『星守りの詩』
雨の雫が山を穿ち、風が砂より岩を生み、大河がやがて砂漠へと変わる。
記憶という言葉がまだ形を持たぬ時代から、それが朽ち、忘れられるまで。
男はずっと——夜空を見上げていた。
その横顔は、雪に護られた霊峰のように涼やかで、睫毛は幾千の箒星が夜空を掃き清めた残光のように揺れていた。
褐色の肌は、幾度も灼熱の風にさらされながらもなお、静けさを湛えており、夜の闇を溶かしたような髪が頬を撫でる。
その瞳は、澄みきった蒼玉。シリウスの光を宿し、遥かな虚空を映していた。
どこの地、どの時代の織り手によるものか定かでない布を幾重にも纏い、外套の端を、風が勝手気ままに弄んでいる。
その手には、黒樫を精緻に彫り上げた錫杖。杖先は掌のように枝分かれし、綻びかけた花弁のごとく、指のような形で優しく開かれていた。
杖の先は、彼の指に導かれるように、無意識に夜風のリズムを刻んでいた。
風の音にまぎれて、低く、歌声が漏れる。
母が子に贈る子守唄にも似て——それは優しく、どこまでも哀しかった。
男が目を凝らした先、ひとつの星が、夜空から堕ちた。
細い尾を曳き、小さな箒星が静かに流れる。
彼はゆるやかに立ち上がり、星が落ちた地へと向かう。
風に巻き上げられた砂が、彼を避けるように流れていった。
星は、砂の泉の上に横たわっていた。
橙の光を仄かに放つ、小さな粒。
男は指先でそっと摘み、それを掌に迎えた。
「若い星よ。お前にはまだ早い。戻るのだ、天の宮へ」
「……あなたが、星守りの方ですか。私は、名もなく、虚に彷徨い、光のない夜に……疲れ果てました。このまま、砂のひと粒となり、この地に果てたいのです」
その言葉に、男は眉をわずかに上げた。
「お前のすぐ隣には星がある。六千光年ほどの距離——目と鼻の先だ」
「私には目も鼻もありません。耳もありません。だから彼の声も届かない。私は、私の世界で、独りきりなのです」
その言葉に、男は目を伏せた。月明かりが、長い睫に青白い影を落とす。
「孤独か……星よ。その感情を、私はまだ火を知らぬ時代から抱いてきた」
彼はふと、何かを思いついたように目を細め、頬がわずかに揺れた。
吐いた息は、冷えた砂の匂いと混ざり合い、夜の影に沁み入っていく。
「ならば、お前に名を授けよう。“ レピルタ ”。
遥かな昔、今は誰の記憶にも残らぬ言葉。だが今、この言葉は、お前と私の邂逅の証となった。お前がその名を思い出す時、私を思い出せば良い」
男は、名を得た星——レピルタを、指先でそっと撫でた。
「触れられずとも、感じるはずだ。空間に揺蕩う幾何学の歪み。それこそが、お前と私を繋ぐ、不可視の鎖だ。さあ、戻れ。お前の夜空へ」
男は杖の先に星を載せ、天に向けて高く掲げた。
レピルタは微かに震え、そしてふわりと浮かび上がった。
まるで記憶の中へ還るように、夜空の薄膜へと吸い込まれ、定められた位置にそっと留まった。
別れ際、小さな星が問いかけた。
「星守りの方……あなたは? 悠久の時を、ただ一人で過ごして、寂しくはないのですか?」
男はただ静かに目を細め、星の眠りを見守った。
誰にも思い出されることのない、地の果てで、ただひとり。
男は今宵も星々をなだめ、静かに眠らせる。
かつて名を授けた星々の記憶が、静かに彼の瞳の水面に揺れ続ける。
——永遠に。
※あとがき
人物描写の練習として、男の見た目を意識しました。
「空間に揺蕩う幾何学の歪み」=「重力」と読み取れた方、握手してください。
宇宙とか、星とか、量子力学とか……大好き!
(※理解できずに、憧れてるだけだけど……)
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