かわいそうな誕生日
文・五月書房 編集長 杉原修
誕生日とは、自分だけの小さな祝日である。
けれど世の中には、クリスマスや夏休みにまぎれてしまう、少しだけかわいそうな誕生日がある。
妹は十二月十八日生まれである。
昭和の頃のわが家では、十二月も半ばになると、リビングにはもうクリスマスツリーが出ていた。今のように洒落たものではない。枝を広げ、銀色のモールを巻き、赤や金の飾りをぶら下げる。綿を雪のようにのせれば、それだけで子供の目には十分に特別なものだった。
ただし、妹にとってそのツリーは、必ずしも楽しいものではなかった。
「どうして私の誕生日はクリスマスと一緒なの?」
子供の頃、妹はよくそう言っていた。
正確に言えば、妹の誕生日はクリスマスではない。十二月十八日だから、一週間ほど早い。けれど子供にとって、一週間という距離は大人が思うほど長くない。家の中にツリーが立ち、街にクリスマスの気配が満ちてくると、妹の誕生日はたちまちその大きな行事にのみ込まれてしまう。
問題は、気分だけではなかった。もっと切実で、もっと現実的な問題があった。
プレゼントである。
大人は平気で言う。
「誕生日とクリスマス、一緒でいいよね」
よくないのである。
クリスマスはみんなのものだ。誕生日は自分だけのものだ。その二つを一つにまとめられるのは、子供にとってはかなり不当な処遇である。妹はそのことを、理屈ではなく、損得で正しく理解していた。
一年に一度、自分だけが主役になれる日がある。ケーキがあり、名前を呼ばれ、プレゼントをもらう。その日だけは兄弟の中でも自分が中心になる。ところが十二月十八日生まれの妹の場合、その主役の日の背後に、クリスマスという巨大な国民的イベントが控えていた。
誕生日は、いつもクリスマスの前座にされていた。
その妹も、もう還暦をすぎた。
今ではこの話を、自分の孫に語って聞かせているらしい。昔は本気で恨んでいたはずの話が、いつのまにか家族の昔話になっている。孫は笑って聞くのだろう。妹も笑って話すのだろう。
けれど、その笑いの底には、子供だった妹の小さな抗議がまだ残っている気がする。
「私は私の日として祝ってほしかった」
誕生日とは、そういう日なのだと思う。
誰かにとっては、たかが日付である。けれど本人にとっては、その日だけは世界の中で少し特別な場所に立てる。大げさに言えば、自分が生まれてきたことを、家族が一度立ち止まって確認してくれる日である。
だから、何かのついでにされると、少し悲しい。
世の中には、そういう「かわいそうな誕生日」の人がけっこういるのではないか?
十二月二十四日や二十五日前後に生まれた人は、まず間違いなくクリスマスに吸収される。正月三が日に生まれた人は、ケーキよりおせちが強い。二月十四日生まれは、バレンタインデーとの境界があいまいになる。五月五日生まれは、こどもの日なのか誕生日なのか分からなくなる。
そして私の誕生日は、六月十六日である。
六月十六日は、ときどき父の日と近くなる。年によっては、ほとんど一緒にされる。
今夜、息子が少し遅れた誕生日をやろうと言ってきた。
父子家庭のわが家では、こういうことがときどき不器用に行われる。誰かが完璧に段取りをして、花や料理やケーキをそろえてくれるわけではない。思いついたように言い出し、少し遅れ、少し照れながら、それでも何かをしようとする。
その息子が、私にこう言った。
「父の日もあわせてね」
私は一瞬、妹のことを思い出した。
ああ、これだ。
十二月十八日の妹が、クリスマスにまとめられたように、六月十六日の私は、父の日にまとめられようとしている。
もちろん、ありがたい。祝ってくれるだけで十分だと思う。息子がそう言ってくれること自体が、もう贈り物のようなものでもある。父子家庭の現在進行形の生活の中で、息子が父の誕生日を思い出し、少し遅れてでも何かをしようとしてくれる。その気持ちを、私はちゃんと受け取っている。
けれど、心のどこかで小さな声もする。
「いや、今日は誕生日なんだけどな」
そう思ったところで、私はもう一人のことに気づいた。
息子である。
息子は七月二十二日生まれだ。今年で十六歳になる。
七月二十二日というのも、なかなか微妙な誕生日である。海の日と重なることもある。何より、学校が夏休みに入るか入らないかの境目にある。終業式が終わっている年もあれば、まだ学校がある年もある。友達は旅行に出ていたり、部活があったり、家族の予定が入っていたりする。
子供の誕生日にとって、これは案外大きい。
誕生日というのは、家族に祝われるだけでは足りない時期がある。友達に「おめでとう」と言われること。誰かを家に呼ぶこと。学校で少しだけ主役になること。そういうことが、子供にはちゃんと必要なのだ。
けれど七月二十二日は、そこから少し外れやすい。
夏休みに入ってしまえば、教室で「今日、誕生日なんだ」と言う相手がいない。友達を呼ぼうとしても、それぞれの予定が散っている。祝日や連休に近ければ、家族の都合や世間の空気にまぎれてしまう。
息子も、そういう寂しさを感じていたらしい。
私はそのことに、今さら気づいた。
自分が「父の日もあわせてね」と言われて、少しだけ誕生日を薄められたような気持ちになったとき、ようやく息子の誕生日のことが見えてきたのである。
なんということだろう。
私は、妹の「クリスマスと一緒にしないで」という不満を覚えていた。自分の「父の日と一緒にしないで」という小さな抵抗にも気づいていた。けれど、いちばん近くにいた息子の「友達を呼べなかった誕生日」には、十分に気づいていなかった。
かわいそうな誕生日には、いくつか種類がある。
プレゼントを一つにされる誕生日。
大きな行事に吸収される誕生日。
学校や職場が休みで、当日に祝ってもらいにくい誕生日。
みんなが忙しくて、自分だけ取り残されたように感じる誕生日。
妹は十二月十八日生まれで、クリスマスに誕生日を脅かされた。
私は六月十六日生まれで、父の日に誕生日を薄められた。
息子は七月二十二日生まれで、夏休みの入口に誕生日を置いてきた。
三人とも、誰にも祝われなかったわけではない。
むしろ、家族には祝われていた。ケーキもあったかもしれない。プレゼントもあったかもしれない。「おめでとう」も言われたはずだ。
それでも、少しだけ寂しい。
それはたぶん、誕生日というものが、ただの祝い事ではないからだ。
誕生日は、自分がこの世界に来た日である。
その日だけは、誰かの父でも、誰かの息子でも、誰かの兄でもなく、まず自分として祝われたい。
父の日と一緒にされると、私は父に戻される。
夏休みにまぎれると、息子は友達の輪から少し外れる。
クリスマスと一緒にされると、妹はサンタの季節の一部にされる。
本当は、それぞれが一日だけ、ちゃんと主役でいたいのだ。
妹は還暦をすぎて、今ではその話を孫に語っている。
「私の誕生日はね、いつもクリスマスと一緒にされそうだったのよ」
きっと笑いながら話しているのだろう。
私もいつか、息子に言うのかもしれない。
「お前の七月二十二日も、けっこうかわいそうな誕生日だったな」
すると息子は、少し笑って、少しだけ文句を言うかもしれない。
「今ごろ気づいたの?」
その通りである。
親は、子供のことを見ているつもりでいる。
けれど、子供の寂しさには、ずいぶん遅れて気づくことがある。
今年、息子は十六歳になる。
十六歳の誕生日を、私はどう祝えばいいのだろう。
盛大なことをする必要はないのかもしれない。けれど、少なくとも何かのついでにはしたくない。夏休みの予定のついででも、父子家庭の忙しさのついででもなく、七月二十二日を、息子の七月二十二日として扱いたい。
誕生日は、毎年やってくる。
しかし、息子はいずれ旅立つ。父と息子の二人で過ごすこの日は、多分もうそう多くはない。
妹の誕生日は、孫に語る笑い話になった。
私の誕生日は、息子との父子家庭の食卓に、少し遅れてやってくる。
息子の誕生日は、私が今さら気づいた、小さな寂しさとして胸に残っている。
誕生日は、自分だけの祝日であってほしい。
でも家族は、ときどき祝日をまとめる。
学校は、ときどき誕生日を休みにしてしまう。
世間は、ときどき個人の一日を大きな暦の中に吸い込んでしまう。
だから、かわいそうな誕生日の人は、案外たくさんいる。
そしてその人たちはたぶん、少しだけ損をして、少しだけ得をしている。
