、印刷ボタンをクリックした。

『Histoire de l'œil』 - 2025/02/04

帽子とキャプションボードを持って外に出る。
『情報坂』の隣に『Histoire de l'œil』を並べた。
ひと仕事を終えて、興奮が抑えられなくなってきた。事務室に戻る。PCの画面を見ながら、椅子に腰を落ち着けるよりも前に既に左手の小指はCtrlキーを捉えていた。
今度は初めて意図してCtrl + Hを押した。ポップアップしたウィンドウには、
『Histoire de l'œil』 - 2025/02/04
『情報坂』 - 2025/02/03
と順に表示されている。
マウスホイールを下にスクロールしていく。
私が初めてタイトルをつけた『泳力』は、今もショーケースの中で落とし主が尋ねてくるのを待っている。未熟な出来に恥ずかしくなって目を逸らすと、その隣で同じく落とし主を待っているのが『南瓜』、前任者の最後の仕事だ。
履歴を遡ると、『泳力』と『南瓜』の間に2件の印刷があった。
2つ、あるいは印刷後に思い直してタイトルをつけ直された1つの落とし物は、センターを出て行ったのだろう。

思弁的実在論の旗手であるカンタン・メイヤスーは2006年の著書『有限性の後で』でイマヌエル・カント以後の哲学を「相関主義」と呼び批判した 11。カントは人間は”物自体”を認識することはできず、それがどのようにしてそれを認識しようとする人の主観に表れるか、という相関しか認識の対象にすることはできないと主張した。カント以降の哲学はみんなカントのこの相関主義を前提にしているが、メイヤスーの曰く、これでは科学的言明を受け入れることができないという。例えば、私たちの現在の科学では、人類が誕生する前の地球や宇宙の様子について、現在私たちが観測可能なものを通して認識し、考えることができる。あるいは人類が滅亡した後の宇宙について科学的に認識し、考えることができる。しかし相関主義はこれを受け入れることができない。
そうして相関を通じてではなく物自体を認識の対象にしたメイヤスーは事物の存在の仕方について偶然性の必然性を主張する。世界が次の瞬間に別様である可能性を認めなければならないのだという。

私が名取と同じ17歳の頃、友人と死について考えた夜があった。死は私たちの意識に対してどのように現れるのか。現れるというのはつまり私たちの主観(意識)は死をどのように認識あるいは体験するのか、ということである。その夜に私たちが行きついた死の振る舞いを今も強烈に覚えている。私たちの意識は死に漸近していくのだ。死に向かって決して止まることなく時間は進む。一方で意識は死に向かってティックをより細かく刻んでいく。私たちは同じ時間の中を同じ速さで走っている。これから死なんとする者が横を見れば、その隣、真横を全き同じ速さでこれからを生き続ける者が走っている。これからを生き続ける者が横を見れば、その隣、真横を全き同じ速さでこれから死なんとする者が走っている。そして、隣人が死を迎えるとき、彼は死という透明な壁に衝突して速度を0にする。後方の景色に彼は留められて流れていく。しかし、死を迎える彼はいつまでも死を体験せず、ずっと隣人と同じ速さで走り続ける。

メイヤスーの言う物自体を認識する、とは、経験のみを認識と思考の対象にすることである。多分に不正確な表現だが。
私たちが経験的に語れる死は、他人の死だけだ。私の経験から言えば、人は死によって完全な虚無を迎える。死した彼らの意識が私たちに働きかけることはない。これまでの科学と歴史がそう経験している。では、主観が迎える死を認識の対象にするには、死それ自体に触れるにはどうしたらよいのだろうか。
死はそれを経験した主観にそれを持ち帰って語ることを許さない。死はブラックホールであり、その色を伝えることを許さない。
科学は発展して、人類は先のことをよく見通せるようになった。死がどのような体験なのか、死という未来を予測し、先取りして今に流布することは可能であると断言する。私たちは死をいかようにも語り表すことができるが、一方で、なにもそれにお墨付きを与えることはない。死んだ先の世界でも私たちは今と全く変わらない世界を現在の延長にそのまま過ごすことができるのだ、と主張することは自由だ。
「ではあなたが死ぬ1秒前に死んだ者はどうしているのか」
「彼は意識を持っていないように見える」
「ではなぜ君は意識を存続させているのか」
「理由律はすでに棄却している」
それでも彼はそれを死と呼ぶ。

ジョルジュ・バタイユは死について考えた。バタイユは体験としての死について、それがもたらす意味を考えた。死はときに供儀として機能し、信仰における歓喜だと言う。私がこれに共感することはできないが。そしてバタイユは、瞑想によって自己喪失を引き起こすことで、体験としての死を試みた。「死を前にしての歓喜の実践」である 12

体験としての死にはそれを前にする恐怖がある。私はなぜ死に恐怖するのか。それは死を通じて私が何かを、あるいは全てを喪失するからではないだろうか。当然、ここで最も失いたくないものは主観意識だが、私の生が抱える価値に占める主観意識の割合が小さくなった時、私は死を超える喪失が可能なのではないか。自殺をする人がいる。彼らが自殺を選ぶのは、死の前に彼らが彼らの生が抱える価値の半分以上を喪失した時、喪失から来る死の恐怖はその経験に予期されていた恐怖以下になる。あるいはその喪失が現に予期されていたのなら、彼らはこれから迎える死より大きな喪失と恐怖を既に経験している。
喪失体験を持ち帰ることのできる死として期待し始めた私はより一層、主観意識の価値を大きくしてしまった。私が死を持ち帰ることは叶わなそうである。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは相関の外にある物自体は認識することもできなければ、思考の対象にすることもできないと主張した。相関の外にあるものについては語りえない、と。
名取さなはバーチャルYouTuberである。名取は、私と同じ次元に私の肉体と同じ組成をした肉体を持つ様子を私に認識させない。しかし私は名取の表象の向こうに、そのような肉体を経由することなく、直接に物自体であるところの名取さなを認識し、思考しようとする。私の主観が私の持つただ一つの肉体を通じて名取を見るのと同じように、名取の主観は探偵衣装の身体を動かして鼻をほじるのだ。
私は考えてみる。私の所有する別人格の死を通して、主観意識の半分を喪失することは叶わないだろうか、と。
バーチャルYouTuberのキヌは楽曲「バーチャルYouTuberのいのち」でこう歌う 13
「わたしたちは生きている。
そして、わたしたちは"それ"を知っている。」

去年の名取のベストバイ配信で、レモンの木をベストバイに挙げているせんせえがいた。いいなと思ってさくらんぼの苗木を買って事務室に置いた。寒冷地でレモンは難しそうだったが、なにか果実のなるものがいいと思ってさくらんぼにした。5000円だった。
10歳くらいの男の子。親御さんに抱えられていたのだろうか、ベビーカーに乗っていたのだろうか、靴を履いていない足と、おむつを履いているのがはっきりとわかる膨らんだおしりを、ベージュのズボンが生地を少し伸ばしながら包んでいる。襟のよれた青い長袖Tシャツの胸元には、チュッパチャップスのロゴのような色と書体で「TRAVEL」と明るく派手に書かれていた。
男の子はしとしとと泣いていた。大きな声で「ママ」と呼びながら泣く方が似合っているのになと思った。しとしとと泣きながら指を吸っていた。

『死体愛と集合する青の春』 - 2025/02/10

キャプションボードを印刷して、事務室の入口に佇む社員さんに渡した。
「『死体愛と集合する青の春』ですか」
「はい。ダリの『死体愛の春』を意識して」
「ごめんなさい、不勉強で」
「いいえ」
社員さんは事務室の内線電話の受話器を上げた。キャプションボードにもう一度視線を落としながら、「はい、『死体愛と集合する青の春』です。はい」と言い、最後に「よろしくおねがいします」と言って電話を切った。
社員さんは私にキャプションボードを返すと、男の子を抱え上げて事務室の外に出た。私も外に出る。
ショーケースに入らない大きさの落とし物は、テーブルの上に置くか、もっと大きいものはラグの上に置く。社員さんは男の子をラグの上に座らせた。私はその片隅にキャプションボードを置いた。
「本日はイロタンにお越しいただき誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に迷子のお知らせをします。『死体愛と集合する青の春』がお連れ様をお待ちです。お心当たりの方は1階落とし物センターまでお越しください」
落とし物が人間の時は、店内放送に使ってもらえるのだ。思わず顔が綻ぶ。
事務室に戻ってしばらくすると、見知った落とし主が『死体愛と集合する青の春』を引き取って行った。放送が入る落とし物の場合、落とし主は大抵このお客様だ。『死体愛と集合する青の春』は彼によく似合う泣き方で落とし物センターを出て行った。
一人になった事務室で、さくらんぼの木を眺めていたら、事務室の扉をノックする音が聞こえた。
黙っていると、扉の向こうから、
「すみません、迷子のお知らせを聞いたんですが」
と呼びかけてきた。そのまま黙っていると、扉を開けて女性のお客様がおそるおそる顔を押し込んできた。
「すみません、迷子のお知らせを聞いたんですが」
全く同じ言葉を、私に向かって言った。
困った私は「少々お待ちください」と言って内線電話の受話器を取った。

CLUB CITTA'に入場してすぐにロッカー確保のため3階に上がり、無事にロッカーを確保した。結果論だが最後までロッカーが埋まることはなかった様子である。
GREENのバーカウンターではPINKにはないカクテルなんかも注文できる。私はレッドブルウォッカで元気に夜を始めた。PINKのオープニングに立ち会うため、GREENを後にした。
PINKに入ってまず名取カメラにご挨拶。それからはずっとPINKのフロアで踊っていた。
まず最初はNemonoika。正直私はVtuberなどの楽曲に明るくないが、知ってるところの「Special Days (feat. 藤井隆 & ピーナッツくん)」がプレイされた時には序盤早々最高潮の盛り上がりを迎えた。
次いでDJはやしきん。爆笑の音頭繋ぎからのラジオ繋ぎが「爆弾こわい」で始まった時、瞬時に「みとらじギャラクティカ」と「ミュージック・アワー」が頭に浮かんだ。ただ、何故かこの時「みとらじギャラクティカ」→「ミュージック・アワー」いう思い込みがあり、「ミュージック・アワー」が流れた時、「みとらじギャラクティカ」ないのか、と思った。そんな決まりはなく、ちゃんと「みとらじギャラクティカ」もプレイされた。ちなみに、「ミュージック・アワー」には通称「変な踊り」という振付があるのだが、サビの1拍目の瞬間にその踊りを踊ろうとしてるのが自分だけだと気付いて、すぐに踊るのをやめた。やしきんが率先して「変な踊り」を踊らんきゃ!
続いてDJはミツキヨ。私がブルアカをプレイしていないのが残念なくらいフロアは湧いていた。「Unwelcome School」くらいしかわからないけど、楽しかった。
DJ4組目はohigeCat & KyoChang。寡聞にして存じ上げなかったため、個人的にはダークホースだったが、とてもツボな選曲だった。「Birthday Party」と「byun G」をかけてくれて本当にありがとう。osirasekitaのシックなVJと合わせて非常にドープな時間だった。
続いてDJは西郷・DJ・いろり。まずはいろりも「Birthday Party」をかけてくれてありがとう。
「アンチグラビティ・ガール」も、ありがとう。いろりが1番“Vtuber”に留まらず自由にやってて、とてもクールだったよ。前組と同じくosirasekitaのVJとの相性が最高だった。あとミラーボール大好き。
次のDJは原口の沙輔ちゃま。おもてなしの心意気を感じるセトリだった。破壊どころか深い愛を感じた。𝓑𝓘𝓖 𝓛𝓞𝓥𝓔。
DJ7組目はkz(livetune)。地獄でなぜ悪い、CLUB CITTA'の音響で聴いてもかっこいいオケだったな。あとヤコーのVJは格が違ったな。
そしてPINKのトリを飾るのはDJ WILDPARTY。2年連続。本当に本当にありがとう。私たちと一緒に名取さなの誕生日を祝福してくれているんだと強く思わせてくれるDJ。「いっかい書いてさようなら」、「いっかい書いてさようなら」なんだよなぁ。

最後、みんなで名取にもう一度「ハッピーバースデートゥーユー」を歌えた。朝方に名取の声が聞けるとなぜか自然と表情が緩む。楽しかった。ありがとう。
外に出たら、雨は止んで明るく晴れていた。帰路につく。

いつの間にか、空が広かった。
あんなにうるさかった蝉の声が聞こえない。出来の悪いビードロみたいな音を発していたガイガーカウンターの音も気付けばなくなっていた。森林限界を越え、景色の中に緑は随分と少なくなっている。自分の呼吸の音が耳にうるさくなってきた。そして、足音。風化した石の道を歩く自分の足音、後ろからは隊員たちの足音。風は音を立てずに吹いている。
青がもっと青い。空に近づいてきたはずなのに、この深い青は空をもっと遠くにやったみたいだ。
トランシーバーが微かに音を発した。高橋は遅れることどのくらいだろうか。トランシーバーに高橋の声が乗るのをじっと待った。しかし、ジジジと弱い電波を拾うだけで、高橋は喋り出さない。何も聞き取れないままにトランシーバーは完全に黙った。
「高橋、聞こえるか、高橋。どーぞ」
「はい高橋、どうされましたか。どーぞ」
高橋から掛けてきたんじゃないか、と思ったが、用がないのなら別にいい。
「空が青いんだ。どーぞ」

もう始発が動き出してる都会の朝の電車に乗って友人の家に帰る。山手線が人身事故の影響で止まってしまって、少し遠回りをした。疲労困憊の足と腰に更なる疲労が溜まる。
友人の家について、滞在中の荷物を全て持って一緒にサウナに行った。時間は1時間しかなかったけど、少しサウナに入って、あとはお風呂でできるだけ足を休ませた。
サウナを出て、駅で友人と分かれる。また来年も一緒に“ばくたん。”に行きたいね。それまで会わない訳じゃないだろうけど。
10時半頃、空港で遅い朝ごはんを食べて、飛行機で仮眠をとりながら北海道に帰った。そのまま札幌の自宅に帰らずに小樽へ行く。
遠征帰り、オールナイトイベント明けで本当に疲れていたけど、君島大空 合奏形態のツアー「春を前にしての歓喜の実践」の小樽公演は、素晴らしかった。
小樽で友人とお酒を飲んで家に帰った。
泥のように眠った。

受話器の向こうで呼び出し音が止む。
「はい、どうされました?」
「あの、迷子のお知らせを聞いたというお客様がお見えなのですが」
「わかりました。とりあえずサービスカウンターの方に来ていただくよう伝えてもらえますか?」
「はい、わかりました。あと、来月の7日から9日なんですけど、お休みをいただいてもいいですか?」
「3月の7、8、9ですか?」
「はい」
3月7日は“さなのばくたん。”だ。連絡するのは遅くなってしまったが、もうチケットはとってあった。
「わかりました。多分大丈夫です。10日に休みの分まとめてやってもらえたら」
「わかりました。ありがとうございます。失礼します」
私は社員さんが受話器を置くのを待ってから、受話器を置いた。


注釈、引用・参考文献

  1. moviecollectionjp. "バカリズムがOLなりすましブログ文庫化!OLが読んでもかなりリアル". YouTube. 2013-05-07. https://www.youtube.com/watch?v=65WXImFIu2w&t=63s (最終閲覧 2025-03-14)

  2. 後日の配信で名取は「神の間」と呼んでいる。 / さなちゃんねる. "さなのばくたん。振り返ったり、写真見たり。". YouTube. 2025-03-12. https://www.youtube.com/live/ZPpLSkKmBJg?si=HVJTYSITXIhE-mON&t=5892 (最終閲覧 2025-03-14)

  3. さなちゃんねる. "【#オンゲキ】オンゲキを楽しまないと出られない部屋に閉じ込められました…". YouTube. 2021-11-03. https://www.youtube.com/watch?v=HVzi-LTwiSw (最終閲覧 2025-03-14)

  4. NEWS ONLINE 編集部. "霜降り明星・粗品、生放送で一人二役を“怪演”「せいやさんがお休みということで」". ニッポン放送 NEWS ONLINE. 2023-08-17. https://news.1242.com/article/457049 (最終閲覧 2025-03-14)

  5. 鏑木ろこ / Kaburaki Roco【にじさんじ】. "人生ゲームを、しよう【 鏑木ろこ¦にじさんじ 】". YouTube. 2024-08-11. https://www.youtube.com/watch?v=QIPg0B-KHNw (最終閲覧 2025-03-14)

  6. さなちゃんねる. "デビルの証明(Live Ver.)/名取さな". YouTube. 2024-03-12. https://www.youtube.com/watch?v=oAO-_tp9d-8 (最終閲覧 2025-03-14)

  7. 注9及び注10を参考とした。

  8. 「異世界転生」は異世界への転生を表すほか、ジャンルとしての「異世界転生モノ」を表して使うことも多い。本noteでも「異世界転生モノ」を表して「異世界転生」と表記することがある。

  9. エスカンド・ジェシ. 異世界ものにおけるゲーム的世界の考察/テクストに見られる現代日本社会批判を巡って. 人文×社会. 2020. 2巻7号. p39-53

  10. 三宅陽一郎. 異世界転生とマルチバースと未来のコンテンツ. ゲンロン. 2023. 15号. p56-71

  11. カンタン・メイヤスー著、千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳. 有限性の後で. 人文書院. 2016. 236p.

  12. 神田浩一. 内的なドラマから死のシステムへ : バタイユにおける「死」の思想の変遷. 仏語仏文学研究. 2006. 33巻. p123-142

  13. キヌ. "【VTuber】バーチャルYouTuberのいのち / キヌ【オリジナル曲】". YouTube. 2019-02-20. https://www.youtube.com/watch?v=LmoMg0zVr6w (最終閲覧 2025-03-14)


解説 推しが死んだ日 (文:kawaiipoodle)

〈準備中〉


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