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正解を選ぶな。選んだことを正解にしろ

年が明けるたび、今年こそはと目標を立てる。

手帳に書く。誰かに宣言する。

それなりにやる。サボってはいない。

むしろ走っているほうだ。なのに、ふと足を止めるとおかしなことに気づく。
進んでいる実感がない。

階段でいえば踊り場だ。上ってはいる。次の段も見えている。だが今、自分は平らなところに立っていて、前にも後ろにも進んでいない。心当たりのある人は少なくないはずだ。

なぜこうなるのか。

多くの人は踊り場で「正しい道」を探している。どの段を上れば正解なのか。この選択で合っているのか。間違えたくない。失敗したくない。だから慎重に足元ばかり確かめる。
そして、探しているあいだは一段も上っていない。

正解を探す行為そのものが、最大の足止めになっている。これが踊り場の正体だ。


正しい道など、どこにもない

道に正解はない。

会社経営はよく登山にたとえられる。目指す山の頂を決め、誰とどう登るか策を練り、計画を立て、ヒト・モノ・カネを集めて実行する。きれいな話だ。だがこの比喩には、誰も言わない続きがある。

登る山に正解はない。ルートにも正解はない。

世界には無数の山がある。同じ山にもいくつものルートがある。「ここだけが正しい」という道はどこにも存在しない。では経営者は、いや、何かを選ぼうとするすべての人間は何をしているのか。

選んだ山を、選んだルートを、自分の手で正解にしているのだ。

最短コースを選んだなら、その速さを武器にする。あえて険しい道を選んだなら、登り切って意味に変える。正しい道を選ぶのではない。選んだ道を正しくする。これが踊り場を抜ける唯一の方法だ。

と、いかにも分かったふうに書いているが、私がこれを知ったのは本で読んだからではない。自分の足で山を選び、一度は転げ落ち、一度は登った山を自分から降りた。その全部を通して、嫌というほど思い知らされた。

三十一歳、無一文の出発

三十一歳のとき、私は無一文でひとつめの山を選んだ。選ばされたのではない。自分からぶつかって飛び出した。

前職の経営方針がどうしても合わなかった。すり合わせようとするほど溝は深まり、最後はぶつかって、半ば喧嘩別れのような形で会社を出る。しかも、ただ出たのではない。前職の店を一つ、半ば強引に引き継いで出た。

今になって振り返れば、無計画もいいところだ。元手があったわけでも、勝算を弾いたわけでもない。あったのは、やってやるという気持ちと、若さだけ。若気の至りの、最たるものだった。

だが、あれでよかったと本気で思っている。あの歳の、あの後先のなさでなければできなかった。計算ができる歳になっていたら、きっと一歩も動けなかった。けれど、その無謀さこそが、後から効いてくる経験になった。

代償はもちろんあった。あることないことを言われ、行く先々で足を引っ張られる。店を強引に継いだ手前、当然だ。自分の意志で出た以上、文句を言う筋合いはない。それでもこたえた。お金はそもそも無かった。看板も後ろ盾もない。あるのは現場で積んだ経験と、根拠のない「やってやる」だけ。

それでも選んだ。いや、出た時点で、もう選んでいた。

そして、この事実こそが私を動かした。
店を継いだ。独立した。もう後ろはない。
この一点が、どんな計画書よりも強く背中を押した。やる気が出たから動いたのではない。

動かなければ終わる場所に、自分で自分を置いてしまった。だから動いた。やる気や覚悟が湧くのを待つのではなく、先に退路を断ってしまえば、行動はあとからついてくる。

やったことは単純。働いた。休みなし、休憩なし。といっても、美談にするつもりはない。お金の無さに追い詰められるたび、噂が耳に入るたび、自分は、間違ったんじゃないかと思ってしまう。

強かったから続けられたわけではない。続けるしかなかった。それが本当のところだ。
ただ、がむしゃらなだけではいずれ息切れする。それは分かっていた。

だから、これまで現場で積んだ経験を、一つずつ言葉にして整理し直した。なぜあの売り方が当たったのか。どういう声かけでお客様が動いたのか。たまたまの成功を、誰がやっても再現できる形に変えていく。つまりセールスの型を作った。

そして、徹底してお客様だけを見た。同業がどうとか、前職に何を言われているとか、そんなことは一切どうでもいい。目の前の一人が何を求めているか。それだけを考えて、応え続けた。

そうしているうちに、数字が動き始める。前年比150%。やがて200%。
あれこれ言ってきた人たちへの返答は、それで十分だった。言い返すまでもない。結果が勝手に黙らせてくれる。

このとき、腹の底で分かったことがある。独立が「正しかった」から、うまくいったのではない。条件は最悪で、どう見ても間違いに見える選択。それでも、選んだあとに死ぬほど動いたから、結果として「正しかったこと」になった。ただ、それだけ。

正解だから選ぶのではない。選んでから、正解にする。

ただ、人間は弱い。一度勝つと、この順番をきれいに忘れる。次に待っていたのは、独立よりもずっと危険な落とし穴。しかもそれは、失敗ではなく成功の形でやってきた。

「成功」が招いた転落

売上が伸びると外から声がかかるようになる。取引先や知人を通じて、出店の話が次々と舞い込む。あそこが空いた、いい条件だ、ぜひあなたに。

悪い気はしない。むしろいい気になっていた。請われるまま二つ返事で引き受ける。人も足りていないのに。準備もできていないのに。あの頃の私には、断る理由が一つも見えなかった。

怖いという感覚は不思議となかった。先に来たのは勢いだ。

周りはおだてる。すごい、たいしたものだ、その調子だ、と。誰も止めない。止める人がいないというのは、一見ありがたいようで本当はいちばん危ない。おだてられている自分が見えなくなる。

結果は数字に正直に出た。

店は増えた。売上の総額も増えた。けれど利益は減っていく。手を広げた分だけ目は届かなくなり、ほころびはあちこちで同時に出る。気づけば、社員に払う給料すら危うくなっていた。借り入れで月末をしのぐ。そんな月が続く。

このとき、ようやく分かった。私は山を選んでいなかった。

向こうから来たルートに、勢いのまま乗っただけ。「何となく歩いていたら山の上にいた」。そんなことは決して起きないと人には言ってきたのに。当の自分が何となく登っていた。選んだつもりで流されていただけ。

踊り場で止まる人と、勢いで突っ込んで崩れる人。正反対に見えて病は同じ。どちらも自分で選んでいない。

立て直しに、近道はない

では、どう立て直したか。

一発逆転はなかった。人気ブランドの出店も起死回生の一手もない。やったのはひたすら地味なことだ。

まず始めたのは、スタッフ一人ひとりと、月に一度、面と向かって話す場を作ることだった。今でいう1on1だ。当時そんな洒落た呼び方は知らなかったが、とにかく一人ずつ、ちゃんと話を聞く時間を設けた。何に困っているか。何をやりたいか。店を増やすことばかり見て、肝心の人を見ていなかった。その反省が、出発点だった。

やってみて分かったのは、これが相手の本音を引き出すいい訓練になる、ということだ。建前の奥にある、本当に思っていること。それを聞き出す力は、今、経営者と一対一で向き合う診断士の仕事に、そのまま生きている。

そこから、店と店をつなぐコミュニケーションの仕組みを整え、学んだことを持ち寄る研究活動のような社内制度も作っていく。崩れたところを、一つずつ手で組み直していく作業だった。

地味な話で申し訳ないくらいだ。けれど、ここに大事なことが隠れていた。

「選んだことを正解にする」と聞くと、腹をくくる、気合で押し切る、といった景気のいい話を思い浮かべるかもしれない。違う。正解にするとは、地味な仕組みを一つずつ作るという作業のこと。勢いで崩したものは勢いでは戻らない。一段ずつ組み直すしかない。

流されて崩した山を、こんどは自分の手で選び直し、登り直す。そうやって経営は少しずつ持ち直していった。

そしてこの「組み直し」が、後になって、思いもよらない形で私を助けることになる。

登った山を、自分から降りる

経営が落ち着いた頃、中小企業診断士の勉強を始めた。

理由は単純だ。自分の経営があまりに自己流すぎた。勢いで店を増やし、勢いで足をすくわれた。あのとき手元には、寄って立つものが何もなかった。同じ転び方はもうしたくない。守りのつもりだった。

資格を取り、その立場で人の会社を見るようになって気づいたことがある。

この仕事は単にものを売る仕事ではない。

あるアパレル店舗の経営改善に入ったときのこと。資金繰りは詰まりかけ、このままでは店を畳むしかない。そういう状態だった。返済のリスケジュールを組み、数字を一つずつ立て直し、これからどう続けていくかの計画を一緒に作る。地味な作業の連続だ。けれど、それで店が続く。続けば、そこで働く人の生活も、その家族の暮らしも続いていく。

数字の裏には、いつも人がいる。経営者がいて、従業員がいて、その家族がいる。店が一つ残るかどうかは、その全員の生活に直結している。その店が持ち直したとき、私は売上を上げたのではなく、人の人生を一つ救えた気がした。

それが私には他人ごとではなかった。

勢いで広げて、店を傾かせた。資金繰りはぎりぎりで、借り入れで月末をしのいだ。立て直しの計画もかつて自分が必死でやったことだ。自分の店で作ったセールスの型も、お客様だけを見るという姿勢も、そのまま人の店で使えた。

あの感覚は、体で覚えている。経営者経験のある診断士はそう多くない。だからだろう。机上の空論ではなく、同じ穴に落ちた人間として隣に座れる。気づけば、頼りにされていた。
守りで取ったはずの資格が、登ってみたい山に変わっていく。

同じ頃、足元でも変化が起きていた。店舗の現場に出ない日が増えていた。

店は私がいなくても回っている。好きなときに外へ出られる。時間が取れる。あれから地味にスタッフを育て、仕組みを組み直してきた。その積み重ねが、私のいない現場をいつのまにか作り上げていた。

人がいなくて崩れた。人が育って次へ行ける。

遠回りに見えた地味な作業は、全部ここにつながっていた。
四十を前に決めた。この山を降りる。

怖くなかったといえば嘘になる。役員報酬がゼロになる。これまで登ってきた山には、それなりの実りがあった。それを自分の手でゼロにする。次の山に保証は何もない。三十一歳のあの感覚が、形を変えて戻ってきた。

ただ、あのときと一つだけ違う。

三十一歳は、ぶつかって自分から飛び出した。四十歳は、稼げる山を自分から降りた。どちらも、誰かに決められた選択ではない。自分で選び、自分で代償を払い、自分で正解にしてきた。

診断士が「正しい道」だったから選んだのではない。どう転ぶかも分からない。それでも選んだら正解にする。山を降りることすら、降りてから正解にすればいい。

そう腹をくくったとき、ゼロになる恐怖は覚悟に変わっていた。

今日、ひとつ選ぶ

独立して、広げて崩して、立て直して、降りた。その全部を経験した人間が、今は診断士として、人の山登りを横で支えている。遠回りばかりの道のりだったが、振り返れば、一つも無駄はなかった。

私の三つの山の話をしてきた。

ぶつかって飛び出した独立。流されて崩した拡大。稼げる山を自分から降りた再出発。
どの選択にも、その時点で正解の保証なんてなかった。条件を見れば、止めておけ、というものばかり。それでも選んで、動いて、あとから正解にしてきた。

正しい道を選んだのではない。選んだ道を、正しくしてきた。

踊り場で足が止まるのは、たいてい逆をやっているからだ。正しい道はどれかと足元ばかり確かめている。だが、正しい道などどこにもない。あるのは、選んだあとに正しくしていく道だけ。探すのをやめて選んだ瞬間、踊り場は通過点に変わる。

大きな決断でなくていい。今日、何か一つ選ぶ。それを紙に書いて、目に入る場所に貼る。誰かに話す。声に出した瞬間から、その選択は人を引っ張り始める。

正しいかどうかは、今は分からなくていい。正しくするのは、これからの自分だ。
三十一歳の自分に一言かけられるなら、こう言う。そのままいけ。心配するな。すべては成長につながる。

さあ、あなたはどの山を選ぶか。


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