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【はざまのわたし/深沢潮】人生初のブックトークショーに行ってきた話

【はざまのわたし/深沢潮】人生初のブックトークショーに行ってきた話

『緑と赤』に出会って早3、4ヶ月。短い時間だけれど、この作品が私に与えた衝撃は今も鮮明に残っている。
小説にちゃんとハマるのは中学生以来のことだった。深沢潮先生の作品を読んでいると、自分と重なる部分や、自分自身の悩みを映し出すような場面ばかりで、まるで心の奥底を見透かされているような感覚になる。

「トークイベントとかあるならいってみたい、、、」と思いつつもそもそも私は基本韓国いるし無理だよなぁでもイベントあったら行きたいなぁ、と思ってたタイミングで開催通知が来たブックトークショー。
運命的に、
夏休みで帰ってる時期に開催されるではないか!!!!!

ブックトークショー in 文化センターアリラン

深沢潮先生初のエッセイ『はざまのわたし』のブックトークショーにいってきた。
作品をちゃんと読んだ後だからこそ、より鮮明に理解できる部分もあって、帰ったらまた見返してみようと思う。

嬉しくてすぐ新大久保のスタバ行って写真撮った

在日コリアンとして生きること

トークショーの中で心にグッと残っている言葉がある

「韓国の人は在日コリアンの差別に対しては怒ってくれるけど、恐怖まではわかってくれない
"恐怖"というのは 当事者くらいにしかわからない」


そうだな、とすごく腹に落ちた言葉だった。

前に話を聞かせてくれた在日コリアンの親友は「差別がなくなったと思ったことはないよ。パパたちの時代にあったあからさまな差別は減ったかもしれないけど、差別は今でも残ってる」と話してくれたことを思い出す。


改めて在日というルーツに思いを馳せる。
私だって彼女がこれまで受けてきたり、怯えてきた恐怖を完全に理解することはできないだろう。


声を出すことすら許されない場だって、生きていれば腐るほどあるだろうし、実際にあったと思う。


当事者が声を出せない時、声を出しても無力化されてしまう時にこそ、より一層私たちは声を出さなきゃいけないんじゃないかと思う。今の排外主義的な意見が可視化されている社会を見て、より一層強くそう思う。

ルッキズムに悩む自分


『はざまのわたし』には体型に関する話も多く出てくる

私は成長が早くて小学校5年生の時から身長も体重もほぼ変わらない 
周りよりも大きいことが恥ずかしかったり
「自分はデブだ」と卑屈になっていた時代もある
(その時あたりの写真見るとお世辞にも可愛いとは思えないくらい暗くて卑屈な感じが出てる)


結局は、自分が自分をある程度は認めてあげられるようにならないと、抱えている内面の葛藤は克服できないように思う。

言葉にすることの恐怖と力


『はざまのわたし』に出てくる話の数々はすごく鮮明だ。それは深沢先生が当時のことを全て日記に記録していたからでもあるだろう。


私は日記を書いても続かない性分だが、
もし書いていたらと思うと恐ろしくなる。


自分の悩みや葛藤を言葉にすることは、ある意味現実を自分に押し付けること。そんなの到底恐ろしくてできない、と思ってしまった。

でも、その今見返したらもしかしたら愛おしく(または恥ずかしく)思えてしまう過去の自分がいるかもしれない。過去の自分を認めてあげて、助けてあげられるのも自分だけなんじゃないだろうか。

口に出さないこと、思い出さないことで蓋をしてきた傷も、ふとしたタイミングで予兆なしにはがれてしまう。そんなとき、それまで向き合ってこなかったことによる痛い目を見てきたことは、何回もある。


なんてことを帰り道の電車で思いふけった。




自分自身の”はざま”と向き合う


『はざまのわたし』を通して、
今一度、自分自身の思い出や記憶と向き合うことをしたいなぁ、と思った。 

何かと悩みは尽きないし、今でも自分の方向性には悩んでいる。
でも、このタイミングで『はざまのわたし』を読んで、ブックトークショーに参加できたことは、何かの縁と意味があるのだと思いたい。


私自身も、
理想と現実の”はざま”で揺れ動かされている。



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